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【マルチエンド】追放勇者は孤独の道を征く  作者: 空夜キイチ
第一部:黎元の英雄 最終章
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無くしたものの重さ

 

 目を覚ましたユルグの視界は真闇が支配していた。

 しっかりと目を開けているはずなのに、何も見えない。何が起こっているのか分からないまま、動揺して呼吸も浅くなる。

 やがて口を塞がれているような息苦しさを感じて――


「――ぶはっ!」


 あまりの息苦しさに身体を起こすように動かすと途端に呼吸が楽になった。

 どうやら今までうつぶせで気を失っていたらしい。


 身体の下を見遣ると、そこには瘴気のヘドロ溜まりが出来ていた。

 それを目にして、何が起こったのか。ユルグは瞬時に察する。




 あの後、マモンからの忠告をユルグは聞き入れなかった。

 彼の言葉に何も感じなかったわけではない。けれど……自己犠牲を礎とした生き方しか知らない。それしか出来ないのだ。土壇場でそれを改めて、考えを変えろと言われても無理に近しい。

 マモンだから反発したのではない。他の誰かに同じことを言われても、ユルグは聞き入れなかっただろう。



 そして、当初の予定通り。

 祠の内部。祭壇に置かれている、まっしろな匣を見つめて事は済んだ後なのだと理解する。


 これでここら一帯からは魔物の脅威は去った。野生に生息している小物はいるが、どれも甚大な被害を及ぼすものではない。

 黒死の龍のような脅威が顕現することはないだろう。


 もちろん、名も知らぬ誰かの為にやったことではない。それでも……誰に言われたからではない。自分で選択したことだ。そこに後悔は僅かもない。


「あれからどれだけ時間が経ったんだ?」


 ぼんやりとする頭を振って、ユルグは周囲を見渡した。

 祠の内部にいるのはユルグだけだ。マモンの姿はどこにもない。ユルグの中に隠れているわけでもなさそうだし、気絶したユルグを置き去りにして街に戻ったのかもしれない。


 天井の吹き抜けから降りてくる雪の降り具合からして、ユルグが気絶していたのはそれほど長い間ではなさそうだ。

 身体に積もっていた雪もまばらであるし、もしかしたら数分前までは彼もこの場にいたのかもしれない。


「今のところ……身体の不調はなさそうだな」


 腕や足を動かして状態を確認する。

 あれほどの瘴気を浄化したのだから、相当なものだろうと覚悟していたのだが……蓋を開けてみれば思った程ではない。しかし、それに至るまでの過程は壮絶だ。出来るなら二度とやりたくはない。


 吹き抜けから空模様を見ると、既に日が落ちかけている時分だった。それに慌ててユルグはふらつく身体で立ち上がる。

 ミアから街でのおつかいを頼まれていたのだった。すべて終えられなかったが、あまりにも遅ければいらぬ心配をかけてしまう。


 傍に投げ出されていた背嚢を掴んで、歩き出した――その瞬間に、腹の底から湧き上がってくる不快感に、四肢の力が抜けて膝から崩れ落ちてしまう。


「がっ――げほっ」


 込み上げてくる吐き気を外に吐き出そうとすると、途端に喉奥からヘドロが溢れてくる。

 加えて酒で悪酔いを起こした時のような気分の悪さ。

 以前体感したような、息継ぎも出来ない程の症状ではないが……これの一番性質(たち)の悪いところは、四肢に殆ど力が入らなくなることだ。


 最悪溢れてくるヘドロは飲み込めなくもない。しかし、いきなり倒れでもしたらそれこそ言い訳のしようがないのだ。

 症状が出る条件でもあるのか……不明であるが、少なくともこれはマモンが匣の瘴気を浄化しきれていないことを示している。

 匣に溜まっていた瘴気は綺麗さっぱりなくなってはいるが、マモンの中に留めた瘴気は浄化が追いついていないのだろう。その影響がこうしてユルグにも表れているのだ。


 原因はわかった。しかし、対策のしようがない。けれど、ここで蹲っていてもどうにもならないのも事実だ。


 どうしようかと悩みながら口元のヘドロを手の甲で拭って立ち上がる。

 その瞬間、明確な違和感が浮き彫りになった。


 最初は勘違いだと思っていたのだ。

 雪の降る屋外で気絶していたため、身体が冷え切っていて……それで、指先や末端の感覚が乏しいのだと。そう思っていた。


 けれど、今この瞬間に違うと気づく。

 冷え切っていたから感覚が麻痺していたのではない。もう既に無いのだ。


 感覚とは大雑把な表現だがユルグの場合、今回の代償は触れたものの温度を感じないこと。

 身を切るような冷たさも、安息出来る温かさも。何も感じないのだ。


 現状を知って、ユルグが一番に思ったのは昨夜の出来事だ。


 彼女と一緒に寝て、すぐ傍にある体温に安堵する。そんなささやかな幸福も、なくなってしまった。


「……好きだったんだけどな」


 このまま人の形から離れていって、その果てに心さえなくしてしまったのならば。

 それは化物以外の何物でもない。


 きっとそこに至るのは、それほど遠い未来の話でもないのだろう。


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