惚れた弱み
話もそこそこに野営地まで戻ると、ティナがひとりで夕飯の支度をしていた。
いつもはミアと共に飯の準備をしているのだが、今回は違うらしい。
不思議に思って聞いてみると、フィノと一緒にユーリンデの世話をしているようだ。
なんでも日頃の労をねぎらってやろうとかなんとか。今日はいつもより豪勢な食事をあげようと二人して付きっきりである。
遠目にはしゃいでいる様子を見る限りでは微笑ましいものだ。
そんな場面を目にしてしまったら、やはり先ほどのアリアンネとの協定も有意なものであったと言えるだろう。
「それにしても勇者様。ミアが相手だといつもより物腰が柔らかくなるのですね」
いきなり思ってもいない話題を振られて、内心の動揺に肩が跳ねる。
ゆっくりと声のした方向を振り返ると、そこには見目良い笑みを浮かべるアリアンネがいた。
「……何の話だ」
「先ほどの一件も彼女に詰め寄られたから、あのように歩み寄ってくれたのではないのですか?」
「そ、それは……」
――図星だった。
しかし、ここで素直に首を縦に振るのは格好が付かない。
……いや。そもそも、アリアンネに言い当てられた時点で、否定しなくとも筒抜けということになる。
いまさら体面を気にしてどうなんだという話だが、それでもこれ以上の汚名、不名誉、恥辱などまっぴらである。
あれやこれやとこの状況からの打開策を考えていると、不意に食事の支度をしていたティナが顔を上げた。
「惚れた弱みというやつでしょう」
さらりと言い放って、彼女は再び鍋の中へと視線を落とした。
「そっ、そんなわけあるか! これは昔馴染みだからってだけだ」
「あのように締まりのない顔で、食い入るように見つめられては説得力がありませんね」
「してない! してないからな!」
「そういうことにしておきます」
ユルグの噛み付かんとする反論に、ティナは至極冷静な対応をした。
ここまで見事にあしらわれてしまっては、ムキになったぶんだけ疑惑も深まる。墓穴を掘るとはこのことだ。
内心穏やかではないものの、慌てて口を噤むと荒々しげにユルグはその場を後にした。
「あまりからかってあげるのは、可哀想ですよ」
「ここまではっきり申し上げなければ、殿方は分からないものなのです」
「へえ、そうなのですか」
――などという会話を右から左へ聞き流し、とりあえずと向かったのはユーリンデのえさやりに夢中になっている二人のところ。
「――ん!」
何の気なしに顔を出すと、野菜が入った桶を抱えたフィノからにんじんを押しつけられた。
手渡されたにんじんを見つめて、おもむろにユーリンデの顔の前へと持って行く。すると、ばりんぼりんと噛み砕かれて、あっという間になくなってしまった。
良い食いっぷりである。
最後についでと言わんばかりに手を舐められて、涎まみれになってしまった。
「おししょう、よかったね」
「……なにが?」
「ユーリンデ、すきっていってるよ」
……馬に好かれてもなあ。それにこいつは雄馬じゃなかったか?
馬の背を撫でながら呑気な台詞を吐くフィノを半目で見つめて、べとべとになった手を布巾で拭く。
そんな二人と一頭のやり取りを傍で見ていたミアは、にこにこと実に楽しそうな様子で微笑んでいた。
それを目にして、ユルグはあのことを報告しなければと思い立つ。
「昼間のことなんだが……アリアンネとは話を付けてきたから心配しなくても良いよ」
「えっ……えええええ!?」
しかし、ミアの口から飛び出たのは素っ頓狂な叫び声であった。
これにはユルグも開いた口が塞がらない。
幼馴染みの切実な願いを聞いて、嫌々ながらも妥協を重ねてこじつけたのだ。それをこんな態度で返されては拍子抜けもするし、面白くはない。
「ど、どうしちゃたの?」
「ミアが仲良くしろって言ったんだろ」
「確かにそう言ったけど、ぜっっっったいユルグには無理だと思ってたんだもん」
彼女の発言には返す言葉もなかった。
その通りである。当の本人であるユルグでさえも絶対に無理だと思っていたのだ。
「だから私も色々考えてたんだけど……そっか。解決したならもう良いのかあ」
彼女はそう言って、しょんぼりと肩を落とした。
こんなにも悲しげにされると、余計な事をしてしまったんじゃないかと思ってしまう。そもそも、ミアがどうしても仲良くして欲しいとしつこく迫ってくるから渋々ユルグもそれに従ったのであって、こんな態度を取られる謂われはないのだ。
「なんでそんなに残念がる必要があるんだ?」
「だってさあ。親睦を深めるために計画していたあれそれが全部パーになったんだよ? 一緒に雑用してもらったりとか……ほんと色々」
なるほど。さっきの小枝拾いも、親睦を深める云々の一環だったわけか。とはいえ、そんなことをされたって距離は縮まらなかっただろう。むしろ気まずいだけで逆効果だ。
ミアの話によれば、こういったお節介を他にもたくさん実行する予定だったらしい。
計画の全容を知って、早めに事を済ませておいて良かったとほっと胸を撫で下ろしたユルグの傍では、延々とミアが話を続けていた。
「――それで最後の一大イベントがあるんだけど」
「……一大イベント?」
「そう、ラガレットに入って少し行った所に街があるじゃない? ええっと……ティブロンってところ」
「うん、あるな」
その街ならばユルグも以前に足を運んだことがある。確か――
「そこね、温泉街で有名なの!」
そう。あの街は温泉の名所なのだ。いわゆる秘湯というやつである。
仲間たちと立ち寄った時もカルラがどうしてもと駄々を捏ねたので、これでもかと満喫する羽目になった。
どうやら世の女性はこういったものに目がないようだ。
「慰安旅行をしているんじゃないんだぞ」
「わかってる! でも気になるじゃない」
それって、自分が行きたいだけじゃないのか?
――などと思ったけれど、口を噤む。
結果的にミアの計画はご破算になったのだからこれ以上はいらぬ心配である。
しかし、それを傍で聞いていたフィノがミアの意見に同調するように声を上げた。
「「おっんせんっ! おっんせんっ!」」
意気揚々と声を合わせた合唱に、ユルグはこめかみを抑えて盛大に溜息を吐いた。
ここまで増長してしまうと、もはや手の付けようがない。
この場を上手く収める方法は、一つだけ。わかったと頷くより他はないのだ。
元々ティブロンには寄るつもりであった。
ラガレットを北へ進むとなると、次第に寒さが厳しくなる。今は関所へ向かう道中でまだ暖かいが、防寒対策は必須になるのだ。
それを最初に目に付いた街で済ませようと考えていたので、例の温泉街へと寄るぶんには何の不都合も無い。
しかし、先ほど言われた一言が脳裏によみがえってくる。
――『惚れた弱みというやつでしょう』
苦しい言い訳をして逃れたばかりなのだ。
この場を治めても、再度話題に出されては何と言われるか。そんなの想像に難くない。
進むも地獄、退くも地獄の状況に、ユルグは殊更深い溜息を吐いて項垂れるのだった。




