たったひとつの選択肢
「お前がいれば、黒死の龍を斃せる。それに偽りはないな?」
『然り。一筋縄ではいかないだろうが、お主一人で挑むよりは容易なはずだ』
「だったらお前らの提案をのんでやる」
彼らにとってユルグの決断は予想外だったのだろう。
二人ともいきなりの発言に驚いて、アリアンネに至っては目を見開いて固まってしまった。
『……どういう心境の変化だ? 以前は世迷い言だと眼中に無かったではないか』
「そっ、そうですよ!」
しかしこれまたユルグの予想と反し、彼らの反応も予期せぬものだった。
「俺が良いと言っているんだ。もう少し嬉しそうにしたらどうなんだ」
「それは……そうですけど。勇者様は本当によろしいのですか?」
「もう決めたことだ」
なぜかアリアンネは再三に渡ってしつこいくらいに確認してくる。
以前は荒唐無稽な条件を突き付けてきたと思えば、今回は及び腰。何なんだと問い質したいのはこちらの方だ。
現状、黒死の龍を斃すにはマモンの力を借りる他はない。それにはアリアンネが魔王の器であっては駄目なのだ。
ならばユルグが受け入れるしかない。誰が聞いても明白である。
「そっちから話を振っておいて、いまさら怖じ気づいたなんて言わないでくれよ」
『異論はないよ。己はもとよりそのつもりだった。むしろ喜ばしい限りだ』
「わ、わたくしは……」
肯定的なマモンとは裏腹に、アリアンネの返答は芳しくないものだった。
彼女が何に尻込みしているのか。おおよそ、ここに居ない部外者のことを思っての事だということは、ユルグも瞬時に理解出来た。
お優しい皇女様のことだ。この決断によって誰が悲しむだなんだと余計な事を考えているに違いない。そんなもの、今になって知れたことでもないだろうに。
「やっぱり、俺はお前とはソリが合わないみたいだな」
深い溜息と共に吐き出されたユルグの言葉に、アリアンネはうつむき加減だった顔を上げた。
真正面から澄んだ瞳を見つめて、それに語りかける。
「余計な事は考えないほうが良い。両手で掴めるものは限られてるんだ。だったら自分の大切なものだけ掴んで離さなければ良い。それだけ出来ていれば上出来だろ」
なんとも身につままれる話である。自分の口から出た言葉だが耳が痛い。
ユルグの物珍しい説教を聞いたアリアンネは瞠目して、それから微かに笑んだ。
「……そうですね。勇者様のおっしゃる通りです」
その微笑みがなんとも居心地が悪く感じられて、すぐさま傍観していたマモンへと悪態が向く。
「何で俺がこんな……こういうのはお前の役目じゃないのか」
『むぅ、面目ない』
申し訳無さそうにマモンは頭を垂れる。
そこへ笑みを崩すことなく、いつもの見慣れた微笑を浮かべてアリアンネはマモンへと目を向けた。
「最後まで面倒をかけますね。もう貴方には甘えられないのに、これでは胸を張ってお別れができません」
『そうさなあ……正直なところ心配ではあるが、大層優秀な付き人が居るではないか。気を揉むだけ無駄というものだよ』
和やかな会話が続く二人のやり取りを聞いて、アリアンネがしぶっていたのは何も第三者を想ってのことだけではないと気づいた。
むしろ、彼女は長年連れ添った相棒との別れを惜しんでいるのだ。ユルグも知っている通り、彼女たちの関係は気心が知れた仲だった。であれば尚更、双方とも別れは辛いはずだ。
しかし、だからといっていつまでも先延ばしに出来る問題でもない。
それは当事者である二人も十分に理解しているはずだ。
「それで、その譲渡とやらはどうすれば良い」
会話が尽きた頃を見計らって催促すると、
『己の一存で成されることだ。お主らがすべきことは何もない。今こうして話している間にも乗り換えは可能ではある。だが、そうなると問題なのはアリアンネのことだ』
マモンが懸念しているのは、彼女が魔王の器でなくなった後のことだ。
彼の話ではこれまでの五年間の記憶はなくなってしまうという。そうなれば、次の瞬間にはアリアンネにとってユルグは面識のない他人になる、ということだ。
当然、そんな面倒な事態は避けたいのが本音である。
準備が整い次第、黒死の龍の討伐に乗り出そうと考えているところに、お荷物が増えては適わない。
「やはり一度街に戻った方が良いのでは?」
「それは出来ない」
『しかし、そうは言ってもなあ』
この状況での最善手は、やはり一度街に戻って諸々の準備を済ませてから挑む。これしかない。
三人ともそれは分かっている。ここで一人我を通すのは利口とは言えない。
「……わかったよ」
しばらく考え込んだ後、先に折れたのはユルグだった。
現状を見ればこのまま黒死の龍に挑むのは明らかに無謀である。ここは街に残してきた三人と合流するのが良いだろう。
そうなれば小言や文句の一つや二つ。容赦なく飛び交ってくるだろうが、それは甘んじて受け入れるとしよう。
『であれば早く下山した方が良い。そろそろアレもこちらの存在に気づいているはずだ』
「何の話だ?」
脈絡のないマモンの言動に眉を寄せて聞き返すと、彼は山頂に目を向けた。
『己は瘴気と同等の存在だと言っただろう。ああいった魔物は瘴気の濃度の高い場所に引かれて寄ってくる。普段ならばこの祠を根城にしているのだろうがこの状態だ。ここまで知れば、皆まで言わずとも分かるだろう』
「……ということは」
釣られるように揃って空を見上げる。
直後――それを見計らったかのように、遙か山頂の空――黒い影がこちらに飛来してくるのがはっきりと見えた。




