先の展望
フィノの反応に、レルフはそれでもまだ諦めきれない様子だった。
彼は何としてもフィノへ助力を乞いたいらしい。
彼には世話になったし、出来れば協力してやりたいというのが本心だ。一国の王なんて、そんな面倒な者にはなりたくないけれど……それ以外で手伝えることがあるのならば、彼の手を振りほどかなくても良いかもしれない。
「王様はイヤだけどそれ以外なら……全部終わってから、なら手伝えるかな」
「ほっ、ほんとうですか!?」
「うっ、……うん。でも、いつになるかわからないよ」
最後の一言は興奮しているレルフには聞こえていないらしい。未だ戸惑っているフィノを放ってついには感極まって涙を浮かべている始末だ。
「ちょ、ちょっと! なに馬鹿な事言い出してるのさあ!?」
「んぅ、ダメだった?」
「あったりまえでしょうが! こういった老害はね、いつの間にか自分の都合の良いように記憶を改竄してるもんなの! 安請け合いなんかしちゃ駄目なんだから!」
「でも困ってるし……少し手伝うくらいなら」
フィノの甘い言葉に、カルロは盛大に溜息を吐き出した。呆れて物も言えないと顔に書いている。
少しして、彼女はフィノへと諭すように語り出した。
「誰かに優しくするのは駄目とは言わないよ。でも、自分の身を削ってまですることではないからね。それは健全じゃない。献身はいきすぎれば自己犠牲にもなるし、狂人と区別がつかないものなの。……フィノはそれを間近で見てきたでしょ?」
「……うん」
彼女の言葉はユルグの事を差しているのだ。
言外に、彼と同じになるなと言っている。けれど、ユルグの生き方を否定するつもりもないのだ。間違っているとも言っていない。それでも、自分を犠牲にする生き方をするなとカルロは告げた。
それが正しいのか、間違っているのか。フィノには判断が付かなかった。
「まあ、フィノの場合はただ流されやすいだけのような気もするけど」
「うっ、否定できない……」
図星である。安請け合いというか、楽観的な部分がフィノにはある。ユルグのように先を見据えて堅実に物事を考えることは、今のフィノには少し難しいのだ。
言い当てられて口籠もったところで、今まで静観していたアリアンネが口火を切った。
「しかし、実際にそれほど悪い話でもないのですよ。利害の一致と捉えてもらっても構いません」
彼女の言う通り、この提案は悪い事ではないのだ。
今まで立場的に弱者であったハーフエルフが一国の主となれば確実に世界の情勢も変わってくる。そこにアルディア帝国の後ろ盾があるなら尚更だ。
将来的に後ろ指さされることなくどこでも出歩くことだって出来るようになるだろう。
レルフの言うハーフエルフの地位向上には、これ以上ない好条件ではある。
けれど、アリアンネの提案に何の疑問も抱かないわけではない。
「そもそも、なんでアリアは併合しようと思ったの?」
フィノの愚直な問いに、アリアンネは一から説明してくれた。
ラガレット公国は貧困国家である。兵力もアルディアの比では無い。真正面からやり合っても、奇襲や搦め手を使っても善戦は出来ないだろう。
実際に公王もそれを理解していて、アリアンネの提示した条件を呑んだ。
――不可侵条約の締結の見返りに、国境を開く。
両者の間では他にも様々な取り決めがあったはずだ。それら全てを加味して公王は益があると考えた。だからこれを良しとしたのだ。
けれど相手が悪かった。アリアンネは公王シュナルセよりも一枚上手だったのだ。
彼女がシュナルセへ提示した条件――入国規制緩和。あれにはもっと別の意図があったのだ。
アリアンネがこのような根回しをしたのは、過日の王殺しを遂行させるため。その下準備であった。
部下を使ってそれをさせるにも、アルディアからラガレットへ入るには手続きが必要になってくる。後ろ暗い身分の者……罪人なんかは門前払いだ。それを成す為の規制緩和である。
