苦し紛れの最善手
「……お主に、謝らなければならないことがある」
ミアが出て行って、開口一番。エルリレオは静かに話し出した。
「あの時、お主には酷な事を言った。儂らの事など忘れて、これからも勇者として生きていけなど……仲間想いで優しいお主の情につけ込んで出来もしないことをやれと迫った。その先が立ち行かなくなることくらい、わかっていたのになあ」
窓の外、雪景色を見つめて彼は後悔を口にする。
「だから、老い先短い儂だけがこうして生き残ってしまったのかも知れぬな。片足を無くして、お主の後を追いかけて無事を伝えることも出来んかった。それどころか、仇を取ろうとする弟子も止められず、こんな怪我を負わせて……何もかも自業自得というやつだ」
やるせなく笑って、エルリレオはユルグの瞳を見つめた。
「許してくれとは言わん。恨むのなら存分に恨んでくれても構わない。今更こんな事を言っても遅いとは思うが……すまなかった」
真摯に頭を下げたエルリレオに、ユルグは咄嗟に何も言えなかった。
以前、ミアに言われたとおり。かつての仲間であり師である彼らは、ユルグを恨むような人たちではなかった。それは誰に言われなくても自分自身が身に染みて知っていることだ。
けれど、その事実を認めてしまう事はどうしても出来なかったのだ。
どうして、なんて問わなくても答えは既に分かっている。
心の底では、許されたいなどとは思っていないのだ。
どうあっても冒した罪の重さは贖えるものではない。どれだけ謝っても許しを乞えるものでもない。
そのことを分かっているからこそ、ユルグにとって赦しは酷く無意味なものに成り下がってしまった。
きっと、本当に欲しいものは――エルリレオが望むものと同じ。
「……ちがうんだ。ぜんぶ、俺のせいなんだよ」
エルリレオの言葉に何を答えるでもなく話し出したユルグに、彼はそっと頭を上げた。
その気配を感じながら、マグの中で揺れる水面を見つめて続ける。
「俺がいなければ、グランツもカルラも死ななかった。エルだって、そんな怪我を負うこともなかったんだ。俺が……勇者なんてものじゃなかったら、こんなことにはならなかった」
「だからといって、全てがお主のせいなんてことは」
「……っ、あんたは何も知らないからそんなことが言えるんだ!」
声を荒げたユルグに、エルリレオは目を見開いた。
彼にはどうしてこんなにも苛烈に反発するのか。その理由が分からないのだ。
けれどそんなユルグの様子を目にして、彼の師匠であるエルリレオは何かを察したように俯いた顔を覗き込んだ。
「……何かあったのか?」
心の底から心配して、気遣ってくれる。温かい言葉を掛けてくれる。それが、乾ききった心に染み込んでいく。
何もかもがかつて一緒に旅をしていた時と同じで、それがどうしようもなく嬉しかった。
ささくれ立った感情がすっと納まっていく。
冷静になったところで、ユルグはエルリレオへと切り出した。
一年前に別れてから、今まであったことのすべてを。
===
この世界における勇者という存在。
魔王――マモンから見聞きした情報をすべて吐き出すと、冷めきった茶を飲み干した。
「――だから、エルが謝る事なんて何も無いんだ」
――ユルグが勇者である必要はなかった。
この事実を知った彼は、黙ったまま伸びきった顎髭を撫で付けて神妙な面持ちになる。
こうして思案するのは、エルリレオの癖だった。
昔良く目にしたもので……その果てにどんな答えを出すのか。
やがて彼はおもむろに語り出した。
「そうか……そうだったか」
彼が何に納得して頷いたのか。その真意はユルグには知れない。
けれど彼なりの答えを見つけたようで、まっすぐにユルグを見つめる眼差しは力強いものだった。
「例えそれを知っていても、儂らのすることは変わらなかったはずだ。前に言ったろう? 荷が重いのなら一緒に背負ってやるとな」
それを聞いて思い出すのは、かつて仲間の彼らが言ってくれた言葉だ。
辛いのなら、苦しいのなら遠慮無く頼ってくれれば良い。あの時のユルグはその言葉の真意を掴めなかった。
それを理解出来たのは、ユルグの傍から彼らが居なくなった後だった。
「儂もグランツもカルラも、お主の師匠だ。弟子の前では胸を張るべき存在で、そこにはそれなりの矜持がある。あの酒飲みでどうしようもない男だったグランツだってそうだった。それがあったから、あの時お主に身を挺してでも逃げろと言ったのだ。ユルグが勇者だからという理由だけではないのだよ。それはカルラも、儂も同じだ。お主が勇者である必要がなかったとしても、そこで見限って放り出したりせんよ」
――だから、もう良いんだ。
そう言って、エルリレオはユルグの右手を握った。
その手を握り返すことも、振りほどくことも出来ない。
「……なんで誰も俺を責めないんだ」
どうにも出来なくなって窓の外を見つめて呟いた言葉は、ずっと心の底に沈んであった本心だった。
ミアも、エルリレオも……ユルグに対して一度だって非難はしなかった。お前のせいでこうなったんだと、当たり散らす事もなく支えてくれる。きっと、もう居ないグランツやカルラだって同じだったはずだ。
それがユルグにとってはどうしようもなく苦痛だったのだ。
いっそ、罵倒して打ちのめしてくれたのならどんなに楽か。
彼らの言葉に救われなかったわけではない。けれどそれ以外に償える方法も、楽になれる方法も思い浮かばないのだ。
「……それはな、ユルグ。お主が今までたくさん苦しんできた事を知っているからだよ。だから、もう十分だ。そろそろ自分を許してやっても良いのではないか?」
苦い顔をして本心を吐露したユルグに、エルリレオは小さな子供をあやすように優しくゆっくりと語りかけてくれる。
けれどそれに頷くことは出来なかった。
「そんなの、出来るわけないだろ」
「今すぐでなくとも良い。少しずつ、時間を掛けて……そうやって納得のいく答えを探していけばいい。今度は儂も傍に居てやれる。一人にはしないよ」
拒絶したユルグに、それでもエルリレオは見放すことはなかった。
そういえば、ミアも同じことを言っていた。数日前のことだ。
その時、自分はなんと答えたのだったか。
長い沈黙の後、ユルグは窓の外に向けていた眼差しをエルリレオへと向けた。
「……わかったよ」
一朝一夕にとはいかないことは重々承知している。けれどこうして心配して支えてくれる人がいるのだ。出来る事ならその想いに応えたい。
例えこの先の結末が決まっていたとしても、それまでは足掻き続けてやる。
それが、今のユルグが出せる最善手なのだ。




