決別の一歩
――二日前。
ミアの体調を心配して、このまま進むか引き返すか。一悶着あって、結局このまま進むと決めた後。
その日の道程を終えて夕刻にさしかかり、野営準備に取りかかっていた時のことだ。
病人には無理をさせられないと言われ、大人しく焚き火の前に陣取って火の番をしていると周囲の見回りを終えたユルグが戻ってきた。
抱えた小枝を焚き火の傍にまとめて置くと、彼はなにやら一瞬だけ躊躇った後、ミアの傍に腰を下ろした。
普段なら忙しなく方々を手伝いに回っているというのに、その時のユルグはどうしてか。珍しく仕事を放棄してミアの隣に居座った。
その様子に不思議に思ったけれど、彼の口から零れた言葉を聞いて、その疑問は消えてしまった。
寒くはないか。
体調はどうだ。
辛くはないか。
矢継ぎ早にくる質問にすべて大丈夫だと頷くと、そこで目に見えてユルグはほっと息をついた。
それから、何を言うでもなく赤々と燃える焚き火に目を向けてしまう。
その横顔を見つめて、ミアは少し違和感を覚えた。
最初は心配してこうして傍に居てくれるのだと思っていたけれど、なんとなくそれだけではないように思えたのだ。
漠然とした予感を抱えていると、それを問う前にユルグは口を開いた。
言い淀みながら、それでもしっかりと言葉を選んで彼が話してくれたことは、思ってもみない謝罪の言葉だった。
ユルグが面と向かって話してくれたのは、過去の贖罪。
ミアの両親が亡くなって、数年間。辛いときに傍に居ることも出来ずに独りにしてしまったことを悔いて、すまなかったとユルグは言った。
いきなりのことにミアは目を円くして、神妙な面持ちでいる幼馴染みの顔を見つめるしかなかった。
何があって、どうしてこんなことを言い出したのか。その理由がまったく分からなかったのだ。
そもそも、こうして謝られることなんて何もないじゃないか、というのがミアの率直な意見だった。
「ま、まって。ちょっとまって!」
慌てて彼の言葉を遮ると、膝の上に置かれた握りしめられた拳を手に取る。
突然のミアの行動に、ユルグは驚いたように固まってしまった。
一瞬の沈黙が生まれたのち。
握った手を放すことなく彼の目を見つめて、ミアは思った事をそのまま言葉にした。
「どうしてユルグが謝る必要があるの?」
まっすぐな疑問をぶつけると、ユルグは先ほどのミアと同じ表情を見せた。
その顔は言外に、何を言っているんだと語っているようにも見える。彼にはミアがなぜこんなことを言うのか分かっていないのだ。
それもそのはず。罪の意識があって、自分が悪いと思い込んでいるからあんな謝罪が口をついて出てしまう。
それそのものを否定する言葉など、ユルグにとっては予想だにしないことなのだ。
「あなたは何も悪いことはしてないじゃない」
「でも、おれが」
「ユルグは勇者として旅に出たんだから。仕方ないことに腹を立てて恨む事なんて、そんなのするわけないじゃない」
曲がりなく伝わるようにゆっくりと言葉を投げかけると、ユルグはなぜか目を逸らした。
その態度からはまだ自分に非があると思っているようで、どうすればその考えを払拭できるのか。
沈黙するユルグを見つめながらミアは考えに考え抜いて、やがて一つの答えを出した。
「ねえ、過去のことでそうやって悩んで苦しむのはもうやめにしない?」
ミアが出した答えは、許す許さないなどではない。
もっと根本的な解決の仕方。過去に固執しなければ良いじゃないか、というものだった。
さっきまで暗い顔をしていたユルグは、それを聞いて文字通り固まってしまった。口を半開きにしたまま、完全に思考停止した姿を視界に収めて確信する。
ミアの知る幼馴染みの性格を考えれば、多少荒療治だがこのくらい強引な方が良い。
優しい彼のことだ。言葉で言うのは簡単だけど、そう踏ん切りはつかないだろう。
けれど、少しずつでもいい。ゆっくりでもいい。
大事なものを失った喪失を癒やすには、何よりも時間が必要なのだ。かつてのミアも同じだったから、それは身に染みてわかる。
ミアに出来る事は、傷が癒えないまま戦ってきたユルグを傍で支えてやることなのだ。
「このままじゃいけないって思ったから、こうしてここまで来たんじゃない。ただの復讐じゃなくて、前に進むためならいつまでも後ろを向いたままじゃ、歩き出しても前を見てないとどこにも行けないよ」
「……でも」
「私もずっと傍にいるから、一緒にがんばろう」
励ますように言葉を投げかけると、ユルグはゆっくりとミアに目を向けた。そこには色々な感情が渦巻いて見える。
……不安や恐れ、安堵に希望。
ミアが抱くものよりも遙かに大きいであろうそれは、簡単に解決するものではない。それでも、直後に見せた彼の表情にミアは大丈夫だと悟った。
「わかったよ」
触れていた手を握り返して、その言葉と共に向けられた笑み。満面の笑みとはいかないけれど、それでも懐かしさで胸がいっぱいになる。
彼の笑った顔を見たのは、いつぶりだろう。何年も昔のようにも感じていたそれが、こうしてまた見ることが出来たのだ。
感極まって、何を言うでもなくじっとユルグの顔を見ていたミアを当の本人は気にするでもなく、再び焚き火へと向き直った。
その直後のことだ。
「……許してくれるかな」
消え入りそうな声で呟いた言葉は、それでもしっかりとミアの耳へと届いた。
何に対して言ったのか。
あの時の一言がずっと頭の片隅に引っかかっていた。




