命の期限
――夕食後。
片付けをしているミアに感づかれないように、フィノへと耳打ちをする。
「マモンはどこに居るんだ」
「そとにいるよ。じゃまになるからって」
マモンの気遣いはユルグを想ってのことだろう。
師匠との再会に水を差してはいけないとでも思ったのか。ありがたいが、今は彼に問い質さなければならないことがある。
「アイツと話がしたい。連れて行ってくれないか?」
「うん、わかった」
外套を羽織ると、フィノの肩を借りて雪の降りしきる小屋の外へと出た。
マモンは小屋の裏手にある墓標のそばに丸まっていた。
随分長いことそこに居たのだろう。まっくろな身体は被った雪で周囲の景色と同化している。
彼の傍らにある墓標は二つ。一つにはユルグが黒死の龍から取り戻したグランツの剣が供えられている。
もう一つの墓標には木杖が突き刺さっていた。
知らない人間から見たら、枯れ木と見間違うほど細く簡単に折れてしまいそうなものであるが、ユルグはあれに見覚えがあった。
あの木杖は、カルラがいつも持ち歩いていたものだ。
本人はこんなものはただの飾りだと一蹴していたが、その割には肌身離さず大切にしていたようにも思う。
生前、彼女が使っていた時よりも細身で焦げた跡も見られる。それを目にして、師匠の最期がどんなものだったか。脳裏に浮かんだ光景にユルグは苦々しく顔を歪めた。
仇討ちが成せたことを彼らの墓前で報告したいが、それは少しだけ待ってもらおう。
今は早急に確認しなければならないことがあるのだ。
『体調は良いのか?』
フィノの手を借りてわざわざ会いに来たユルグに、マモンは異な事を尋ねた。
そんなものは聞かずとも分かりきったことである。
「そう見えるか?」
『いいや、まったく見えんな』
「だったら聞かないでくれ」
『冗談だ。真面目に受け取る事も無いだろうに』
起き上がったマモンは、ぶるぶると身体を振わせて雪を振り落とす。
一見いつも通りの彼に見えるが、どことなく快活さが欠けているようにも思える。
それもそのはずで五年間、付かず離れず。共にいたアリアンネが彼の元を去って行ったのだ。落ち込むのも当然と言える。
しかしそれを表には出さずに、マモンは冗談を飛ばす。
『それで、何の用だ? 談笑をしに来たわけでもあるまい』
「お前に聞きたいことがあるんだ」
『ふむ……それは構わないが』
マモンはユルグの傍らにいるフィノへと目を向けた。
彼の言動が、言外に何を言わんとしているのか。瞬時にそれを察して、ユルグはフィノへと断りを入れた。
「二人きりで話がしたい。お前は先に戻ってくれないか」
「でも……」
「大事な話なんだ」
「……わかった」
真剣なユルグの眼差しに、フィノはそれ以上何も言えなかった。
内密の話であるということは、誰にも聞かれたくはないこと。聞かれては都合の悪いことだ。ユルグはそれを一人で抱え込むつもりなのだ。
そんな予感がして……けれど、フィノはどうしても踏み込めなかった。
彼が知られたくないと願うことは自分の為でもあり、それ以上にミアやフィノ……彼の周りの人たちの為でもあるのだ。今までもそうだった。だから、その決意を否定することなんて出来ないのだ。
とぼとぼと小屋へと戻っていく後ろ姿を見送って、ユルグは地面へと座り込む。雪の上に胡座をかいてマモンと対面すると、単刀直入に問いかけた。
「俺はあとどれくらい生きていられる?」
ユルグの思考がこの問いに帰結したのは、ある疑念があったからだ。
===
黒死の龍との戦闘中、マモンはユルグにこう言った。
――莫大な量の瘴気を浄化するのならば、寿命を縮めることになると。
けれど、よくよく考えてみればこの発言には矛盾がある。
『魔王の器となった人物は死ねないんじゃないか』
そう尋ねると、マモンは肯定した。
死ねないということは、生物の肉体における死は存在しないということ。勿論そこには、魔王の器であるという条件はあるが、どれだけ負傷しても致命傷を負っても死なないのだ。
果たしてそこに、寿命というものは存在するのか。
その一点が、ユルグが抱えた疑問である。
しかし、マモンがわざと言い間違えたとは思えない。彼のことだ。そこには明確な意図が含まれている。そのようにユルグは考えた。
そして、ある答えに辿り着いたのだ。
生物というものは命ある限り、生存本能に従って様々な身体機能を有している。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚……五感に加えて痛覚。痛みを感じることは、生存という点において一番大事な要素だ。
それらを失くしてしまったのなら、生物というものは生きていられるのか。
答えは否だ。生きてはいられない。
人間のように誰かの手を借りるのならば、生き続けることは可能だろうが……自然界にそれらを失って、尚も自立して生きられる生物は存在しない。
しかし、例外はある。瘴気に冒された魔物や、人間……不死人の存在。
肉体の寿命を終えても生きていた黒死の龍や、どれだけ切り刻んでも殺せない不死人。
