上手の交渉
――同時刻。
フィノは怒っていた。
それもそのはず、いきなり師匠がこの村の村民に無体を働かれ、囚われてしまったのだから。
「それで……私どもの話はご理解頂けたでしょうか」
「うん、なんとなくだけど」
フィノの面前にはへこへこと遜った村長が、ようやく長話を終えたところだった。
元々この村にはログワイドの一族が隠れ住んでいたのだ。しかし二十年前に、ラガレットの公王に追放処分を言い渡されてしまった。従わなければ村共々滅ぼすと脅され、だったらと追放処分を受け入れたのだという。
それがフィノの母親であるユーリンデだ。彼女のその後の足跡は知れないが、フィノがユルグと出会ったのはここより遙か西の地だった。
無意味な諍いや差別から逃れるように彼女も西へ逃れたのかもしれない。
その道中で奴隷商に捕まり……後の顛末はフィノも知るところである。
母親の形見であるペンダントは、どうやら一族で受け継がれていたもので、それの有無は先ほど村長に聞かれた。
馬車代として売り払ってしまったから手元にはないが、青い宝石のあしらわれたものだと話すと彼はフィノを一族の後継だと信じてくれたようだ。
――本題はここから。
そもそもどうして彼女がこうして大人しく話を聞いているか。
それは端的に言えば脅されたからであって、彼らの話を聞きたいから黙って従っているわけではない。
彼の話はフィノをログワイドの後継として、上に据えようというものだった。要は千年前と同じ状況に持って行きたいということだ。
一族の責務を全うして魔王を継承する。そうすれば自ずとかつてあった地位の回復は望めるし、これ以上虐げられることもない。
村長の考えはフィノにも理解は出来た。
けれど、それを望んでいるかと言われると素直に頷けない。
お師匠がそれで助かるのならば喜んで引き受けるつもりだ。けれど、今の段階では魔王を譲渡されてもユルグの寿命は変わらない。むしろ今の状況がかろうじて彼の命を引き延ばしているのだ。
それをどうにか解決できる手段を探さなければ、フィノの行為は無駄になってしまう。
けれど、悲観するばかりではない。
この村にはその手掛かりを探すためにやってきたのだ。ならば、フィノの交渉次第では上手く事を運べる可能性もある。
「……フィノにできることはなんでもする」
「それは、私どもの提案を呑んで頂けると、そういうことでしょうか?」
「うん。そのかわり、きょうりょくして」
彼らがフィノをどうにかして操ろうというのならば、それを逆手にとってこちらの要望を押し付けることも可能だ。むしろ彼らの立場はフィノよりも下だ。
こうして初対面の彼女に縋ることしかできないのなら、自分たちで何かを変えようという気概もない。だったら掌握は簡単にできる。
こうして人を騙す行いは心痛むものがあるが、最初に謀ったのは向こうだ。ならばやり返されても文句はいえない。
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「遺産である石版は私が保管しています。お望みならば今すぐにでもお出ししますよ」
「レルフはそれ、よめるの?」
「ええ、少しは……といっても全容が知れるわけではありません。秘匿すべき内容は暗号化されていて、読み解くには難儀するはず」
村長――レルフは上機嫌にフィノの質問に答えてくれた。
淹れたてのお茶を啜りながら話を続ける。
「私どもの大願は我らの地位の向上。これ以上差別されて、迫害されながら生きていくのは我慢ならないのです。そこでフィノ様の力をお借りしたい。奇しくも貴女様は私どもと同じハーフエルフだ。悪い話でもないでしょう」
「うん、そうだね」
素直に頷くとレルフは柔和な笑みを浮かべた。
正直に言えば彼らの考えには賛同できないところもある。結局は他人に縋っているだけだ。
カルロが村に嫌気が差して出て行ったというのも頷ける。
「でもおししょうはかいほうして」
「それは……あまり良い考えとは言えませんが」
「ずっととじこめておくこと、ないでしょ」
彼らはユルグを解放することで魔王の継承が出来なくなる事を危惧している。
けれどフィノはユルグの弟子で、彼を言いくるめることも可能だ。それを説明すると、渋々ながらもレルフは了承してくれた。
「わかりました。フィノ様の意向に従いましょう」
話はそこで終わった。席を外したレルフと入れ替わりで、フィノは席を立つ。
監視するかのように門衛の一人がフィノの背後に付き従ってくる。それを無視して家屋の外に出ると、フィノが出てくるのを待っていたのか。黒犬のマモンが尻尾を振りながら近付いてきた。
抱き上げて村の中をぶらぶらと散策しながら、背後の門衛に聞かれないように小声で話しかける。
「おししょうは?」
『あやつなら無事だ。先ほど脱獄させてきた』
「そっか。よかった……」
ほっと息を吐いたフィノに、マモンは心配そうに見上げてくる。
『フィノは大丈夫なのか? あの村長と何か話していたみたいだが』
「うん、だいじょうぶ。おししょうもかいほうしてくれるし、せきばんもみせてくれるって」
『なんと! そこまで一人でこぎつけたのか?』
フィノの報告にマモンは心底驚いていた。きっとここまでの成果は上げられないと思われていたのだろう。ユルグも同じ考えに違いない。
「おししょう、ほめてくれるかなあ」
『あやつは素直ではないからなあ。でも、今回はお手柄だ。手放しで褒めてくれるだろうよ』
マモンの一言にフィノは嬉しくなって笑みを浮かべる。
けれど喜んでばかりもいられない。
「マモン……おししょうは、あとどれだけいきてられるの?」
『以前は五年だと言ったが、あれは多く見積もった場合だ。少なく見るのならば二年……もっと短くなることも考えられる』
「……そっか」
マモンの答えを聞いて、ようやくフィノは決心する。
――別れの時が来たのだ。




