四災
太古の昔、まだ神というものが存在しなかった頃の話だ。
この世界を治める絶対的な支配者は、四人いた。
彼らは各々、自らに似せた眷属を生み出した。
頑丈で再生可能な躯を与えられた竜人。
機関に命を与えられた、機人。
何百年もの長命を与えられた、森人。
そして――何も与えられなかった、人間。
彼らが生み出された当初は、何の問題もなかった。
しかし、何百年、何千年と時が経った……その後に、ある問題が起こったのだ。
「人間は他の種族と違い、俺たちを敬うことはなかった。それどころか恐れ、畏怖するようになったのだ。そして……持たざる者であるからか、他が持つ不死性を羨んで禁忌とした」
実際は四災が生み出した彼らは不死ではない。上位者は不死者であるが、彼らは自らに似せて創りだしたモノだ。被造物が創造主を越えることはなく、故に四つの種族はある意味では不完全だった。
それでも人間にとっては不朽の肉体も、永劫の命も、悠久の刻も。何としてでも手に入れたいと欲する、羨望の的だったのだ。
「だから、奴らは俺を……俺たちを四災と呼んだのだ。忌まわしきモノとして、こうして大穴の底に押し込めた」
――それが遙か太古の昔に起こった事のあらましであると、竜人の四災は語った。
哀しげに語る彼の声音は――しかし、とても慈愛に満ちたものだった。まるで我が子を慈しむ母のようでもある。
けれど、おかしな話だ。そんなふうに慈愛の心を持っていたのなら、どうしてあんなものを地上に溢れさせるのか。
「……お前はそれを恨んでいるのか? だから、あんな瘴気をばらまいて」
「恨んでいるのか、だと? ハハハッ、可笑しな事を言う。勘違いしているようだが……地を這う地虫に噛まれたからといって、それを心の底から憎いと思うか?」
――前言撤回。
少なくとも、ユルグの眼前にいる竜人は何とも思っていない。
それもそのはず。人間を無人と言って侮蔑するのだ。
唯一、気に掛けるものがあるとするのなら、彼が生み出した竜人だけであるのだろう。
「お前たちの言う瘴気とは、俺たちをこの大穴に押し込めるにあたって生まれた副産物だ。定命を恨んでいるだとか、憎んでいるなどという戯れた妄言はやめて欲しいものだな」
ふん、と彼は嘆息して膝頭に頬杖をつく。
「副産物ってことは、お前がここにいる限り瘴気は消えないってことか?」
「然り。この大穴は俺の力を吸い出して地上へ放出するためのもの。つまりは、すべてお前ら人間の自業自得というやつだ。クハハ……実に愉快ではないかッ!」
竜人はユルグを見下ろして嗤笑した。
彼の話を鵜呑みにするなら、瘴気そのものを消すことは叶わないということだ。それを知っているからログワイドはマモンを創り出したのかもしれない。
しかしだからといって、全てを諦めてしまうにはまだ早い。
「お前はここから出る気はないのか」
「……なんだと?」
ユルグの問いに竜人は眉を寄せた。予想外の問答をされたからか。即答はなく、少しの間思案してから、彼は口を開いた。
「ふむ……出られるものならばそうしたい所だが、それはどだい無理な相談というものだ」
「なぜだ?」
「第一に、この結界の外に出られるほどの力が今の俺にはない。すべて瘴気として地上に溢れていってしまうからな」
竜人の言に、ユルグは周囲を見渡した。
彼の言葉を聞いてから気づいたことだが、
「そういえばここには瘴気が溢れていないな」
周囲に漂っているのは濃霧だけ。祠の内部に溜まっていた瘴気の欠片など一つもない。
いち早くその異変に気づくべきだったが、それよりも突拍子もない驚きの連続ですっかり頭から抜けてしまっていた。
とはいえ、彼の言葉には矛盾が見え隠れしている。
「出られないって……それじゃあ昨日のは何だったんだ」
