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怠惰な足音  作者: 隠居 彼方


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4 復讐の少女




別に嫌だという理由もなかったし、抵抗するのもめんどくさそうなので、とりあえず少女に従うことにした。

特に僕が何のリアクションも見せないので、少女は拍子抜けしたようだ。

どこか忌々しそうにテレビの電源を落とすと、僕の首から渡されていたボタンをとって、テーブルの上に置く。

後ろについて来ていた男の一人が、僕にアイマスクで目隠しをして、車椅子を押した。

外に出てもいいんだろうか。

これはダアトとか、『生命の樹』の意向なのか?

僕を殺すかどうか、彼らは決めたんだろうか。

でも、何だかそんな感じじゃない。

車椅子は今までにない距離を動き続けている。

大人しくついてこいなどと言うから自分で押していくのかと思ったけれど、あっちが勝手に連れて行ってくれるようで、めんどくさくなくて良かった。

部屋の外に出たようだけど、アイマスクのせいでその実感はあまりない。

時間の感覚はよく分からないけど、結構長く移動していた。一度、エレベータにも乗っていたと思う。

やがて、また扉をくぐる気配がして、ぴたりと車椅子は止められた。

アイマスクが外されるとそこは、先ほどまでいたリビングと同じくらいの大きさの、殺風景な部屋だった。コンクリートがむき出しになっていて、冷たそうだ。

僕の目の前に、少女は腕組みをして立った。

「まずあなたに聞きたいことがあるの。正直に答えなさい」

何だかやっぱりめんどくさそうだなぁ……。

「狙撃手をやっていたというのは本当?」

彼女はここに来る前のことを聞いているのだろうか。

なぜわざわざそれを僕に尋ねるのだろう?

