活路を開く
やがて辿り着いたのは黒死の龍の面前。
無様に地面に伏している頭の傍。左目に突き刺さっている錆びた剣をじっと見つめて、ユルグは確信した。
「間違いない。これは俺の師匠のものだ」
剣の柄、握った手を保護するように円形のガードが付いている。このタイプは加工も難しく、鍛冶師の技術がなければ滅多にお目に掛かれない代物だ。
そんな業物を、子供みたいに目を輝かせて自慢してくるものだから適当に返事をしていたら、彼の師匠――グランツは、「ロマンが分からない奴だな」なんて文句を言うものだから扱いに困ったものだ。
しかし、実際にはあんなものがついていても剣の腕が上がるわけではない。無駄な装飾で、グランツもそれを理解していた。あれは彼の拘りのようなものだった。
そんな希少なものがこの場所にあるということは、考えなくとも自ずと答えは出てくる。
「……なんで、これが」
左手を伸ばして剣に手を掛ける。
すぐ傍にある黒死の龍の頭は、傍に立ったユルグに対して威嚇のように唸り声を上げるだけ。口端から黒色の液体を零しながら睨め上げているが、まだ動くことは出来ないらしい。
とはいえ、敵対者に向ける殺気は変わらず。いつ食い殺さんと襲いかかってきても不思議ではない。
その動向に注意を払いながら、突き刺さった剣を引き抜こうと力を込める。けれど、既に立っているのもやっとな状態では腕に力が入らない。
朦朧とした意識の中、なんとか引き抜こうと躍起になっていると、背後からマモンの腕が伸びてきた。
それがグイッと錆びた刀身を引っこ抜くと、するりと呆気なく剣は抜けてしまった。
「グガアアアアァァァアアアア!!」
それと同時に、大気を切り裂くような咆吼が響く。
直後――蹲っていた黒死の龍が、勢いよく体躯を起こした。
大きく開け放たれた口は、その歯牙ですぐ傍に立ち尽くすユルグを頭から食らおうとする。
けれど、マモンがユルグを抱えて後ろに飛び退いたことでそれは失敗に終わった。
『油断も隙もないな』
「……っ、たすかった」
既に息も絶え絶えに礼を述べると、ユルグはマモンの身体に寄りかかるようにして雪原に立つ。
正面でフラフラとよろけながら起き上がったドラゴンは、体調が戻り次第こちらに突っ込んでくるだろう。
悠長に構えている時間はないが、それでもあることが気になってユルグは手中にある剣をまじまじと見つめた。
刀身の錆び具合から、一年前のものであることは明白だ。十中八九、この左目を突き刺したのはグランツだろう。しかし、どうやってあの黒死の龍にダメージを負わせたのか。その方法が分からない。
考え込んでいるユルグに痺れを切らしたかのように、背後のマモンから焦燥が伝わってくる。
『あの様子では素直に見逃してくれるとは思えないぞ』
「逃げるつもりはない」
『そんな状態で虚勢を張っている場合ではないだろう! 立っているのもやっとなはずだ! それでどうやってアレを斃す!?』
無茶を言っているのは自分でも分かっている。
けれど、この機を逃したら次のチャンスはやってこない。この怪我では、生きて戻れたとしても右手で剣を握ることは難しい。今よりも戦闘能力が低下した状態では、勝ち目はさらに薄くなる。
どうあってもここでケリを付けるしかないのだ。
「俺の師匠は、アイツに手傷を負わせたんだ。何か方法があるはずだ」
頑ななユルグの態度に、マモンは大きく息を吐いた。そこには諦めの色が混ざっている。
どうやら撤退を促しても聞き入れないと痛感したらしい。
『……方法はある。おそらくあの方法であれば纏っている靄を貫通することはできるはずだ』
「本当か?」
『だが、今のお主では不可能だ』
前置きをしてマモンは手短に語り出した。
彼がこのことに気づいたのは、アリアンネが火球を黒死の龍へと放った時だという。
そうしてそれが確信へと変わったのが、先ほどの魔鉱石を使った自爆。
『アレが纏っている靄は、無尽蔵ではない。一箇所に高威力の攻撃を受けると一瞬だがあの靄が剥がれる。その隙を突ければ手傷を負わせることは可能だ』
おそらく黒死の龍の左目を潰したのも、この方法を使った特攻だったはずだ。
マモンの見解にユルグも異論はない。
一年前、ユルグに背を向けて逃げろと言ったグランツは満身創痍だった。あの状態で活路を見出すには、捨て身の特攻の他に道はない。
ユルグを逃がした後、彼を連れ戻すとカルラが、それに続いてエルリレオも向かった。
マモンの提言した方法を実行するのならば、理論上は可能である。
『……だが、そんな身体では不可能だ。それは自分が一番良く知っている筈だ』
この作戦の実行は、先ほどの魔鉱石による爆発をもう一度やれと言っているようなものだ。
当然、そんなことをしたら先にユルグの方が力尽きてしまう。
「……そうだな」
そもそも、今のユルグの状態ではどうあっても黒死の龍を斃すことなど不可能なのだ。
仮に上手く纏っている靄を一瞬無効化出来たとしても、致命打を与えることなど立っているだけでも精一杯なユルグには出来るはずもない。
この状況ならば誰が見てもユルグの言動は無謀だと言い張るだろう。
それでも一向に撤退の意思を見せない。
なぜそうまで頑ななのか。
ユルグの目的は黒死の龍の討伐にある。むざむざ命を散らそうなどとは考えてもいない。
全てを加味して、彼の頭の片隅にはある妙案が浮かんでいた。