この世界においてはあれらの存在は別格である。
瘴気の毒というものは、生物にとっての不可能を可能にしてしまう代物なのだ。
けれど、あそこまで変異してしまったモノを、果たして生き物と……人間と言えるのだろうか。
ユルグの先ほどの問いかけの真意は、こうだ。
――人間として、あとどれくらい生きていられるのか。
===
『……このままの状態を維持するのならば、多く見積もって五年というところだろう』
「そうか……思ったよりも少ないんだな」
以前、帝都の神殿で僧侶に聞いた話では、瘴気の毒に冒されても適切に処置するのならば五十年は生きられる。そう言っていた。
しかし、マモンが浄化する瘴気は高濃度な代物である。当然、肉体に掛かる負担も以前とは比べものにならないはずだ。
『その様子だと、すべて理解して問うているのか?』
「気づいたのはついさっきのことだ。ただ……確信がなかった。だからこうしてお前に聞いているんだ」
ユルグが異変に気づいたのは、夕食時のことだ。
ミアに子供の頃からの偏食を指摘されて、そこでそういえばそうだったなと思い至った。
彼女は克服したと思っていたようだが、そうではない。ほとんど味を感じないのだ。
けれど、一時間前にエルリレオに淹れてもらったハーブティー。あれの味は確かに感じた。
仮定の話になるが……時間の経過でこうして身体に異変が出始めたのだろう。
食後に淹れてもらったハーブティーを飲んでみたが、食事の時と同様にやはり何の味も感じなかった。こう考えるのが一番筋が通る。
それ以外にも、酷い怪我を負っているというのに不自然な程に痛みを感じない身体。
薬草を擦り込んでいる包帯を巻いているとはいえ、まったく痛みを遮断出来るわけがない。重傷を負ったのだって、数時間前の話である。回復魔法で治癒力を高めたところで肉体の損傷はすぐに癒えることはないのだ。
ユルグが気づいたのはこの二点だけだったが、この先どんな異変が顕れるのか。わかったものではない。
事前に情報を仕入れておけば、対応も取れるというもの。
……特に、ミアには絶対に知られてはならないのだ。
『それらの変化は確かに瘴気の毒によるものだ』
マモンはユルグの問いに答えると、肯首して続ける。
『己は肉体を持たない。それ故に依代としている器に干渉することで、それを介して瘴気の浄化を可能にしているのだ。とはいえ、取り込んだ瘴気を一度に全て浄化は出来ぬ。時間が掛かるのだよ。であれば、余剰分は器の肉体に蓄積されていくというわけだ』
「……その蓄積された毒素はどうにか出来ないのか?」
瘴気を吸収、浄化出来るのなら器の肉体に溜まったモノもなんとか出来るんじゃないか。
浮かんだ疑問を投げかけると、マモンはかぶりを振った。
『可能ではあるが……取り込んだ瘴気を全て浄化する前に身体が毒に耐えられないのだ。今までも例外なくそうだった。期待はしないことだな』
マモンが言うには、歴代の魔王の器となった人物の死因は、瘴気の毒によって肉体の限界を迎えた為であるという。
マモンが依代にしている間は、その器たる人物は死ねないのだ。彼らが死にきるには次の魔王の器にマモンが移った時である。
そこまで瘴気に冒されてしまえば、自らの意思もなく意識も保てなくなる。そうなった時のためにある程度、器の主導権も握れるのだという。
『しかし、何もしなければそれ以上は悪化することはない』
「何か条件があるのか?」
『条件というほどのことでもないのだが……先の戦闘のように瀕死の重傷を負ってしまえば、損傷部を瘴気が補ってしまう。自らの意思に関係無くだ。言わずもがな、生身の肉体にとっては負担となる。負傷が治るわけではないのでな』
――要は、無理をしすぎなければ良いのだよ。
そこまで言って、マモンは身体を震わせた。
『本来ならその状態では起き上がることすら出来ないのだ。一月はしっかりと療養することだな』
エルリレオにも安静にしていろと釘を刺された。マモンの忠告も間違いとは言えない。
そこまで話を聞いて、ユルグは白んだ息を吐き出した。
多少無理をしてでも動けるのならやらなければならないことがある。
黒死の龍を斃したら……その後のことを考えていない訳ではなかった。
以前、話に出てきたマモンを創ったログワイドというエルフ。彼についての手掛かりを探すつもりだった。
彼の一族の消息は途絶えているらしいが、ラガレット国内に何かしら痕跡はあるはずだ。
この国は他国と比べてそれほど広くはない。国中を巡っても一月もあれば十分に調べられるはずだ。
『多く見積もって五年』
既に命の期限が決まっているのなら、尚更悠長にしている時間は無い。
とはいえ、今のユルグの身体では歩くことすらままならない。右腕は全く動かず、この雪の大地を往くには難儀するはずだ。
「……仕方ないか」
焦っても寿命を削るだけ。だったら多少は回り道をしてでも、怪我を癒やして万全な状態で挑むべきだ。
……その前に、どうやってあの幼馴染みを説得しよう。
一進一退、次から次へと出てくる悩み事に、ユルグは夜空を仰ぐのだった。