『生命の樹』は僕たち商品に関するデータを持っているんじゃないのか。

分かりきったことならばそれに答えるのは無駄だしめんどくさい。

僕が黙っていると、少女はどこからか、工具のようなものを取り出してきた。

鑿……というやつだっただろうか、刃先が光って、よく切れそうだ。

「痛い思いをしたくないのなら正直に答えることね。答えなければ身体の端から少しずつ削ってあげる」

痛いのは嫌だな。

めんどくさいがしょうがない。

「……戦闘による。狙撃部隊に配属が多かったのは確か」

おそらくどういった場面にどこまで対応できるかとか、僕たちを試していただろうし。

「そう。それなら二年前の戦闘ではどう? あなたは前線にいた?」

二年前と言われても、漠然としすぎている。

「かなり大きな戦いだったわ。あなたたちの方もかなりダメージを受けていたはず……。それからしばらく動かなかったもの」

それならもしかして、あれだろうか。

時間の感覚はいまいちよく分からないが、そう遠くはない昔、仲間が半減したことがあった。

それからしばらく戦闘に駆り出されることはなくなっていた。

もしそれで合っているなら。

「狙撃部隊にいた……と思う」

「戦場のどこにいたの」

少女の言葉はだんだんきつくなっていた。鑿を握る手が白くなっている。

だが、そんなことを聞かれても、個々の戦闘でのことをいちいち覚えてなどいられない。

大体、同じような景色の場所ばかり見てきたような気がするし、めんどくさくて周りなどそう気にしていなかった。敵を撃つことを命じられて、そのことだけに集中していた。

「さぁ……」

首を傾げると、さっと頬に痛みが走った。

鑿で切りつけられたのだ。

正直に答えたのに、理不尽だ。

「では質問を変えるわ。青い制服。身体は他の兵士よりずっと大きかった。持っていた銃の形も特殊なものだったはず。覚えは?」

いたかと言われればいたかもしれないし、見なかったといえば見なかったと思う。

殺すのが日常だった世界で、相手のことなど全て覚えていられるはずがない。

分からない、と僕は答えた。

そう、と少女は怒りを堪えたのか落胆したのか、声色を落とした。

「……まぁいいわ。はっきりしないのは残念だけど、どちらにせよ、あなたを殺すことに変わりはないし……」

『生命の樹』の決定というわけではなさそうだけど。

ダアトが姿を見せないのが何だかおかしい。

でも、殺してくれるというのなら面倒がなくていいか。

「私の大切な人も仲間も、あなたたちによって殺されてしまった……」

憎しみをこめて彼女は言った。

「他の子どもたちには手を出せないけれど、あなたにはあのメールの文言がある……。屈辱を味わって、死になさい。私の絶望の代償に」

少女が命じて、僕は男たちに車椅子から引き摺り下ろされた。

乱暴に服を剥がされて、これはあれか、と顔を顰める。

何度かこうして複数の指揮官に服を毟られて痛い思いをしたことがあった。

あの時もめんどくさかったので抵抗しなかったが、あれは痛いし気持ち悪いしで、今もかなり遠慮したいのだが……。

黙って男たちの行為を受けつつ、顔を上げる。

少女は冷やかに、少しだけ悲しそうな目で、僕を見ていた。

憎い、か……。

僕を、殺したいんだな……。

殺したいなら、さっさとその鑿で心臓を突くなり、男たちの銃で頭を打ち抜くなりしてくれればすぐに済むのに。

早く何もかも終わればいい、と僕が思った時だった。

唐突に、僕たちが入ってきたところでもあるだろう、ここにある唯一の扉が開いた。

少女がはっと身を強張らせる。

扉の向こうから、冷え冷えとした部屋に足を踏み入れたのは、ダアトだった。

今までに見たことのない、表情のない顔で彼は僕を一瞥し、少女の方に目を向けた。

風呂場で僕の裸を見てうろたえていた人物とは思えない変貌ぶりだ。

「――何をしている」

凍えるような響きだった。

「ティファレト、両足義足の子どもについては全て僕が預かると決定したはずだ」

少女は少しだけ身を震わせて、悔しそうな顔をする。

「どうして、ダーがここに……」

「ばれないと思ったのか? あんなちゃちな仕掛けで僕のシステムを騙せるとでも?」

「……っ」

「馬鹿なことをしでかすとしたら君だと思っていた。商品の情報を教えないようにしてあげたのに、全く世話の焼ける部下を持つと苦労する」

「あなたは、どうして……!」

ぐっと少女は鑿をますます強く握りしめた。

「あなただって憎いはずでしょう! いくらあいつらに洗脳されていたといってもあの子どもたちは同志をたくさん殺してきたのに……! 私たちの大切な人だって……!」

「『生命の樹』はあくまでも平和維持組織。殺人や復讐のために存在しているのではない。ティファレト、幹部の一人である君こそその姿勢を貫かなくてはならない」

ダアトの言葉は正論に過ぎたようだった。少女はかっと顔を赤く染める。

「……そんなことを言って、ダー、あなた、もしかしてこの殺人人形を、あの方と重ねているのではないの!? ダアトと呼ばれながら、わざわざその手で全て面倒みてやるなんて……、あの方を支えていた頃みたいに――」