本来の目的はそれだけで、今回の諸々の事象は全て副産物である。併合も、一から国を興すことも。これらはアリアンネが生きていなければ成し得ないことだ。
けれど、今後の世界情勢を見据えて彼女はこのような選択をした。
「生かされてしまったからには、より良い世界にするつもりです。その一歩とでも思ってください。けれど、それ以前にわたくしは今の状況を憂いているのです」
まっすぐにこちらを見返す眼差しに、きっとそこには偽りはないのだとフィノは感じた。共に旅をした時の彼女と今のアリアンネは別人だけれど、それでも根底の部分は何も変わっていないのだ。心の奥底では誰にだって優しい彼女がまだ居るのだ。
あんなことをしでかしたけれど……それだけは変わっていないように思う。
「エルフは優越思想が強い種族です。ラガレットはアルディアよりもそれが顕著。わたくしも古臭いカビの生えた思想には前々から嫌気が差していたのですよ。けれど、こちらが改めても考え方が違えばそれはいずれ争いを生む。だからこの機に先手を打ったというところですね」
けれどこれは理由の一つなのだとアリアンネは言った。
「今まで戦争を抑止していた魔王の存在がなくなることで、国家間で諍いが起きるとわたくしは読んでいます。アルディアはどの国からも目の敵にされていますから、相手取る敵は少ない方が良いでしょう? ……とはいえ、大々的に併合などするのならば隣国のデンベルクから睨まれるのは確実です。他にも色々と問題は山積みなのですよ」
はあ、と溜息を吐き出す彼女の表情には微かに心労が透けて見えた。
一国を治めるということはかなり大変らしい。自国のみならず外にも目を向けなければならない。そんなことはまだ年若いフィノには到底出来る事でないことは、きっとこの場に居る誰もが承知しているだろう。
全てを聞き終えたところで、レルフがごほん――と咳払いをした。
「初めは何事も上手くはいきますまい。地盤が盤石にならないうちは私が老骨を折ってでも尽力させてもらいます」
「う、うん」
レルフは言外に、先の提案を強制はしないと言ってくれた。フィノの気の済むようにしても良いと、そういうことだ。
「やけに素直じゃない。どういう心境の変化?」
「これから諍いが生まれるのであれば、その矢面に立たせるわけにはいかんだろう」
「へえ~、おじいちゃんってフィノの事ちゃあんと考えてくれてるんだ。意外だよ、もう少し冷たい人だと思ってた」
「なっ、何を言うか!」
カルロの珍しい褒め言葉に、レルフは焦燥を浮かべた。
いつも文句を言われるのが常だったから、カルロからの賞賛に慣れていないのだろう。慌てふためくレルフから顔を背けて、彼女はそういえば、とフィノへと尋ねた。
「フィノは何か用事があってここに来たんじゃないの?」
「あっ、そうだった!」
アリアンネに用があったことをすっかり失念していた。
いそいそとソファから立ち上がったフィノは、彼女へと面と向かって切り出す。
「お師匠のところに行ってくる」
「それは構いませんが……例のあれは完成したのですか?」
「まだ、だけど。報告だけでもしておこうと思って。時間もそんなにないし」
フィノの決断にアリアンネは快く頷いてくれた。
彼女はフィノの願いを快く聞いてくれる。件の匣についても渋るだろうとフィノは予想していたけれどそんなことはなく、アリアンネはあっさりとフィノの願いを聞き入れてくれた。
なぜだと問うと、彼女はユルグに頼まれたからだと答えた。
彼の依頼はこの先フィノがどんな状況に置かれるか。それを理解しての判断だ。何があっても助けてはやれないから目を掛けてくれと、ユルグはアリアンネにそう言伝たらしい。
それを聞いてしまったならば、今度こそ間に合わせなければならない。タイムリミットは間近。
けれど、だからこそ。優先すべきことははっきりしている。今はただそれをしるべに、突き進むだけだ。




