夜凪の狭間
雄大な海に目を遊ばせながら歩き続けて、数時間。
日が暮れてきたのを見計らって、野営の準備に取りかかる。
潮風を防げる大岩の影に天幕を張ると、いつものようにユルグは飯の支度に取りかかった。
フィノはマモンと一緒に近場で薪拾いなどの雑用をこなしている。
カルロはというと、先ほどいそいそと海岸へと駆けていったのを見かけた。
何をしに行ったのかは分からないが、彼女のことだ。迷って戻って来れないなんてことにはならないだろう。そうなった場合でもユルグが助けに向かうことはないから、そこに責任は生じない。
そもそも彼女も良い大人な年齢のはずだから、それほど心配することでも――
「――うわっ!」
考え事をしながら焚き火の上に吊した鍋をかき混ぜていると、いきなり何かが放り込まれた。
ぼちゃんぼちゃんと、水飛沫を上げて投げ込まれたそれは足が沢山生えている生き物のように見える。それと緑色の草みたいなもの。微かに潮の匂いが鼻につく。
「保存食ばっかじゃ飽きるだろうと思って、じゃじゃーん! 今日のご飯は海の幸尽くし!」
驚いているユルグの背後から賑やかな声が響いてくる。
どうやら先ほど投げ込まれた物体は、カルロが今しがた海から採ってきたものみたいだ。
よくよく見てみれば、ベルゴアで注文した魚介料理に似たような生き物が入っていたようにも思える。
「これ、味の保証は出来るのか?」
「たぶん大丈夫だと思うよ。私が味見してあげようか?」
「ああ、頼む」
味見係であるフィノは席を外しているから代わりにカルロの申し出を受け入れる。
結果は、物凄く美味しい訳でもなく普通。食えないくらい不味くなければ文句を言う人間はいないから、評価に不満はない。
「そういえば、カルロの歳は幾つになるんだ?」
食事の支度を終えてフィノとマモンの帰りを待つ間、ユルグはずっと気になっていた事を尋ねた。
というのも、彼女の双子の姉であるカルラの歳を聞いても頑なに答えてくれなかったのだ。
無闇に女性にそんなこと聞いちゃダメよ、と言ってはぐらかされる。だからユルグは師匠の年齢についてはさっぱりなのである。
「あれ? あの人から聞いてない?」
「聞いてもはぐらかされてばかりだったんだ」
「あはは、まあそうだろうね。外見じゃ判断つかないけど、四十五って言ったら人間なら年増のババアって思われちゃうし、かわいい弟子には言いたくないはずだよ」
「……思ってたほどではないんだな」
百歳は越えているのかと勘ぐっていると、以外にもまだまだ若い。グランツは四十八だと言っていたから、それよりも年下の事の方が驚きである。
「ただいまー」
師匠の新たな一面を知り得て驚いていると、フィノとマモンが薪拾いから戻ってきた。
両手に抱えた薪の束を地面へと降ろすと、寒さにかじかんだ手を炎にかざして暖を取る。マモンはというと、カルロがいる時はきちんと犬のふりを徹底している。
今もフィノの足元で丸まって黒い毛並みを炎で炙っているところだ。
「あ、おししょう。ちゃんとごはんできた?」
「ああ、不味くはないそうだから安心しろ」
「普通ってやつだね」
カルロの声に、そっか、とフィノは頷いて背嚢から人数分の器と匙を取り出した。
三人で焚き火を囲んで夕飯にありつく。食事の最中に、ユルグは朝方の話の続きをカルロへと催促した。
「といっても、私も詳しいことは知らないよ。でも公王が彼の一族を嫌っているのは確実だと思うね」
「それはおかしくないか?」
ラガレットという国の成り立ちはユルグも知っている。
千年前にアルディアの皇帝が彼の一族とそれに追従する者たちを帝国から追放した。それを期に、極東の不毛の地に国を興したのだ。その事実があるのならば彼の一族が国の中心に居てもおかしくはない。
けれど、実際にはそうなってはいない。
「理由としては、これも予想なんだけど……お隣のアルディア帝国がずっと睨みを利せてるんだ。その原因が一族にあるんだと思う。事の真相は公王サマに聞いてみないとだけど、当たってるんじゃないかなあ」
「……そうだな。有り得そうだ」
帝国は昔から野心が強いと聞く。だから国外追放なんて真似をしたのだろうし、軍事力で劣っているであろうラガレットにとって、帝国との諍いは避けたいはずだ。
「それにログワイドって人は、純血と少し違ってたって聞くよ。エルフって言うのは血統や容姿に拘るからね。それを考えても良い感情は抱かれてないんじゃないかなあ」
今のところ彼女の意見は納得のいくものばかりだ。
やはり誰彼構わず問い質して、行方を捜すのは無謀である。ここは当初の予定通り、公王へと謁見を申し出た方が良さそうだ。
「明日には公都に着くだろうが、お前はカルロと一緒に宿で待っていろ。絶対に街中を出歩くなよ」
「ええー、おししょうについていったらダメ?」
「駄目だ。留守番してろ」
断固として言いつけるとフィノは不満そうにむくれた。
カルロからの話もあるが、ラガレットにおいて……特に公王との謁見ではフィノはどうしても連れていけないのだ。
以前仲間たちと公王シュナルセへと謁見したときも、彼はハーフエルフであるカルラを目にして顔を顰めた。勇者の仲間であるから許容していただけで、本来なら邪血を面前に引き出すのは良しとしていないはず。
フィノに着いてこられたら厄介な事になるのは分かりきったことである。
「すまないがこいつの事を頼んでも良いか?」
「いいよー、まかせて」
カルロは二つ返事で了承してくれた。これで心配事が一つ減る。
公都でのユルグの目的は、公王に謁見して探りを入れることだ。ログワイドのことと、アリアンネが何をしようとしているか。その真意を探る。
ユルグの予想ではアルディア皇帝の嫡女である彼女が、わざわざ軋轢が生じているラガレットへと赴く理由に公王が無関係とは思えない。きっと何かしら知っているはずだ。




