絶望に足を掛ける
ティナはユルグの問いかけにハッと目を見開いた。
まるで取り返しの付かないことをしでかしてしまったように。致命的なミスを眼前に突き付けられたかのように。
彼女は一瞬、息を呑んで。それから慎重に言葉を選んで告げる。
「お嬢様から聞いていないのですか?」
「……何を」
「魔王と共にいる事になった、その経緯をです。私は既に知っているものだと」
ティナの問答に、ユルグは頷くより他はなかった。
彼女の言う通り、アリアンネの今までの経緯を知らない。ユルグにとっては然程重要ではない事柄だと思っていたからだ。彼女が魔王であるのなら、それ以上でも以下でもない。
しかしそこが盲点であり、彼女らがどうしても隠したかった事象だったのだ。
「言わなくても良い。直接聞く」
「――っ、待ってください!」
ティナの制止を無視してユルグは補強作業を放り出すと、野営地へと向かっていった。
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荒々しい足取りと共にアリアンネの元へと向かうと、彼女は天幕を張っている最中だった。悪戦苦闘している様子を、近くにある切り株の上で黒い身体を丸めてマモンが傍観している。
少し離れた場所では、ミアが鼻歌交じりに鍋をかき混ぜていた。
何のことはない。いつもの見慣れた風景である。
それをぶち壊すかのように、激高したユルグが詰め寄ってきた。
「――っ、お前! 俺に嘘を吐いたな!」
勢いに任せて伸ばした手がアリアンネの襟首を掴んだ。
凄まじい力で締め上げて持ち上げられてしまっては、どうすることも出来ない。
「なっ、なんですか!?」
成されるがまま、何が何だか状況が分かっていないアリアンネは目を円くして狼狽えていた。
その様子は怯えているというよりも、ユルグの突然の奇行に驚愕していると言った方が正しい。
彼女の反応は至って普通だった。
そもそも、こんなふうに詰め寄ること自体が間違っているのだ。
しっかりとアリアンネから話を聞くつもりならば、恐喝などする必要は無い。
分かっていてこんなことをしているのは、この怒りをどこに向けて良いのか分からないからだ。
……そう。話など聞かなくてもユルグには全て理解出来てしまっていた。
けれどその真実を、どうしても認められなかったのだ。
「どっ……、どうしたのよ。いったい」
背後からミアの心配する声が聞こえてきた。
しかし、今のユルグにはそれに応えてやれる余裕はない。
『……いきなりどうしたと言うのだ』
切り株の上に丸まっていたマモンは、尋常ならざる様子を察して身体を起こしている。
この距離ならば、仮にユルグがアリアンネに何か危害を加えようとしても彼女の身の安全は守れるだろう。
しかしそうは言っても彼の声音から、緊張していることは伝わってきた。
それらの雑音を全て頭の外へと追いやって、ユルグはじっとアリアンネを睨み付けた。
瞳の中に渦巻く苛烈な感情に気づいたのか。
アリアンネは未だ襟首を絞められているにも関わらず、眼を細めてその眼差しをまっすぐに受け止めた。
「何を聞きたいのですか?」
アリアンネは何かを察したように、ただ一言それだけを告げた。
「お前は何者だ」
それに対してのユルグの問いかけは何の捻りも無い、端的なものだった。
否――彼女への詰問はたったこれだけで良かったのだ。
「わたくしは……ただの皇女です。何の使命もない、ただの皇女でした」
アリアンネの答えを聞き終えたユルグは、そっと襟首から手を放した。
先ほどまでは射殺さんばかりに睨み付けていた眼差しも、その鋭さをなくしてしまっていた。
その目を見据えたアリアンネは、何を言うでもなく眼を逸らす。
今のユルグの心情を思えば、どんな言葉も意味を成さないことなど、彼女は十分に理解していたのだ。
「……そうか」
静かに呟くと、ユルグは空を見上げて白む息を吐いた。
頭上からは雪が音も無く降ってきている。
「おれのしてきたことは、ぜんぶ無駄だったんだな」
うわごとのように呟いたその言葉は、誰に言うでもない。自分に向けられたものだった。