「口が過ぎるぞ、ティファ」

一瞬、おぞましいほどの殺気を感じた。

ダアトは静かな動作で少女に銃口を向けていた。

少女は息を呑んで、黙る。

「もう昔とは違う。そのことを忘れたのか? 僕は誰だ?」

「……ダアト、様――」

少女の瞳が昏く沈む。

これは、と僕は思った。

男たちが無造作に放っていた上着に何とか手を伸ばし、僕は黒光りする銃を手にする。

驚く男たちを尻目に、僕は、久しぶりにその引き金を――引いた。




パン、パン、と銃声が部屋に響いた。

久しぶりに聞くその音は随分と大きい気がして、僕は顔を顰める。

驚いた顔のダアトと少女が、僕を見つめた。

ダアトの手にあった拳銃と、少女の手に会った鑿が、コンクリートにぶつかって音を立てる。

案外、腕は鈍っていないようだ。

男たちが僕から銃を奪おうとしたが、僕が自分のこめかみに銃口を向けると、部屋の空気が固まった。

「ちょっとあなた、何を……!」

撃鉄を親指で起こす。

人差し指で引き金を引こうとして――。

ぶるぶると手が震え始めた。

意思に反して手が銃を離そうとするのを必死で押さえる。

ダアトはそんな僕を冷静に見つめていた。

……そうか、やはりそうなのか――。

とうとう反対の手が僕から銃をもぎ取った。

ダアト以外の人間は茫然と僕を見ている。

はぁ、と溜め息を吐いた。

「こういうわけだから、さっさと殺してくれると面倒がなくて助かるんだけど。今なら君たちに銃を向けた罪とかでやれるんじゃない?」

銃を少女に向けて差し出す。

「……全く、それだとこっちが色々困ると言ってるだろう? 下に示しがつかないし」

脱力してしまった様子で答えられない少女の代わりに肩を竦めたのは、いつも通りのダアトだった。

彼は上着を脱ぎながら僕の方に歩み寄ると、脱いだ上着を僕に着せるというより巻きつけるようにした。

拳銃を男の一人に手渡して、僕を車椅子の上に戻す。

「部屋に戻るよ。目隠しはしないけど、できれば目は閉じていて」

言われて僕は目を閉じた。

「ティファレト、今回のことは見逃す。幸い、知っているのは僕だけだ。でも次回はない。分かったね」

「……」

少女は返事をしなかったが、小さく頷いたような気配があった。

ダアトが車椅子を押して、冷たい部屋を出ていく。

……ああ全く、めんどくさいことになってしまったものだ。




部屋に戻るまでダアトは無言だった。

「外」を見てみたい気もしたけど、少しの好奇心でめんどくさいことになるのはご免だったので、大人しく目は閉じたままでいた。

帰ってくれば、リビングは当然ながらいつもと同じで、とりあえずこれで痛い目からは解放されたかとほっとしてみる。

ダアトは僕に着替えをよこし、引き裂かれた服を見て溜め息を吐いた。

「……君もさ、拳銃を奪えるくらいだったら少しは抵抗しようよ。いつもみたいに面倒臭がっていただろう、あの時」

めんどくさいものはめんどくさいのだからしょうがない。

「それとも、自分がどういうことをされていたかも分からなかった?」

ダアトにしては珍しい、皮肉っぽい調子だった。

僕が答えないでいると、強い力で着替えていた手を握られる。

返答を求めている、という風ではないと思ったけど、手が痛かったので僕は答えた。

「……別に、初めてじゃなかった」

ダアトは不思議な表情を浮かべた。後悔するような、痛そうな顔だった。

「ああいう時は抵抗した方が余計に痛い目を見る。僕は痛いのは嫌いなんだ」

答えたけど、やっぱりダアトは手を放してくれない。

怖いくらいの深遠をたたえた瞳で、ダアトは僕を見ていた。

その顔が近づいて、鑿で傷つけられた頬を、ダアトの唇が覆い、舌が這った。

「……っ」

傷口をなぞられて、僕は痛みに顔を顰める。

「痛いのが嫌い? 僕だって嫌いだよ。あんなことを許して……、痛い思いをするのは自分だけだと思っているのか」

それは、どういう、意味なのか。

「……ティファレトの言った通りだよ……」

ごく間近で、ダアトは囁く。

「僕は君といることで昔みたいに安らいでいる。でもそれと同じくらい……このまま息を止めてやりたい――」

「そうすればいい」

「それはできない」

苦痛をこらえる声で彼は言った。

「……暗示を解いてくれれば自分で死ぬのに」

ぽつりと言ったが、ダアトは首を振る。

昔いた場所のことや指揮官のことを、あんな風に口にすることも僕たちには禁じられていたはずなのに、さっきは口にできた。

だから、自殺してはいけないという暗示も解けたと思っていたのに。

僕は自分を殺せなかった。

まだ、自分で自分を殺してはいけないという命令は生きているのだ。

自分を殺せたなら、こんな面倒なことはなかったというのに。

「君の仲間も何人か死のうとした。昔と現在のギャップに絶望したんだ。でも、死ねなかった。僕たちは予想してたんだよ、君たちが死のうとするだろうってこと。だから、他の暗示は解いてもそれだけは解除しなかった」

「……ひどいな」

「そうだね」

ダアトは少し笑った。

「君の方が、僕たちよりもずっと優しい」

彼の言葉の意図するところはよく分からなかった。

「どうしてさっき、僕とティファを撃ったんだい?」

「……めんどくさいことになりそうだった……」

「僕から彼女を庇おうとしただろう?」

「……」

「彼女はあの時鑿を持って僕に切りかかろうとしていた。……僕は彼女が殺気を持って動いたならきっと、撃っていただろう。……彼女とは古い付き合いでね。だから、あの時の君の行動には感謝しているんだ」

「……僕は、ただめんどくさいことが嫌いなんだ」

嘆いたり悲しんだりして泣くのには体力を使うし、とても面倒なことだ。

否定なのか、返答でないような返答に、ダアトは苦笑して、身体を離した。

「君は生きることが面倒臭いから死にたいの?」

僕は頷いた。

「……そんな理由じゃ、僕は君を殺してあげないよ、アイン」

残酷に、ダアトは、嗤う――。


「さて、夕食を作ろうか? 君はお風呂に入る?」

いつものように笑ったダアトに、僕はどっと疲れを覚えて車椅子の背に深く凭れた。

いつもはめんどくさくてこんなにしゃべったりしないから、しゃべりすぎたのか。

でも、めんどくさいことから解放されて死ぬのにちょうど良い機会だと思ったんだ。

でも、駄目だった。

全く、色々、計算違いだ。

僕は首を振った。

「……寝る」

「そう? じゃあその前に、ほっぺだけ消毒させてくれる?」

頬の傷はあまり深くなかったようで、ダアトは消毒した後絆創膏を貼った。

そのついでに、緊急用のボタンを首にまたかけられる。

「おやすみ」

それに返事もせず、寝室へ入って、ベッドにダイブした。

絆創膏の下の傷が疼く。

ダアトはひどい。

でも、誰よりも本当に残酷なのは――。





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