愛惜を断ち切る
加筆しました。
目を覚ますと、見慣れない天井が見えた。木板の木目をぼんやりと見つめて、二度三度瞬きをする。
そこでようやく、フィノの意識ははっきりとしてきた。
「ユ――っ、」
名前を呼びながら起き上がると、途端に頭が割れそうな程の頭痛が襲ってくる。激痛に耐えられずに、フィノは横になっているベッドへと逆戻りした。
この頭痛は魔力の使いすぎによる虚脱のせいだ。ユルグにもらった魔法書に書いてあった。虚脱に陥ると魔力が一定値に回復するまで、頭痛や倦怠感など身体に不調をきたすのだ。
けれど呑気に寝込んでいる暇はない。
頭痛に顔を顰めながら今度はゆっくり身体を起こす。
起き上がったところで、フィノはおもむろに室内を見渡した。
ここがどこなのかは分からないが……彼女が横になっていたベッドの傍には愛用の剣と背負っていた背嚢。フィノの装備一式が揃っていた。
けれど室内には誰の姿も見えない。
それを見て――また置いていかれたのだとフィノは察した。
結局どれだけ必死になって追い縋ろうとも、フィノにはユルグを止められはしなかったのだ。
何を言おうが、殺す気で剣を向けようが……誰の願いも叶えられず、約束も守れない。
「うっ……ふっ、うう」
泣いている暇などないのに、それでも涙が溢れてくる。
哀しくて泣いているのではない。自分の不甲斐なさ、無力さに腹が立って悔しくて。どうにも心を掻き乱されてしまうのだ。
けれどいい加減、哀しむのはやめにしなければならない。
たった一人で思う存分涙を流した後、鼻を啜りながらフィノは自分が何をすべきか。それを見極めることにした。
フィノがここまでユルグを追ってきたのは、お師匠を止めるためだ。復讐なんてやめにして家に帰ろうと説得するためだ。ユルグを連れ帰る為に、フィノは遠路遙々お師匠の背中を追ってきた。
その果てに、自らの師と対立して……そして、敵わずに無惨にも敗れてしまった。
その時点で、彼を連れ帰ることには失敗してしまったのだ。
ユルグと話をして、彼の想いを、決意を聞いたのならば……あの決闘が最後のチャンスだった。
今から追いかけて止めるという手段も考えたが、この状態のフィノには再度ユルグとやり合うだけの体力はない。仮にあったとしても、再び一対一で相手をしてくれるとは限らないのだ。ユルグにはマモンがついているし、協力されたらその時点でフィノに勝ち目などない。
結局のところ、再びフィノがユルグへ迫ろうとも彼の意思は変わりはしないだろう。そして、そのことをフィノは知っている。
彼が示した結末は揺るがないのだ。だったら、フィノはどうするべきか。弟子として……大切な人にしてやれることは何なのか。
ユルグの目的はアリアンネの計略の完遂。であれば、アリアンネを含めた各国の王を殺した後、彼は誰かに討たれることになる。
魔王として……世界を恐怖に陥れた元凶として。恨まれて憎まれて、ありったけの憎悪を向けられて倒されることになるのだ。
「……っ、いやだ」
喉奥から絞り出した声は、震えていて聞くに堪えないものだった。
それでも……こんな結末は断じて許してはならない。
フィノの敬愛するお師匠は、そんな最期を迎えなければならないほどに悪いことはしていない。
確かに沢山の人を殺したかもしれない。復讐のため、いろんなものを犠牲にした。けれど、そうしなければならなかった。その気持ちをフィノは十分理解している。
ミアを……大切な人を殺されて。彼にはそうするしかなかったのだ。
勇者として顔も知らない誰かの為に自分を犠牲にして、誰に感謝されることもなく。その果てには魔王の生贄という運命しか待っていない。
……ユルグは十分苦しんだのだ。
自分のしてきたことは無駄だったと、償わなくちゃいけないと。背負わされた業に押し潰されそうになっていた、一年前のあの時の事を思い出す。
そんな呪縛から解放されて……終わりが見えている幸せだったけれど、やっと掴み取る事が出来た幸福さえも奪われて。
これ以上、尊厳さえも奪う最期を迎えさせると言うのならば……それを阻止するのは、きっとフィノのすべきことだ。
弟子だからとかそんなものは関係ない。大切な人に、これ以上苦しんで欲しくない。たったそれだけの思いで……フィノが決心するのは、それだけで十分なのだ。
ユルグに生きる意思がないのなら、それでもいい。
本当は死んで欲しくないけれど、何をどうしても変わらないのならば。だったらフィノも覚悟を決めなければ。
――他の誰かに憎まれて殺されるくらいなら、自分が終わらせるのだ。
ベッドから立ち上がったフィノは、ユルグから手渡された剣を手に取る。
「お師匠は……ユルグは、フィノが殺さなきゃ」
ぎゅっと握りしめて、怖じ気づかないように口に出す。
「今度はちゃんと……ちゃんとしないと」
対峙した時に弱音を吐かないように、ここで全て吐き出す。
それでも声に出した言葉とは裏腹に、心はすぐには追いついてこない。
「……っ、いやだっ……そんなこと、したくない」
泣かないと決めたのに、涙が溢れてくる。唇を噛みしめて必死に堪えながら、フィノはごしごしと目元を拭う。
そんなことをするために、ここまで彼を追ってきたわけではない。それは誰に指摘されなくても分かっている。それでもこれしか方法は無い。
もっと時間があったのならば、こんな結末を迎えることはなかったのかもしれない。けれど代案を提示するにしても、それを悠長に待ってくれる状況はとうに過ぎ去ったのだ。
「まだっ、何も返してないのに……っ、お礼も恩返しも出来てないのに」
ユルグと初めて出会った時、彼はフィノの「ありがとう」を受け取ってくれなかった。そんなものを言われたいから助けたわけじゃないと……そう言って拒絶したのだ。
いつか、「あの時、助けてくれてありがとう」と、立派になってお礼を言おうと考えていたのに、ユルグはまたそれを受け取ってはくれない。
恩返しをすると約束したのに、それも反故にされてしまうだろう。そんなものはいらないとユルグは言ったが……近いうちに出来るものとばかり思っていた。
「……もっと、ユルグと一緒にいたい」
フィノがユルグと一緒に居られたのは、二月ほどだ。この一年は別れていたから、彼と出会ってシュネー山の山小屋で暮らしていた、たった二ヶ月ぽっち。
フィノが彼と共にいられたのはそれだけなのだ。
つらつらと浮き出てくる未練はどれも叶わないのだと、心の底では分かっている。
だからここで吐き出して断ち切る。そうしなければ、迷いが生まれてしまう。
――もう失敗は許されないのだ。




