似たもの同士
突然のユルグの宣言に、マモンは驚愕に口をあんぐりと開けたまま瞠目した。
『な、何を言い出す!?』
「俺は本気で言っているんだ」
先のユルグの一言で、彼が何をしようとしているのか。マモンにも理解出来たのだろう。だから普段の彼からは想像が付かないほどに焦っているのだ。
「そろそろ匣の浄化をしておかなくちゃいけないだろ」
『……それは、そうだが』
「避けられないことなら、早めにやっておきたいんだ」
『…………わかった』
確固とした意思を見せると、マモンは重苦しく頷いた。
===
マモンを引き連れて街を後にすると、ユルグはまっすぐに虚ろの穴へと向かう。
その足取りは僅かも淀みなく、迷いのないものだった。
『己が聞くべきではないのかもしれないが……何かあったのか』
ユルグの少し後ろを着いてきていたマモンは、前を行く背中に声を掛ける。
魔王である彼が、こうして気に掛けるのはお門違いなのかもしれない。それこそユルグの神経を逆撫でしてしまう恐れもある。
けれど、彼にも他人を想い遣る心はあるのだ。それを自覚したのはアリアンネと出会ってからではあるが、今まで……二千年の間に幾度も同じ結末を見守ってきた。
それらすべてに何も感じなかったわけではない。感じないように……心ない化物として振る舞ってきただけだ。そうしなければ今まで耐えられなかっただろう。
いかに不死身の化物といえど、心があるのならば完全無欠の怪物になどなれはしないのだ。
マモンの問いかけに、ユルグはすぐに答えなかった。
黙々と雪を踏みしめる音だけが木霊する。
少しして白い吐息を吐き出すと、微かな声音がマモンの耳朶を打った。
「死ぬのは怖くないんだ。ただ……俺が居なくなった後の事を考えると、今のままじゃいられない。幸福に満足して前に進めなくなる前に、やるべきことがあるんだ」
ユルグの言葉はマモンへの答えではなかった。無意識の独白に近いものだ。
それに返答を求めていないことは、マモンにも理解出来た。
「こんなこと、不死身の魔王様に言っても意味がないけどな」
笑い飛ばして、ユルグは丘陵をのぼっていく。
おそらくマモンが何を言って留めようが、その足は止まることはないだろう。付き合いが長いわけではないが、一月、二月と傍で見ているとこの男がどういう人間かは否が応でも理解してしまう。
未来へ続く道が、破滅であろうが孤独であろうがユルグにとってはどうでもいいのだ。きっと彼は何にも期待はしていないのだろう。
そうしなければ生きられないのだ。哀しい生き方だが、マモンはその背中に既視感を覚えた。
かつて、マモンを友人と呼んでくれた彼――ログワイドも似たような生き方しか出来ない男であった。
彼の人生が空虚なものであったのかは、マモンには推し量れない。
晩年のログワイドは彼を愛してくれる者と出会い幸せそうに見えたが、それでもどこか、心の内に孤独を抱えていたように思う。
そしてそれを誰にも明け渡さなかった。友人と称しておきながら、彼はマモンに何も語ってはくれなかったのだ。
今回も結局は同じことの繰り返しになるだろう。沈黙しか返せないのならば、それが全ての解答なのだ。
===
黙々と雪道を歩いて、目の前には祠の石扉。
冷え切ったそれに手を掛けて、ユルグは内部に足を踏み入れた。
祠の内部は以前来た時とだいぶ様相が変わっていた。足元を漂っていた瘴気の淀みが消えている。おそらく匣に溜まっていた瘴気を一部浄化したことで、滞留していたものが吸収されたのだろう。
後ろから着いてくるマモンの気配を感じながら、ユルグはまっすぐに匣が奉られている祭壇へと近付く。アーチを登って匣を手にすると、それをマモンへと投げつけた。
鎧姿となって匣を受け取ったマモンは、それをまじまじと見つめたまま身動きすらしない。どうやら彼の中では無意味な葛藤が巻き起こっているらしい。
それに声を掛けることなく祭壇から飛び降りると、ユルグは地面に腰を下ろした。胡座をかいて背中はアーチへと寄りかける。出来るだけ楽な姿勢を取ると、そこでマモンへと語りかけた。
「時間を掛けて浄化するなんてのはナシだ。今回ですべて済ませる」
『――っ、馬鹿な事をいうな!』
ユルグの決断に、マモンは声を荒げて反論した。
『良いか、瘴気の毒が肉体に与える影響は治るものではないのだ! 欠損した四肢が元通りに付かぬことと同じ。何かしらの不調が出てからでは遅すぎる。元も子もないのだぞ!』
「それがどうしたって言うんだ。俺が魔王の器である限り死にはしないんだ。それで十分だろ」
『……っ、何をそんなに生き急いでいる』
「さっき言っただろ。不死身のお前にはわかりっこない。話すだけ無駄だ」
マモンの心配を全て突っぱねたユルグは、さらに続ける。
「それより、俺の提案にもっと喜ぶべきだろ。魔王の使命の手伝いをしてやるんだから」
まるで自暴自棄になっているかのような物言いに、マモンは言葉もなく沈黙した。




