忌まわしきモノ
「とはいえ、ここには何もない。寛ぐどころの話ではないな」
楽しげな声音に、その声の主を見遣る。
獣の姿に成っているマモンもかなりの大きさだが、目の前にいる骨竜はそれよりも大きい。
マモンの頭上にいるユルグが首をあげて見上げなければならない程に巨大な姿をしていた。
まさかこんな姿をしているとは夢にも思っていなかったユルグは呆気に取られる。それはマモンも同じのようで、しばらくその姿を見つめていたら、
「そこの、悪いがその姿はやめてくれ。不愉快だ」
『……っ、承知した』
骨竜もとい、竜人の言にマモンは大人しく鎧姿へと変化する。それに伴ってユルグも地面へと降ろされた。
そこで改めて周囲を見渡してみると、これまた不思議な光景である。
大穴の底にこんな渓谷があるのも不思議だが、何よりもここには空がある。
濃霧のせいで太陽こそ見えないが、あの薄暗い祠よりは明るい。何があってこんな不可思議な状態になっているのか。まったく知れないが、夢や幻と片付けてしまうにはあまりにもリアルだ。
「お前は昨日会った竜人で良いのか?」
「如何にも。と言いたいところだが、こんな姿で肯定されても説得力に欠けるか」
ひとりで頷いて、竜人は巨大な竜の手を持ち上げた。まっしろな骨の手はなぜか小指の先が欠けている。
その先端の関節をボキリと折ると、ユルグたちの正面へと置く。
目の前にはまっしろな骨の欠片。
いったい何をするつもりだと、それを眺めていると――いきなり骨が動き出した。
無骨な骨の表面に肉が再生されていき、質量が増えていく。ボコボコと形を変えていき……最終的に、昨日目にした竜人が眼前に立っていた。
「どうだ? これの方が話し易かろう」
声と共に頭上から骨竜の手が降りてくる。
竜人は淀みない足取りでそれに近付くと、椅子代わりとでも言うのか。手の上に腰を下ろして胡座をかいた。
「ど、どうなっているんだ?」
「あの骨もこの竜体も同じ、俺自身だ。理解出来たか?」
「……なんとか」
とはいえ、奇妙であることは変わりない。
今のを見た限り、自分を他に移すというものでは無さそうだ。骨竜と竜人は同時に動いていたし、彼の言う自分自身という言葉はまんま、その通りの意味だと考えられる。
不可思議ではあるが、理解を拒絶するほどではない。
「それで……お前は何を聞きたい、無人?」
「色々と聞きたいことはあるが、その前に一つ。その無人っていうのはなんだ?」
「クハハッ、なんだ知らないのか!?」
ユルグの質問に竜人は膝を叩いて笑い出した。
何がそんなに可笑しいのか分からないが、なんとなく馬鹿にされていることだけは分かる。ほんの少しの嫌悪が表情に表れる前に、竜人は問いに答えた。
「無人というのはお前たち人間の事だ。他の種族からは蔑称の意味も込めてそう言われている。持たざる者と言ってな。昔は良く使われていたものだが……そうか、今はそうでもないのか」
「……昔?」
彼が言う昔とはいつのことなのか。それが気になってユルグはマモンに耳打ちをした。
「お前が創られた時はああいった呼び名があったのか?」
『いいや、聞いたこともない』
二千年前でも存在しない蔑称。となると、竜人の言う昔はそれよりも前の話になる。
「それにしても、お前は俺を恐れないな。少し奇妙だ。そこの呪詛は違うようだが……ふむ」
彼の言う通り、マモンは先ほどから緊張しているのか。口数も少ないし、ユルグの真後ろに突っ立っているだけ。
その様子を気に掛けていると、竜人はユルグをなめ回すようにジロジロと凝視してきた。金色の瞳は射貫くようにユルグの姿を捉えて離さない。
不躾な視線にたじろいでいると、やがて竜人は理由が分かったのか。
「お前、死を恐れていないな?」
何のことはない。ユルグにとっては当たり前のことを竜人は指摘してきた。
「無人のくせに終わりを恐れないかッ! いいぞ、お前面白い奴だなあ」
