冷酷な眼差し
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それを聞いて、ティナは目を見開いて固まった。
「な……何かの冗談ですよね? だって、そんなこと」
縋るような眼差しはじっとアリアンネを見つめている。
けれど、言葉では否定しても今の状況が全てを物語っている。アリアンネの企てでミアが犠牲になったこと。
聡いティナならばすぐにその答えに辿り着く。そうして彼女は瞳から涙を溢れさせて、膝から崩れ落ちた。
哀惜に傷心している従者を目にしても、アリアンネは顔色一つ変えなかった。それどころか、淡々と事実を述べていく。
「冗談ではありませんよ。わたくしが彼女を亡き者にしろと命じたのですから」
容赦のない告白に、この場にいる全員が息を呑んだ。
泣き崩れているティナも、傍で静観していたマモンも。もちろん、ユルグでさえも。
きっと前者の二人はアリアンネの言葉を信じないだろう。そんなことをしても、彼女には何の得にもならないのだ。ユルグを狙うのならばまだ筋は通る。けれど、ミアを……何の影響力も持たない一般人を殺したところで何にもならないことなど、誰にだって分かること。
それに加えてリスクもある。そんなことをしてしまえば確実にユルグの怒りを買うことになると、目に見えていたはずだ。
けれどアリアンネはそれを推してまで強攻策に出た。そこには意味があるのだろうが、どうしてもマモンにはアリアンネの真意が測れないでいた。
もちろんこの事はユルグもずっと心に引っかかっていた。
そもそもがおかしな話である。アリアンネの目的は未だ不明瞭ではあるが、仮にユルグを思い通り動かしたいのであればミアを人質に取った方がリスクは少ない。それを彼女が見落とすはずもないのだ。
けれど小屋を襲った連中に聞いた話では、初めからそんな考えは一つもなかったのだと物語っていた。
きっとアリアンネの思惑は最初から一貫していたのだ。あの凄惨な出来事は、偶然などではなかった。彼女の口からそれを聞いたことで、やっと疑惑が確信へと変わったのだ。
それでも……ユルグはどうしても彼女に聞かなければならないことがあった。
「どうして……ミアは死ななきゃならなかったんだ」
掠れた声で絞り出した呟きは、痛々しいものだった。誰が見ても今のユルグは悲惨すぎて目も当てられないものだ。けれど、彼は泣きもしなければ喚きもしない。ティナのように、大切な人の死に、少しも動揺をみせないのだ。まるで、心のない化物のように。そこにあるのは憎悪だけだ。
ここまでユルグを傍で見続けていたマモンには、すぐにその異変が分かってしまった。けれど彼ではユルグを止められないのだ。きっと誰の声も彼には届かない。
「あいつが何かしたのか?」
「……いいえ、彼女には恨みなど一つもありません。もちろん、貴方にだって。わたくしは誰も恨んでなどいないのです」
「……っ、だったらなんで」
「貴方にはどうしても成し遂げて頂かなければならない事があるのです。その為にわざと嗾けるような真似をした」
容赦のない言動に、ユルグは肩を震わせて声の限りに吠えた。
「お前はそれがどういうことか、分かってやっているのか? 俺がッ! お前を生かしておくと思ってんのかッ!?」
「いいえ……元々その予定でしたから何も問題はありません。寧ろ、そうして頂かなければ全てが水の泡になってしまいます」
アリアンネの予想外の肯定に皆、耳を疑った。
彼女は今、殺されても良いと言ったのだ。それが本懐であると、そのつもりだから何の問題もないのだと。そう言った。
「ふざけるなよ……だったら……っ、だったら望み通りに殺してやるよ!」
手中にある剣を握りしめて、斬りかかろうとユルグは踏み出した。
けれど、その望みは叶うことは無かった。
直後に、傍に居たマモンがユルグの身体を掴んで、うつぶせの状態で床に押し倒したのだ。
「ぐっ、はなせッ!!」
