足跡を追う
一日半ほど馬車に揺られてメルテルへと着いたフィノは、すぐさま街を出てスタール雨林へと向かう。
休息の一つでも取れば良いのだろうが、そんなことをしている余裕はないのだ。それでも必要最低限の休息は取りつつ、雨林へと足を踏み入れたところでフィノはふと思い立つ。
こうして我武者羅にユルグを追っているけれど、ここまでの道程はフィノにとってとても懐かしいものだった。
メルテルではゆっくり出来なかったけれど、あの街ではユルグに沢山の事を教えてもらったのだ。彼に出会ってから……足を引っ張ってばかりで役立たずだったフィノが、初めてユルグに認められた場所。
たった一言、ユルグにしてみれば何の気なしの言葉だったろうがフィノにはとても嬉しかった。それに舞い上がっていたら、翌日には見事に置いていかれたわけだけど。
嬉しい思い出と共に苦い記憶も蘇って、思わず無意識に顔を顰めながら足場の悪い道を黙々と進んでいく。
この場所――スタール雨林も、最悪な場所ではあるが全部が全部疎ましいわけではない。
ここでフィノはユルグに約束したのだ。一番になるから死なないで、と。彼はそんなことは出来っこないと馬鹿にしたが、それでもフィノは本気だった。
あの時のフィノにはユルグしかいなかったし、何より大好きな人に死なれるのは嫌だったからだ。だから無理矢理にこじつけて何とかしようと躍起になっていた。
今のユルグにあの時と同じことを言ったのならば……彼は何と答えるのだろう?
半ば分かりきった答えを思い浮かべる前に、フィノは黙々と歩いていた足を止めた。
「そろそろ休もう」
どれだけ急いでいても不眠不休で歩き続ける事は出来ない。日が暮れては進むのもままならないし、明け方になったら出発できるようにしっかりと休息を取ることも大切だ。
以前に使った樹洞に足を踏み入れて、一息つこうとしたフィノの目にある物が入ってきた。
「……これ」
樹洞の内部には誰かが居た形跡があった。
比較的最近に使われた焚き火跡と、放られた血濡れの包帯。それらを目にして、ここに誰がいたのか。フィノはすぐに見当が付いた。
「これ、お師匠のだ!」
こんな場所をわざわざ通っていく人間なんて彼しか思い浮かばない。
初めて目にした確かな痕跡に、フィノは嬉しくなりながら慌てて地図を取り出して今のユルグがどこに居るのか。大凡の現在地を割り出すことにした。
「ええっと……」
五日分の距離がまだそのままであると仮定するならば、スタール雨林を抜けるのに急いで二日。そこから近場のヘルネの街を目指すとさらに半日。
ユルグがここから、まっすぐに首都ルブルクへと向かったのならば、約四日の道程となる。そこで首長を始末して、ヘルネまで戻ってルトナークへと向かう。
フィノが追いつけるとしたら日数的にヘルネからルトナークへ向かうあたりだろう。
そうとなれば急ぎたいところだが……既に陽も落ちてきているし今は休むべきである。渋々地図を背嚢へとしまって、焚き火を起こし休息の準備をしながら、フィノは今までずっと背中を追いかけるしか無かったお師匠へと想いを馳せる。
……もし、予定通りにユルグと会えたのならば。その時、なんと声を掛けたら良いのか。ずっと考え続けているけれど、まだ納得のいく答えが出ていないのだ。
こんなことはやめてと言っても、抱きついて留めても。
何をどうしてもユルグに届かないことは、フィノにだって理解出来ている。結局、フィノにはあの約束は果たせなかった。彼女ではユルグの一番にはなれなかったのだ。
一年前……ユルグが黒死の龍を斃してから、穏やかに日々を過ごしていたあの時を思い起こせば、フィノが出しゃばる必要などどこにも無かったのだ。彼の傍にはミアがいた。それだけで十分だったのだ。
もちろん、ユルグのことは好きだし大切な存在である。けれど、フィノの抱く彼への想いはただの恋愛感情とは少し違うのだ。
初めて出会った時はそうであると思っていた。けれど、ユルグの内面を知れば知るほどに、彼に必要な物は愛情とはもっと別の物だと気づいた。
誰かを好きになる以前に、フィノが出会った勇者であるユルグは全てに疲れ切っていたのだ。何にも期待せずに自分の命も省みない。いつ死んでも構わない。そんな自暴自棄な道を歩んでいたのだ。
あの時のユルグはミアの言葉にも耳を貸さない有様だった。それほどまでに彼の決意は固く、頑なだったのだ。
それをどうにか出来なければ、彼は自分の死に場所を探し回って、いずれ死んでしまう。そんな予感がしていた。実際に黒死の龍を討とうと無謀を貫いていたのだ。フィノの懸念は当たっていて、何をしようともフィノにはそれを止められなかったはずだ。
きっとそれを止められたのはミアのおかげだ。どう足掻いてもフィノではユルグの全てを癒やしてあげることは出来なかった。それは自分でも嫌と言うほどに理解していること。
だから……今のユルグに必要なものは言葉ではない。もっと直接的なものだ。
それこそ、殴ろうが何をしようが絶対に止める。そこまでの気概がなければ、きっと彼は止まらないだろう。
一度チャンスを逃してしまえばそれまでだ。だから、生半可な覚悟では向き合えない。
「皆と約束したんだ。絶対に連れ帰るって……だから」
燃え盛る炎を見つめて、覚悟が揺らがないように口に出す。
それに応える声音は無く、夜の闇に消えていった。




