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【マルチエンド】追放勇者は孤独の道を征く  作者: 空夜キイチ
第一部:黎元の英雄 第十章
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不意打ち

 

 朝から彼女はとても不機嫌だった。


 それは、朝食を摂った後も。それの片付けをしている最中も。食後のお茶を飲んでいる時も。

 一向に治る気配がない。


 なぜこうも機嫌が悪いのか。その理由を知っているユルグは……しかし、どうすることも出来ない。

 誠心誠意、心を込めて謝ったし何度も対話を試みたが、それが功を奏すこともなく。


「それじゃあ……いってくる」


 外套を羽織って、背には剣を背負い腰には投げナイフや魔鉱石を入れた雑嚢。

 いつもの完全武装を済ませたユルグは、こちらに背を向けてテーブルに着いているミアに声を掛けた。


 しかし、それに返事はない。


 幼馴染みの頑固さに小さく溜息を吐き出して、ユルグは足元に視線を落とした。


 どうしてミアがこんなにも機嫌が悪い……いや、怒っているのか。

 それの元凶はユルグにあるのだ。


 昨日、大穴からやってきた魔物を倒して身体に穴を開けて帰ってきたユルグを目にしたミアに、それはもうこっぴどく叱られた。……というよりも、かなり心配をかけてしまった。

 包帯で全身ぐるぐる巻きにされてベッドに縛り付けられたユルグだったが、呑気に寝ている暇はないのだ。


 あの後マモンに聞いた話だと、やはり虚ろの穴の祠に安置されている匣は機能していないだろうとのことだった。

 つまり、いつまた昨日のような魔物の襲来があるかわからないのだ。


 戦える人間がいるならばなんとかなるだろうが、近くここを発つ予定である。

 そうなった場合、虚ろの穴が近いここは真っ先に被害を受けることになるだろう。


 フィノを置いていくとしても、必ずしも彼女が居るときに同じ状況に遭うとは考えない方がいい。何事も最悪の事態を想定して動かなければならない。


 だから、旅立つ前に後顧の憂いは払っておかなければ。


 そう心に決めて、ミアには昨日のうちに事情を話しておいた。

 どうしてあんな怪我を負ったのか。安全を確保するために、しなければならないこと。


 流石にラガレット国内を巡る旅のことはまだ言えなかったけれど、魔王云々のことは伏せて、魔物退治をしてくると説明したのだが……分かりきってたことで、ミアはそれにうんと言わなかった。



