手を伸ばせば届く距離
食材を切ってそれをコトコト煮込む。出来上がるまでの手持ち無沙汰の時間、積もる話もあるのか。ラーセは鍋の火加減を弱めて、少しの間フィノの隣へと腰を落ち着けた。
「よく見ると少し背も伸びたんじゃないかい?」
「ん、……そう?」
「あと身体もしっかりしてるね。一年前はガリガリで肉も付いてなかったから、本当に心配してたんだよ」
昔を懐かしむように何度も頷くラーセに、フィノは苦笑を浮かべた。
どうやらフィノが思っているよりも彼女にはものすごく心労を掛けていたみたいだ。そりゃあ、あのユルグに着いていくと言い出すのだから、気が気ではなかっただろう。
「それで……あの男とはどうなったのさ」
「う……別に何もないよ」
フィノがユルグを好きな事は、ラーセには筒抜けなのだ。けれど彼女が想像しているような進展は何もない。
視線を逸らして口籠もっていると、彼女は奇妙な事を言い出した。
「まだ追いかけているのかい?」
その言葉が引っかかって、逸らした視線を戻してどういうことかと聞く前に、ラーセは少し悩んでから話し出した。
「……実はね。二日前に、偶然見かけてしまってね。声を掛けたんだけど、その……随分酷い有様だったから、何かあったんじゃないかと思っていたんだよ。フィノが一人で居るって事は、そういうことなんじゃ」
「――っ、それほんとう!?」
勢いよくラーセに掴みかかると、彼女は驚きに目を円くしながら頷いた。
彼女の話を聞く限りでは、フィノの予想を超えてユルグとの距離は確実に縮まっている。あと少しで手が届く距離にお師匠がいるのだ。こんなに嬉しいことは無い!
「一応、ここで見かけたことはフィノに会っても話すなって口止めをされていたんだけどね。どう見ても何かあった様子だったし、お節介を焼かないわけにはいかないよ」
「ラーセさん、っ……ありがとう!!」
「そんなお礼を言われるようなことはしていないよ……おかしな子だね」
ぎゅっと抱きしめると宥めるようにラーセはフィノの背中を撫でてくれた。温かな優しさが心に染みる。
それに安堵して抱きついた身体を離すと、おもむろにラーセへと尋ねる。
「ユルグ、他に何か言ってなかった? どこに行くとか」
「それがねえ、聞いたんだけど答えちゃくれなかったよ。あたしもそれ以上は聞けなくて……すまないね」
「ううん、いいの」
誰が聞いたところでユルグがそれに答えないことなど、フィノには十二分に分かっている。
ラーセは二日前にユルグに会ったと言っていたから、上手くすれば追いつくことも不可能じゃない。問題は……ユルグがどちらに向かったのか、ということ。
二日前にヘルネの居たというのならば、ルブルクで既に王殺しを成したと見ても違和感は無い。ついさっきに街へと辿り着いたフィノには、今情勢がどうなっているかなど知る由もないのだ。
ここで判断を間違って逆方向へ行こうものならば、せっかく縮まったユルグとの距離がまた開いてしまう。
少し悩んで……フィノはラーセに聞いてみることにした。
「ラーセさん、最近何か事件なかった? ええっと……誰かが殺されたり、とか」
それとなく、とはいかなかったけれど出来るだけぼかして尋ねると、ラーセはフィノの問いかけにあっさりと肯首した。
「ああ、それなら数日前に首長が亡くなったって聞いたね。なんでも魔王だかがやったとかなんとか……方々で言われているよ。この国はそんなに広くは無いから、噂話はすぐに広まるんだ。まったく……物騒になったモンだよ」
やれやれと首を竦めて、ラーセは嘆息した。けれどどこか他人事というか。そんなに驚いた素振りも見せていない。
「王様が殺されたなら大変なんじゃないの?」
「それが案外そうでもなくてね。デンベルクは他国の王制度とは少し違っていて、上に立つ者は代表者の中から選ばれるんだ。沢山の部族が集まって出来たお国柄ってやつだよ」
「んぅ、そうなんだ。知らなかったや」
「だから首長が殺されたことよりも、次の首長を決めることに躍起になってるんだよ。王様が殺されたなら、他国は後継問題でてんやわんやだけど、まあ、ウチの所はそんなに問題にはならないね」
それでも魔王が殺したという事実は脅威である。近々何かしらの対策は取られるはずだと、ラーセはフィノに教えてくれた。
ラガレットの公王も魔王に殺されたというのは、既にどの国の民も知っていることだ。彼女の言い分もあながち間違いでも無いのだろう。
けれど、この状況はアリアンネの計略通りになっているということでもある。
こんなふうに各国の権力者を魔王が殺して回っていると公になれば、当然警戒もするし今まで以上に脅威であると認識される。漠然としていたものが明確な形となって命を脅かしてくるのだ。権力者でなくとも、次はどんな被害をもたらすのか。それが自分にどう災いするのか。気が気では無くなるのだ。
そうなれば恨まれるのは魔王である。姿の見えない巨悪にはどれだけ石を投げつけても、誰も気にしない。それが正しい事だと信じて疑わなくなる。
そうして――その果てにある結末に誰もが胸を撫で下ろす。
その状況が、フィノにはどうしても我慢ならないのだ。
アリアンネの話を聞いて得心はいったが、それでもフィノは納得していない。もちろんこれはユルグも承諾して行っていることだ。目的を果たすためなら、彼はどんなことでもやってのける。
それでも……どんな理由があってもこんな馬鹿げたことはして欲しく無いというのが、フィノの本音だった。
ユルグの復讐に、そんなことは間違っているとは言えない。大切な人が殺されて、報復するなと言う方が無茶な話である。フィノだって、もしユルグと同じ立場ならば彼と同じことをしていただろう。糾弾して責め立てることなど出来やしないのだ。
けれど……ユルグが今すべきは、こんなことではない。ミアが居なくなって、たった一人の肉親さえ亡くしてしまったのならば、産まれたばかりのヨエルがあまりにも可哀想だ。
例え少ししか生きられなくても、残された時間をめいいっぱい使って傍にいてやるべきだ。
だから……フィノは必ずユルグを連れ帰らなくてはならないのだ。
「だったら、もう行かないと」
既にデンベルクでの王殺しが成されたのならば、ユルグが次に向かったのはお隣のルトナーク王国である。
今すぐ追いかければ彼が国王を殺してしまう前に止められるかもしれない。
立ち上がったフィノに、ラーセは驚きに目を見開いた。
「えっ、もう行くのかい? せっかく作ってるんだから食べていきな」
「でも、すぐに追いかけないと」
「だったら尚更だよ。腹が減ってちゃ力も出ないだろ? こういうのは体力がないと続かないモンだよ」
「そっか……そうだね」
ラーセの言い分ももっともである。気力でどうにか出来ないことだってあるのだ。長距離を行くのならば身体は資本であるし、こういう時こそしっかり準備をしなければならない。
立ち上がったフィノは納得すると、すとんと椅子に逆戻りする。
それに満足げに頷いたラーセは厨房に戻っていくと、深皿になみなみと盛ったシチューを差し出した。
「今度来るときは彼も一緒に連れといで。特別にサービスしてあげるから」
「うん。ラーセさん、ありがとう」
「礼なんていいんだよ。それよりも……愛想尽かしたなら、あたしはいつでも歓迎するからね!」
以前別れた時と同じ文句を言う彼女に、フィノははにかみながら笑みを零すのだった。




