忘れた頃にやってくる
倒した紅玉馴鹿を解体して、角と毛皮。持てる分だけの肉を背嚢に詰めると、フィノは街へと戻った。
入手した素材を換金してギルドで依頼報酬を受け取る。合計、百五十ガルドの稼ぎだ。
「ううーん」
手に入れた金を財布代わりの皮袋にしまって、フィノは唸り声を上げる。
『どうしたのだ?』
「んぅ、どれくらいあればいいかな?」
稼ぐならば目標金額というのを定めた方が良いのではないか、と思ったのだ。
『一月ならばざっと三千あれば良い計算にはなるな。詳しいところはエルリレオに聞いたらどうだ?』
「ん、そうだね」
財布の紐をきつく締めて懐にしまうと、冒険者ギルドの外へと出る。
既に空は茜が差しており、これから小屋に戻るならば日が暮れてしまうだろう。
あまり遅く帰るとミアに心配されて、最悪出禁を言い渡されかねない。
早く戻らなければと焦るフィノだったが、それを留めるようにマモンの声が背中に刺さった。
『本当にあやつらを連れて行くつもりか?』
「うん。なんで?」
『素性も知れぬ相手だ。気を許しすぎるのは良くないと、己は思うがな』
目先にある土産屋に入っていった三人を脳裏に思い浮かべて、マモンは苦い顔をする。
けれど、フィノにはどうしてマモンがこんなにも彼らを警戒しているのか。その理由が分からなかった。
「でも、あやしいところなんてないよ?」
『うむ……まあ、そうかもしれんが』
「かんがえすぎ!」
『……ううむ』
フィノに押し切られてマモンもそれ以上は口を噤んだ。
黒死の龍を斃したのがフィノのお師匠だと知るや否や、彼らは是非とも会いたいと言ってきたのだ。
なんでも龍殺しというのは英雄扱いされるらしく、誰にとっても憧れの対象。そんなことを言われてはユルグの弟子であるフィノも悪い気はしない。
快諾すると、彼らはとても喜んでくれた。今は突然押しかけてしまうと迷惑であるからと、手土産を見繕っているところである。
『厄介事を招いて、ユルグに怒られぬと良いな』
「……っ、う」
マモンの憂慮にフィノはさっと顔を青ざめた。
どうやら今の今までその事は頭になかったらしい。他人に褒められて、尚且つ敬愛する師匠を讃えられたことで舞い上がっていたせいだ。
「お、おこられたらどうしよう……」
『その時はその時だなあ。甘んじて受け入れるしかあるまいよ』
「ううう……」
腹の底から唸り声を上げて頭を抱えていると、土産屋から三人が出てきた。
「すまん、待たせたな」
アロガは嬉しそうに破顔しながら、今しがた買い付けた土産を背嚢にしまう。
「アロガさん、失礼な態度は取っちゃダメですよ?」
「わあってるよ! そんな何遍も言わなくてもいいだろ!」
「信用ならないからリエルも口煩く言うんです」
和気藹々としている三人に、やっぱり連れて行けないとは言えない。
「あまり遅くに押しかけても悪いし、さっさと行こうぜ」
「う、うん」
アロガに背中を押されるまま、フィノは帰路に着くのだった。
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本日の夕食は、肉を葉野菜で包んで蒸し焼きにしたものと、腸詰め。
それらの火加減を見ながらミアは、窓の外に見える茜色の空をちら、と見遣った。
「フィノ、遅いね」
「ふむ……何事もなければ良いが、ちと遅いのう」
心配する二人を余所に、今の今まで寝ていたユルグはベッドの傍に立て掛けてあった杖を手に取ると立ち上がった。
「あれ、どこ行くの?」
「少し散歩してくる。ずっと寝てると身体が鈍るんだよ」
「そう……でも、もう日も暮れるし今じゃなくても」
留める声に耳を貸すことなく、外套を羽織ってユルグは外に出た。
小屋の正面からは麓の街が遠目に見える。既に日暮れである為に、仄かに色づく明かりを眺めながら、ザフザフと柔らかな雪の上を歩く。
他人の手を借りずとも、杖があればこうして歩けるまでには回復してきた。それでも走るのは難しいし、高低差のある場所を歩くには難儀する。魔物と戦うなんてことも出来ない。動かない右腕はもちろんのこと、自由の利く左手でも剣を振るうのは体力的にキツいだろう。
エルリレオが言うには怪我が治りきるまでは少なく見積もっても一月。しかし怪我が治ったとしても落ちきった体力を戻すには一日、二日ではまず無理だ。
あまり無理をするなと言われているが、こうして身体を動かしてやらないと復帰に時間を要する。
とはいえ、長い距離を歩くのはどう頑張っても難しいので、ユルグの散歩コースは小屋の周りに限る。
小屋の裏手に回ると、師匠の墓標が見える。毎日のように降る雪のせいで、墓標は白く色づいていた。それを払ってやって、墓前に立つ。
といっても――
「何を話せば良いか分からないな」
彼らに話すべき事はたくさんある。
けれどグランツもカルラも、辛気くさい話は嫌いだった。そんな話をするならば逆にユルグが怒鳴られてしまう。
「……怪我が治りきったら酒でも買ってくるよ」
グランツは言わずもがな、カルラも酒は好んで飲んでいた。
特に彼女は飲んで悪酔いするタイプだったから、酔っ払いを介抱するのはユルグの仕事だったのだ。
「そしたら、エルと四人で飲み明かそう。昔話でもしながら」
たぶん、大半がグランツに対しての愚痴になりそうだ。
浮かぶ情景に自然と口元には笑みが残る。今一度ふたりの墓標を見遣って、ユルグは小屋の入り口へと戻っていく。
そのまま温かな室内へは入らず、外壁に背を預けてゆっくりと沈む夕日を眺める。
ミアやエルリレオの会話にはわざと入らなかったが、未だ戻ってこない弟子をほんの少しだがユルグも心配しているのだ。
とはいえ、マモンにああ言った手前あからさまな態度は取れない。
先ほどは散歩をしてくると出てきたが、エルリレオにはユルグの心根は悟られているはずだ。
「まったく……どこをほっつき歩いてんだか」
しっかりと門限を定めなかったユルグにも落ち度はある。
……そこは大いに反省して、戻ってきたら説教だな。
などと考えていると、遠くに人影が見えた。
こちらに向かってくるあれは……フィノだ。それと足元には黒犬のマモンも見える。
しかしなぜかフィノの顔色は良くない。てっきりいつもみたいに笑顔を振りまいて帰ってくると思っていたら、その真逆である。
弟子の微かな異変に気づいて、目を眇めた直後――彼女の後ろに誰かが着いてきているのが見えた。
「……あいつらは」
彼らの姿は、ユルグも覚えのあるものだった。




