狂気の戯曲
アリアンネの語った計略は、行き着く先はユルグが成そうとしている事と何ら変わらない。けれど、それに至る過程が正気の沙汰としか思えないほどに、まともではなかった。
「わたくしが事を急いだ理由は、あと一年で次代の勇者の選定が始まるからです。それが成されてしまえば、また同じことが繰り返される。それを阻止するために、荒療治であっても世界中を欺く戯曲が必要なのです」
例え、勇者と魔王を廃しても世界はそれに納得しない。各国の王は今までの安寧を取り戻そうとするだろう。何も知らない民たちも鵜呑みにして信じる者はいない。確実に世界を脅かしている脅威を排除しなければ、声を上げても無意味なのだ。
それこそ、二千年前から今までの出来事を繰り返してしまいかねない。
だから、アリアンネはどうすれば良いのかこの一年考え尽くした。そうして出した答えが、世界の全てを敵に回す、絶対的な悪を創り出すこと。
魔王に、本来の魔王としての役割を遂行してもらおうと考えたのだ。
……だから、ユルグをこうして嗾けた。大事なものを奪って、退路を無くして復讐鬼に仕立て上げる。アリアンネが自分の命に執着しないのならば、それが一番手っ取り早かったのだ。
きっとこんな話を持ちかけられても、ユルグは首を縦には振らなかっただろう。彼には守らなければならない人がいた。手中にある幸せを投げ打って、アリアンネの計画を遂行する意味もない。
実際に、ユルグは以前アリアンネの皇帝暗殺計画を蹴っている。
思えばあの時からアリアンネはこの戯曲を考えていたのだろう。だから、魔王であるユルグに協力を依頼したのだ。彼女がそれに固執していたのはこのせいだ。
しかし、例え勇者の選定がなった後でも、まだ時間は残されているのだ。その間に問題を解決できる可能性だってあった。
けれど、アリアンネにとってそれは悠長に過ぎるのだ。彼女の願いは二度とあのような犠牲を出さないことだ。そこだけが決定的に相容れなかったのだ。
「その為にはまず、各国の王を殺してもらいます。最小限の犠牲で成果を出すにはそれが最善なのです。わたくしの命はその最後列に用意しますから、それまで我慢してくださいね」
でも――とアリアンネは続ける。
「本来ならば……わたくしが魔王であった時に実行できれば、誰も犠牲にならずに済んだのです。今更こんなことを言っても、何にもなりませんけどね」
彼女の仮定は、アリアンネが魔王として悪意を集めてそれを勇者のユルグが倒す。そこで世界中に魔王は倒されたことを認知させて……千年続いた慣習を終わらせる。
それが成されていたのならば、勇者は本物の英雄になれていたことだろう。
「生かされたわたくしが出来るのは、こんなことしか思い浮かばないのです。せっかく命を賭して救ってくれたのに……合わせる顔がありませんね」
ティナの顔を覗き込んで、アリアンネは答えが返ってこない懺悔を口にする。
そこにユルグは無遠慮に問い質す。
「……俺が全てを成し遂げて、最後にお前が俺に殺されてくれる保証がどこにある」
極論を言ってしまえば……今ここでアリアンネを殺すことだって出来るのだ。ユルグが自分の復讐だけを成すのならば何も問題はない。
そもそも、彼女の言う計画をユルグが律儀に手を貸す必要も無い。けれど、それを選択してしまえばミアの死が無意味なものになってしまう。
そして、ユルグにそんなことは出来ない。きっとアリアンネはそれも見越して、全て織り込み済みなのだ。
だから……言ってしまえばこの問いかけは、彼女の真意を問うものだ。
「安心してください。自分の命を惜しんで逃げ出す真似などしませんよ。わたくしは、既にこの世に未練などありませんから」
やるせなく笑って、瞳を伏せた彼女を見てユルグはそれならば、と納得する。
その気持ちならばユルグにも十分に理解出来るものだ。だったら何も心配することはない。
「……いいだろう。死出の旅路のついでだ。付き合ってやるよ」
そうして、魔王は悪魔の手を取ったのだ。
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「そうなれば……最後に誰が俺を殺してくれるかだ」
「誰か適任はいないのですか?」
「ああ……一人だけ」
思い浮かんだ名を口に出す前に、二人の間に今まで沈黙していたマモンが割り込んできた。
『……っ、馬鹿な事はやめろ! そんなことをして、二人が喜ぶとでも思っているのか!?』
彼の心の底からの叫び声を聞いて、ユルグは思わず笑い出しそうになった。
マモンに対してはアリアンネのように恨んではいない。けれど、その存在を快く思っているわけではないのだ。だから、どんなことを口に出しても、幾ら傷つけようが少しも良心は痛まない。
「お前にそんなことを言える権利があると思っているのか?」
『……だが、今のままでは』
「言ったでしょう? この世に未練など無いのです。貴方が何を言っても、何も変わらないのですよ」
アリアンネの言葉に、マモンは口籠もった。
項垂れたまま、身動きしないマモンにユルグは足先を外へと向ける。ここに居ても何にもならないし、やるべき事は決まったのだ。だったら迷わずに突き進むだけだ。
ユルグが二人の前から姿を消した後……マモンはゆっくりを顔を上げた。
『な、なぜ……名前で呼んでくれない』
「……え?」
『お、お主が名付けてくれたものだろう!』
「ああ、そうでしたね。確か……ただの魔王では味気ないからと……ふふっ、安直ですけどあれでもかなり悩んで考えたのですよ?」
『だったら』
縋るように言い寄るマモンに、アリアンネは冷ややかな眼差しを向けた。
「貴方の知るわたくしと今のわたくしが同じだと思っているのですか? そうだとしたら、本当におめでたいですね」
『あ、アリアンネ……』
拒絶されながらも手を伸ばして触れようとしたマモンに、アリアンネは冷酷な言葉を投げつける。
「これ以上貴方と話しても無意味です。はやく、消えてください」
『…………っ、わかった。わかったよ』
その一言に伸ばしていた腕も下がっていく。
そうして、マモンはドロドロに溶けてアリアンネの眼前から消えてしまった。
誰もいなくなった広間で、アリアンネは横たえた亡骸に手を伸ばす。
既に冷たくなった身体に触れて、血塗れの手で頬を撫でる。
ぽたぽたと零れ落ちた雫が、乾ききった血を滲ませて、消えていった。