 結局話は平行線のまま。どうしても説得できずにミアは機嫌が悪いまま。

 ユルグは虚ろの穴へと向かうところだったのだ。



 何か声を掛けようとするが、言葉が出てこない。

 沈黙を引きずったまま、うろうろと視線を彷徨わせていると誰かがユルグの手を引いた。


 顔を上げると、エルリレオが険しい表情でユルグの顔を見据えて腕を引いてくる。


「こちらに来なさい」


 彼は言葉少なに指示をすると、隣の部屋へと入っていく。

 それに頷いて後を追うと、後ろ手で扉を閉めた直後。


「ユルグよ……無茶を通していることは理解しているな?」


 エルリレオは椅子に腰掛けて、ユルグへと投げかける。


 彼の問いの意味は二つ。

 一つは、心配してくれているミアを振り切って、危険な戦いに赴こうとしていること。

 もう一つは、酷い怪我を負った状態で魔物と対峙すること。


 後者については、黒死の龍との戦いで負った大怪我よりはマシだから誤魔化せると思ったが、流石にエルリレオの目は欺けなかった。

 彼は今のユルグの状態がどうなっているのか、薄々感づいているのだ。


 普通、腹に穴を開けた状態では歩くことすら難儀する。魔物と戦うなんて不可能である。

 薬師であり、神官でもあるエルリレオには今のユルグがどれだけおかしいのか。誰よりも理解していた。


「わかってるよ」

「そうか……ならばこれ以上は何も言うまい」


 とはいえ、ユルグがどうしてこんな無茶をするのか。分からないほどに、エルリレオも耄碌はしていない。

 何よりも、ミアの為にこうして危険を冒すのだ。大切な人のため。それ故に、彼は弟子の意思を尊重することにした。


 けれど、それとこれとは別だとでも言うようにエルリレオは続ける。


「だがな、老婆心で言わせてもらうが……あまり心配を掛けるものでないぞ」

「わかってる、けど……っ、どうすれば良いと思う?」


 ミアに心配を掛けるのはユルグも本意では無い。けれど、それを推しても成さなければならないことがある。問題はどうすれば彼女の機嫌が治るかだ。

 何遍も考えたが、どうしても解決策が思い浮かばない。


 藁にも縋る思いでエルフの智者に意見を求めると、エルリレオは先ほどの険しい表情から一変。苦笑を刻んでユルグの問いに答えた。


「そうさなあ……一番は魔物退治なんか他の人間に任せてミアの傍に居てやることだなあ」

「……それは無理だ」

「ふむ……それ以外となると。まずは、怪我の一つも負わずに戻ってくること」

「うん」

「そして、ミアのしたいことを叶えてやることだ」

「……したいこと?」


 彼はこれまた難解な問題を突き付けてきた。


 ……ミアのしたいこと。

 腕を組んで考えてみるがどうにも思い浮かばない。本人に聞くべきだろうけど、あの状態から聞き出すには無理難題過ぎる。


「……こまった。まったく分からない」

「そうだろうと思ったわ。そんなお主に儂から助言をくれてやろうかのう」


 豊かに伸びた髭を撫で付けて、エルリレオはニヤニヤと笑みを浮かべた。

 初心(うぶ)な弟子をからかう師匠の言葉を素直に聞き入れるのは少々癪だが……背に腹は代えられない。

 縋るような眼差しを向けると、彼はゴホンと咳払いをしてからつらつらと語り出した。


「昨日のことだが……ティナと街へ行っていた事は知っているだろう? それがとても楽しかったと言っておったなあ」

「う、うん。それで?」

「……皆まで言わんとわからんか。まったく……」


 なぜかエルリレオは半目になりながら、呆れて溜息を吐き出した。

 そうして、杖をもってユルグの足をバシンと一発叩く。


 痛くはないが、どうして彼がああも呆れているのか。ユルグにはやはり分からないままだ。

 叩かれて理解出来るのなら何遍だって叩かれてやるが、そうというわけでもなさそうである。


「友人と街に行って楽しかったと言っていたのだ。想い人とならば尚更だろう!」

「……なるほど、そういうことか」


 やっとエルリレオの言いたいことがわかった。

 つまり、ミアを誘って一緒に街へ行ってこいと言っているわけだ。


「でも、麓のメイユに名所なんてないだろ。雪と山に囲まれた田舎だし、あそこで楽しめるものなんて」

「ユルグよ、お主やはり何も分かってないな。……師匠として恥ずかしい限りだ。こんなことになるなら、カルラに指南してもらっていれば、少しはマシになっただろうよ」


 ――悔やんでも悔やみきれんよ。


 大きな溜息を吐いて、やれやれと肩を竦めるエルリレオ。

 そんなに虚仮(こけ)にされては、ユルグだって黙ってはいられないというもの。


「そういうエルはわかってるのかよ」

「馬鹿を言え、グランツならともかく儂にそんな愚問を投げかけるな」


 ふん、と鼻を鳴らしてエルリレオはそっぽを向いた。

 珍しく気を損ねた師匠を目にして、そういえば皆と旅をしていたときはこれが当たり前だった事を思い出す。

 特にグランツとは口論に発展することも少なくはなかったのだ。その度に宥めるのはユルグの役割だった。


「む……何を笑っている」

「いいや、懐かしいと思って」


 エルリレオに限らず、今のユルグを見たのならグランツもカルラも馬鹿にすること間違いなし。カルラなんて、事あるごとに思い返してはからかったことだろう。


「そうだな。久しぶりに二人でゆっくりするのも、悪くないかもな」

「……分かっているではないか。初めからそう言っておれば良いものを」


 ぶつぶつと未だ文句を垂れているエルリレオに苦笑して、話を終えるとユルグはミアの元へと戻る。


 彼女はテーブルに突っ伏していた。ユルグが傍に来ていることは気配で察しているだろうが、顔を上げてくれないまま。


「ミア、話があるんだ」

「……私は話す事なんてありません」


 拒絶の態度を取る彼女に、それでもめげずに横から覗き込むように話し掛ける。


「明日、一緒に街に行かないか?」

「え……っ、なんで!?」


 いきなりの提案にミアは顔を上げてユルグを見た。


「な、なんで? なんで……」

「何か用事でもあるの?」


 腕を組み、目を瞑って思案するユルグをじっとミアは見つめていた。

 やがてそれらが解かれて、本人の口から答えが示される。


「俺がミアと一緒に行きたいからかな」


 本当に、不意打ちのような。思いがけない笑顔に、ミアは目を見開いて固まる。

 それにユルグが訝しげに表情を変える前に、咄嗟に出た言葉はなんとも締まりのないものだった。


「うっ……うん。わかった。そういうことなら……し、仕方ないかなあ」


 自分でも現金なものだと思いながらも、先ほどまでユルグに抱いていた怒りはさっぱりと消え去っていた。

 それほどまでに、今のあれは――


「それじゃあ、いってくるよ」


 ぼうっとしているミアを放って、ユルグはそそくさと外へと出て行った。

 それにいってらっしゃいも、気をつけてねも言えなかった。けれど、今のミアにはそれさえも頭にない。


「ねえ、エル。今の見た?」

「うん? 何のことかね?」

「とぼけないでよ。みてたでしょ!」

「……だからなにを」

「ユルグの笑顔よ!」


 振り向いて言い放ったミアの言葉に、エルリレオは瞠目した。

 それから否定の意味を込めてかぶりを振る。


「……そんなに良い笑顔だったのか?」

「うん。本当に久しぶりに見たなあ」


 恥ずかしそうにはにかんだ笑みは、彼が勇者として村を出る前にミアに向けたものと同じだった。

 ミアの一番好きな顔で、もう見られないと思っていたもの。

 それが不意打ちで向けられたら、驚きもするし呆然とするのも当たり前だ。


「……もう機嫌は治ったのかね?」

「もちろん!」

「ふむ、それは良かったよ」


 苦笑を刻むエルリレオの眼差しを受け流して、ミアは来たるべき明日に向けて、思いを馳せるのだった。


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