「別にそれほどおかしなことでもないだろ」
「そう言えるのはお前が他よりも特殊なだけだ」
きっぱりと竜人は言い切った。
「どういうことだ?」
「無人……人間は持たざる者と言ってな。被造物の中で唯一不死性を与えられていない。不朽の躯も、永劫の命も、悠久の刻も奴らには与えられなかった。だから殊更に死を恐れる」
彼はこれまた奇妙なことを話し出した。
不死性……肉体も命も時間も。永遠ではない。いずれ朽ち果てて終わるのは当たり前のことだ。それなのに、奴はそうではないと言った。そして、それらからあぶれているから、人間は死ぬことを恐怖して畏れを抱くのだと。
別におかしなことじゃない、当然のことだ。
ユルグにはこの竜人が何を言っているのか。いまいち理解出来なかった。荒唐無稽な戯れ言ではないが、少しズレている感じがする。
しかし、それよりも気になるのは――
「被造物だと?」
「ふむ……それも知らぬか。まあ、シサイと聞いても顔色も変えなければ当然だな」
一度頷いて、竜人は語り出す。
「被造物とは、俺たちが創りだした生命のことだ。全部で四つ。竜人に機人それに森人……そして、無人」
エルフは聞いたことはあるが、他の二つは初めて耳にする言葉だ。彼の話が真実ならば、人間とエルフ以外に二つの種族がこの世界にはいたことになる。
けれど、誰しもが知るようにそんなものは今の時代存在していない。
「その反応を見るに、竜人と機人は淘汰されたか……残念だが仕方あるまいな」
「怒らないんだな」
竜人は自らが創りだした被造物だと言った。それが滅ぼされたのならば機嫌を損ねても良い所だが、そんな気配は微塵も感じられない。
「基本的にシサイは俗世には干渉しないことになっている。物悲しくはあるが誰しもが納得はしているだろうよ」
――シサイ。
竜人の話にたまに出てくる呼称。
どうやら彼に連なる者の事だとは理解出来るが、どういう存在であるのかはいまいち理解が及ばない。
「昨日から気になっているんだが……そのシサイってのは何なんだ?」
「そういえば、お前は知らないのだったな」
ふむ、と唸ると竜人は語り出す。
「簡潔に説明するのならば上位者。定命よりも遙か高位にある存在と言える」
「つまり……女神と同等ってことか?」
「クハハッ、女神だと? あんな紛い物と比べることすら烏滸がましいわ!」
ギリリ、と歯噛みをして竜人は吠えた。
彼の話ではシサイというのは神よりも上位の存在らしい。いまいち想像もつかない話だが、肉体の再生も、精神の共有や入れ替えも超常の現象である。魔法技術を持ってしても、そこまでは出来ないものだ。
けれど、その話は少しおかしく感じる。
「神よりも凄いのなら、なぜこんな大穴の底にいるんだ」
こんな地の底に押し込められて、あまつさえあの祠である。まるで邪悪な存在を封じているようにも感じる。
「それは俺がシサイだからだ」
……答えになっていない。
けれど、それを指摘しようにもなぜか竜人は少しばかり機嫌が悪そうだった。
先ほどまで快くユルグの質問に答えていたというのに、今はピリピリとした怒気すら感じる。
何かを聞くにしても慎重にいかなければ。気に入られているとしても目の前のコイツには一瞬で命を奪う力があるのだ。
ごくりと唾を飲み込んだところで、今までユルグの背後で話を聞いていたマモンが傍に寄ってきて、小声で話しかけてきた。
『ログワイドがかつて言っていたことがある。大穴の底には忌みモノがいるのだと。それがあの竜人ではないのか?』
「……忌みモノ?」
「ハハハッ! 忌みモノとは言い得て妙だな」
声が聞こえていたのか。竜人はその一言を聞いて笑い出した。けれどそれは快いものではなさそうだ。
声音、態度に微かに怒気が混ざっている。
「確かにその通りだ。今はそうであると認めざるを得まい」
だが――と、竜人は続ける。
「お前たち有象無象の無人が、俺たちを四災と呼ぶのなら、な」




