麗らかな時間
森を抜けて、アジトから離れた場所にある池の畔に、三人は辿り着いた。ここが今日の野営場所だ。
大木の根元に荷物を置くと、フィノは早速レシカを連れて水浴びに向かう。しかし、雪の降る地域である。暖かな日中でも水の中はそれなりに冷たい。洗濯は別として、身体を洗うには堪える温度である。
それでも流石にこんな薄汚れている状態で連れ回すのは可哀想だ。
少し悩んだ後、フィノはレシカへと断りを入れる。
「冷たいけど、少し我慢してね」
「うん」
寒空の下、ボロの衣服を脱がせると水浴びをさせる。軽く身体を布で拭って汚れを落とすと、手早く身体を乾いた布きれで拭いて、予備で持ってきていた服を着せてやる。
しかし、フィノの服ではぶかぶかで防寒の意味を成さない。
「んぅ、やっぱりおっきいかなあ」
身体のサイズに合わない服を着た不格好なレシカを見つめながら、フィノは独りごちる。
ベルゴアに着いたら彼女には新しい服を買ってやるとして……明日、早朝に発って行けば途中で休憩を挟んでも日が暮れる頃には街に着けるだろう。
「今はこれで我慢してね」
「うん!」
汚れていないヨエルの外套を借りて纏わせてやると、レシカは年相応に無邪気な笑顔をフィノに向けた。
その笑顔を見て、今まで感じていた違和感をフィノは口に出す。
「レシカは、どうしてずっと笑ってるの?」
思い切って、フィノは彼女に問う。
アジトを出てヨエルの元に向かう道中、フィノはレシカへとこれまでの経緯を聞いていた。
彼女は、ハーフエルフであるが故に親に売られたのだという。厄介払いと、加えてそこそこの金になるからだ。
昔と比べて、今はハーフエルフの価値は高まっている。そこには色々な要因があるのだが……そのせいでレシカはあの場所にいたのだ。
奴隷としての扱いを受けるか、金欲しさに両親に売られるか。どちらが良いかなど議論する価値もないが……彼女が不幸であることには変わりない。
それなのに、レシカは泣きもせず弱気にもならない。ずっと笑顔を絶やさないのだ。
それは傍目から見れば異常とも思える程である。
「お父さんとお母さんはいたけど……大事にされなかったから。売られちゃったけど、さびしくはないよ。ほんとに!」
「でも、ずっと笑ってなくてもいいんだよ」
目線を合わせて告げると、レシカは不思議そうな顔をしてフィノを見つめた。
彼女には、どうしてフィノがこんなことを言うのか、分からないのだ。
「お……おかしい?」
「ち、ちがう! そうじゃなくて……悲しい時は泣いてもいいってこと」
「べつに悲しくないよ」
フィノの心配を余所に、レシカはケロッとしていた。本当に何も気にしていないのだ。
彼女の図太さに度肝を抜かれたフィノは、少しのあいだ呆然として固まってしまう。
「う……なら、いいけど」
「寒いから火にあたってくる!」
「う、うん。どうぞ」
フィノを置き去りにしてヨエルの元に向かっていった後ろ姿を眺めて、フィノは血飛沫で汚れてしまった外套の洗濯に取りかかるのだった。
===
二人が水浴びをしている最中、ヨエルはそれに背を向けて焚き火の準備をしていた。
火付けはエルリレオにもやり方を習ったし、慣れたものだ。
湿気っていない小枝を集めて組むと、背嚢から炎の魔法が込められた小ぶりの魔鉱石を取り出す。布に包まれたそれを組み木の中に放り込むと簡単に炎が上がった。
「よし、これでいいか――なっ!」
突然、背後から何かがぶつかってきてヨエルは前のめりになる。
何事だと後ろを確認すると、今しがた水浴びをしてきたであろうレシカが、フィノのぶかぶかの服を着て、どういうわけか抱きついてきたのだ。
「わっ! な、なに!?」
「うう、さむいい」
歯の根を鳴らしてレシカは震えている。
焚き火の前に陣取っていたヨエルは慌てて席を譲って、背嚢にしまっていた毛布を取り出した。
「これ、使っていいよ」
「ありがと」
頭から毛布を被ったレシカは顔を青ざめながら微かに笑みを零す。
この気温で水浴びなんてしたら凍えるのは当たり前である。どうしようか考えて……ヨエルはポットを取り出すと、お茶を淹れ始めた。
外に遊びに行って凍えて帰ってくると、決まってエルリレオが熱いお茶を淹れてくれたのだ。身体の芯まで温まるならこれが一番である。
「飲んでいいよ」
「う、ありがと……これ、おいしいね」
「私にもちょうだい」
横から声が聞こえて、淹れていたお茶を洗濯から戻ってきたフィノに渡す。
エルリレオがブレンドしたお茶に満足げに頷きながら飲み干すと、フィノは濡れた外套を枝に掛けて、焚き火の前に居座る二人に宣言する。
「よし、そろそろごはん食べよう!」
背嚢から取り出したパンとチーズ、燻製肉を取り出して焚き火の上に置いた石板の上に並べる。
熱した石板で炙って、パンの上にのっけたチーズが溶けたら食べ頃だ。
「おいしい!」
口いっぱいに頬張っているレシカに、黙々と食べるヨエル。
二人の様子を眺めながら、お茶を飲みながらフィノはこの後の予定を話す。
「ご飯食べたら野営の準備するよ。ヨエルは手伝って」
「うん」
「レシカは風邪引かないように温まっててね」
「はあい」
こうして誰かと野営するのはいつ振りだろうか。
確か……十年ぶりくらいかもしれない。あの時はユルグやミア、アリアンネとティナ。皆フィノの傍に居た。今では誰も居なくなってしまった。
それに少しだけ寂しさを感じながら、フィノは晴れやかな空を見上げるのだった。