『……すまない。それだけはやめてくれ』
表情も無く悲痛に訴える声音は、彼の中で葛藤が巻き起こったことを如実に表していた。
しかしマモンはアリアンネを取ったのだ。彼が他の全てを犠牲にして救った命だ。そうしない道理は無く、ユルグもそれは予感していた。
けれど、マモンにはこの結末を変えるだけの決断は出来ないのだ。
もしそれが出来るのならば、今すぐにユルグを殺せばいい。彼にはそれを可能に出来る力がある。マモンがユルグから離れて、他の人物を依代にすれば瘴気の毒に冒されているユルグはすぐに死に絶えるだろう。
今のユルグを止めるにはそれしか方法は無い。しかし、マモンはそれを選べないでいた。おそらく今もまだ、彼の中では葛藤が続いているのだ。
心ない化物では無くなったマモンには、非情な決断を成すことなど、無理からぬことだった。
――しかし。
それを見ていたアリアンネの眼差しは酷く冷たいものだった。
「……貴方は本当に余計な事ばかり」
「……お、お嬢様?」
小さな呟きは、アリアンネの傍にいたティナにしか聞こえなかった。
ティナがその言葉の真意を測れないままでいると、アリアンネは一つ溜息を吐き出すとマモンへと言葉を投げかける。
「先ほどわたくしは誰も恨んでいないと言いましたが、一つだけ。貴方だけは心の底から憎らしいのですよ」
彼女は射殺すような眼差しをマモンへと向ける。
『う……っ、なにを』
「貴方が余計なことさえしなければ、こんな犠牲を出すことも無かったのです」
『な、何のことを言っているのだ?』
「まだ分かりませんか」
静かに言い放って、アリアンネは玉座から立ち上がった。
眼下にいるマモンから目を逸らすこと無く、赤い絨毯を踏みしめて近付いていく。
「六年前、わたくしの記憶を消さずにそのままで居てさえくれれば、ここまで話が拗れることはなかったのです。……勇者様もその使命を果たせて普通の生活を送れていたはず。もちろんミアもこのように死ぬこともなかった」
誰しもが、彼女の言葉に釘付けになっていた。
アリアンネを殺そうと息巻いていたユルグでさえ、マモンに抑え付けられながら聞かずにはいられなかった。
簡潔に心の内を晒すのならば、彼女がどうしてこんな話をしだしたのか。ユルグには分からなかったのだ。
きっと誰にも分からないだろう。当事者である、マモンでさえも。
『だが、それではお主が』
真正面に立ち尽くしたアリアンネを見つめて、マモンが切れ切れに言葉を紡ぐ。
それを聞いて、彼女は失笑した。
「わたくしが死ぬから、何だと言うのですか? わたくしがいつ助けてくれと頼みました? 仇の貴方に卑しく命乞いなどするわけ……っ、ディトを殺した貴方にっ! するわけないでしょう!?」
感情を荒げることのないアリアンネが、怒りを剥き出しにしてマモンへと掴みかかった。
『お、己はただ……そんなつもりは』
激昂した彼女に、マモンはただ狼狽えるだけだった。
「貴方には、わたくしは世間知らずの皇女に見えたことでしょうね。あのままにして生かしておけば、絶望して自死しかねない……か弱い女だと。だから救ってやろうと思ったのでしょうが……ふふっ、思い上がりも甚だしいですね」
『……やめてくれ』
ユルグを抑え付けたままのマモンは項垂れて、力なく呟いた。
大切に想っていた人に恨まれていたのだ。それどころか、彼のしたことは全て裏目となってしまっていた。
アリアンネは魔王であることを望んでいて。そうであったのならばユルグがこうして犠牲になることも無かった。ミアだって、彼女の謀略で死ぬ事だってなかったのだ。
すべてが、マモンの所為でなったこと。たった一つの歯車が狂ってしまってこの状況が出来上がってしまったのだ。
「貴方に救いを求めるくらいならば、わたくしは全てを背負って死ぬ事も厭いません。だから……はやく死んでくれませんか、魔王様?」
そうして彼女は、終わりの言葉を唱えた。




