微かな異変
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――一時間後。
「ごはんだよー」
夕飯の支度が出来たようで、フィノの呼び声でユルグは目を覚ました。
酷い怪我を負ったというのに、目覚めはそれほど悪くはない。
全身に打撲と裂傷……特に右半身は重傷なのだが、その割にはそんなに痛みを感じないのだ。
おそらく、エルリレオが製薬してくれた鎮痛剤が効いているのだろう。包帯にたっぷりと塗り込んでいるため、匂いはキツいが慣れてくればどうってことはない。
手放しで自力で歩くのはまだ難しいため、フィノの手を借りて食卓に着く。
椅子を引いて座った所で、ユルグの目の前に本日の夕食が配膳された。
「自分で言うのもなんだけど、ものすごく美味しく出来たから残さず食べてね」
皿にたっぷりと盛られたシチューに、パンが二切れ。
食欲がない訳ではないが、怪我人にこの量は些か酷である。食べなければ体力も付かないし、怪我の治りも遅くなる。多少無理をしてでも食べろということだろう。
「いただきます」
「――んっ、おいしい!」
誰よりも先にシチューを口に運んだフィノが目を輝かせてがっついている。
それを見遣って一口、匙を口に入れた瞬間。明らかな違和感を覚えて、ユルグは眉を寄せた。
「どうかな」
「うん、うまいよ」
それを悟られないように、黙々と食べ続ける。
……もしかしたら、勘違いと言うことも有り得る。確証のないことを安易に口に出すものではない。疑いをかけられるのも駄目だ。出来るだけ、いつも通り振る舞わなければ。
その甲斐あって、ミアはユルグの微かな異変に気づくことはなかった。
「おかわりもあるから、たくさん食べてね」
「――おかわり!」
「お前はもう少し味わって食べたらどうだ」
「だっておなかすいてるんだもん」
そういえばフィノは、ユルグを背負って山を下りてきたのだ。出会った頃よりは体力は付いているけれど、それでも人ひとりを背負っての下山は相当きついものだ。
そんな肉体労働を終えたのだから、腹も減るというもの。行儀が悪いのは、今回ばかりは大目に見てやろう。
「こんなに賑やかな食事は久しぶりだ。皆と旅をしていたあの頃を思い出すよ」
目の前で繰り広げられるやり取りを眺めて、エルリレオは笑みを浮かべてどこか遠くを見つめた。
「グランツは毎度のこと酒浸りで、それにカルラはいつも怒っていた。二人の尻ぬぐいは儂らの仕事だったな」
「それでも俺は楽しかったよ。退屈しなかった」
「そうだのう……色々あったが、思い返してみれば存外に悪い気はせんよ」
彼らと過ごした四年間は、辛いこともたくさんあった。けれど、それを塗り潰せるほどに楽しくもあったのだ。
それらに悔いが無いとは言えないが、それでもあの日々はユルグにとってはかけがえのないものだった。
「だがなあ……ユルグよ。あの男のような酒飲みのクズにはなるなよ? 儂はそれだけが心配でたまらんよ」
「酒というものは人をダメにする、だろ? 反面教師にするつもりだから大丈夫」
「ふはは、それなら安心だな」
二人だけの会話に花が咲いている。その様子を隣で眺めていたフィノは、あることに気づいた。
以前はたまに笑ってもどこかぎこちない笑みを浮かべていたユルグだったが、今の彼の笑顔はとても優しげに見える。
その穏やかな顔を見て、フィノは確信した。
――こうして笑えるのなら、もう大丈夫。
「おししょう、よかったね」
「何の話だ?」
「ううん、なんでもないよ」
満面の笑みを浮かべるフィノにユルグは怪訝な顔をする。
そんな師匠の様子に、気にすることなく食事を続けていると
「――あああっ!」
いきなりミアが大きな声を上げた。
それに驚いて一斉に顔を向ける。
しかし三人の視線をものともせず、ミアは目玉をひん剥いてユルグを凝視していた。
「ユルグそれ、食べられるようになったんだ!」
「……それ?」
「シチューに入ってる香草! 昔から草の味がするって、よけて食べてたじゃない。好き嫌いするなってお母さんによく怒られてたもんね」
「そういえばそうだったな」
シチューの中に浮いている緑色の葉物野菜。
香り付けで料理に入れる香草なのだが、食べられないほど不味い代物ではないのでそのまま煮込んで食べることも多い。
ユルグはこれが子供の頃から嫌いだった。
「んぅ、おいしいのにきらいなの?」
「確かに、クセもあるし好みは分かれる味ではあるな」
「ユルグも大人になったってことかあ……感慨深いものがあるなあ」
三者三様の態度に空になった皿を眺めて、先ほどの違和感の正体が明確になる。
「……なるほどな」
それに気づいてしまったのなら、尚更うやむやにしていられる問題でもなさそうだ。