「あれは特殊な条件下でのこと。おそらく、大穴から溢れた瘴気が行き場をなくしていたのだろうな。本来穴底に溜まるはずのない瘴気が逆流してきたおかげで成し得たことだ。まあ、それもたいして持たなかったが。それと、昨日のあれは俺であって俺ではない。ここに俺が留まっている限り、現状は何も変わらない」
独白のように竜人はユルグの問いに矢継ぎ早に答えていく。
「それに……ゼッシが居るならば、どう足掻いた所で俺はここから出られない。諦めることだな」
「……ゼッシ?」
その言葉を聞くのは二度目だ。
それは何だと、オウム返しに聞き返そうとした直後。
竜人が、空を見つめて瞳を細めた。
「……降ってきたな」
聞こえた声と共に、竜人は骨の手の上から飛び降りた。――と、同時に骨竜の顎門が大きく開かれる。
そうして、頭上からバックリと喰われたのだ。
いきなりのことに声も出せずに固まっていると、頭部の骨格の内側で竜人はうんざりとした様子で嘆息した。
「俺がここから出られない理由の二つ目があれだ」
言って、人差し指を立てて上を指す。
釣られるように見上げると、上空から何かが降ってきているのが見えた。
「あれは……雨か?」
「ただの雨ではない。あれを浴び続けると定命ならば死に絶える。俺の体躯が骨だけなのも、あれの所為だな」
ポツポツと灰色の岩肌に降り付ける雨の色は、赤色。まるで血の雨が降っているかのようだ。
竜人が言うには実際にあれはゼッシとかいう奴の血が降ってきているのだという。
そんな馬鹿げた話はないと、半信半疑で聞いていると
「これが止むまでここからは出られない。雨宿りついでに先ほどのお前の問いに答えてやろう」
骨竜の顎門の中で、竜人は胡座をかくと語り出した。
「ゼッシとは俺たち四災のうちの一つ。人間の祖でもあり、奴こそがこの世で最も忌むべきモノだ」
まるで謎解きのようなことを竜人は言う。
「俺を含め、他の三つは何かしらの不死性を持っている。だが奴だけは違う。……いや、そう言っては語弊があるな。少し違う、と言った方が分かり易いか?」
「言い換えてもさっぱりだ」
「ハハハッ、無い頭で考えろ、無人」
……この世で最も忌むべきモノ。
言い換えるならば、嫌忌あるいは恐れを抱くもののこと。
生物が一番恐れるもの……そんなものは一つしかない。
「……死、か?」
「その通りだ」
彼の台詞を紐解くのならば、定命を死に至らしめる血の雨を降らしているのが、そのゼッシとやらなのだろう。
「奴の前ではすべての命は無情であり塵芥。故に絶死と俺は呼んでいる」
――そして、それがお前らの祖であるのだ。
と、竜人は語った。
今までの彼の説明を聞くに、四災にはそれぞれある種の特性があるように感じる。
――不朽の躯。
――永劫の命。
――悠久の刻。
それらはどれも不死者たり得るものだ。
けれど、人間の祖であるという絶死だけが異質。死を冠するその者だけは、不死者を名乗るにはあまりにもかけ離れている。
何か理由があってそうなっているのか。それとも……。
もやもやとした疑問を抱えていると、思考の合間を縫ってずっと黙っていたマモンが口を開いた。
『一つ、聞きたいことがある』
「なんだ?」
『それらを知っていながら、どうしてログワイドは己を創ったのだ?』
マモンを創り出すにあたって、ログワイドは大穴の底に辿り着いたはずだ。でなければ、理外の存在であるマモンを生み出せるはずはない。
けれど、そう考えるならば根本の原因を解決することを彼が考えなかったはずはないのだ。
瘴気がなくなれば、マモンの存在も不要。しかしログワイドはマモンを創り出した。瘴気を浄化する存在として気の遠くなるような長い使命を与えたのだ。
――どうしてそんなことをする必要があったのか。
マモンが知りたいのは、その一点のみだった。
「なんだそれは?」
しかし、竜人が吐き出した言葉は二人にとって予想外のものだった。




