プロローグのそのあとで 〜魔女とキカイ人形〜
いつか、どこか、とおい場所で。
「この旅は、いつまで続くのですか」
骨拾いから譲り受けた人型自律キカイ──ジィナにそう尋ねられた。
アンバーは微睡みながら、「さあね」と答える。
近頃は過酷な配達続きだった。手取りは少なく、手間はかかる。
連泊をとった宿屋の、しけた匂いのするベッドの中でアンバーは大きく伸びをした。
「それは、私にもわからないよ」
「……あなたはジィナを再起動した。ジィナは行動指針がほしいです。目的も期限もないのですか。なんせんす」
ジィナは少しも乱れていない銀髪を揺らして、小首を傾げる。
先日、骨拾いから譲り受けたイカイ製の人型自律キカイである。
ジィナが発掘されたのは、ボーキョー川近くのイカイ人たちが多く入植していた地域だ。
越境戦役が終結してから、まだ日が浅い。撤退時に放棄された備品だろう、と骨拾いが言っていた。
元々はイカイの兵士たちの心と体を慰める目的で使われていたというジィナの体躯は、よくよく眺めてみても人間と変わらない。むしろ、滑らかで柔らかくて、美しい肌をしている。
「ん……こーどーししんねー……」
アンバーは思う。いい貰い物をした。
眠るまでこうして話し相手になってくれるのも、アンバーにとってはありがたかった。
寂しくて同衾を頼んでみれば、とても具合がよかった。
こんなに安心して眠ったのは、いつぶりだろうか。まだアンバーが魔女になるずっと前、幼い頃に感じていた安らかな気持ちを少しだけ思い出す。
「じゃあ、私の護衛的なのはー?」
いい考えじゃないか、とアンバーは思った。
ジィナは戦役末期には入植で生まれ育った子どもたちの世話をしたり、もしものときの警備にあたったり、という雑用を仰せつかっていたらしい。戦闘の心得も刷り込まれている。
「提案されても困ります。そもそも、あなたはジィナの護衛も必要ないくらいに強いはず。なんせんす」
「んー……えー? じゃあ……」
考えている最中に、ぐぅっとアンバーの腹が鳴る。
ジィナがぽかんと口を開いた。
「また、お腹が空いたのですか?」
「うん。魔法ってお腹が空くんだよ」
「……何か食料を調達してきます」
「いいね、ありがとう。きみはお腹が空かないんだよね」
「人型自律キカイですので」
「……そっか」
アンバーは微笑む。
温かいものがいいな、と呟く。
ジィナはほどなくして、湯気がほこほことあがる、肉入りの蒸し饅頭を山ほどもってきた。
湯気で湿った油紙で包まれたそれは、手にするだけで胃袋が温まりそうだ。
「きみも一緒に食べれるといいのにね」
「……へんなひと」
「魔女だからねー」
肉汁滴る蒸し饅頭をむぐむぐと頬張った。ああ、生き返る。
まんぷくになって人心地が、いや、魔女心地がついたところで、アンバーは「そういえば」と切り出した。
「……魔女というのはね、生まれつき魔女ではないの」
「そうなのですか」
イカイの技術で作り上げられた人形に、アンバーはかみ砕いて説明する。
「本物の魔女というのはね、このヒガンにおいて素質をもって生まれた子どものなかで、魔女として生きることを決めた者なんだ。我らが偉大なる主人に、もっともっと強大な力を賜ってね」
「あるじ?」
「そう。まあ、神様みたいなものだと思ってくれていい。私たちは、それに『誓願』を立てて本物の魔女になる」
信じられない? と問いかけてみる。
けれど、表情のほとんど変わらないジィナである。何を考えているのかは、アンバーにはわからない。
まあ、もともとが雲を掴むような話なのだけれど。
「誓願、ですか。誓い。願い」
「──この世のすべての手紙を届ける。これが、私の誓い」
「それは何かの冗談でしょうか?」
ジィナは言った。
「そんなこと、できるはずがありません」
「できるまで、私は魔女であり続けるんだ。これは罪滅ぼしだから」
「罪滅ぼし?」
そうだ、とアンバーは頷く。
魔女と呼ばれたのは、もうずっと前のこと。
その頃はただの、魔女の弟子──魔術を操ることのできる小娘だった。
かつてのアンバーは、乞われるままに魔術を駆使してイカイの兵士を殺した。
正しいことをしているのだと、驕っていた。
だって、最初にヒガンの人々からすべてを奪おうとしたのは、紅い塔からやってきたイカイ人たちで。
だから、人々は魔女を探し出し、願いをかけたのだ。
──このヒガンを、奪い返してほしいと。
一度奪われたものを奪い返すのに、遠慮はいらない。
だから、魔女たちは殺した。
殺して、殺して、殺した。
彼女たちには──魔女には、それができたから。
アンバーにはそれが、できたから。
「最後にはね、私の魔術に巻き込まれてヒガン人が命を落とすことにも、大きな感慨を抱かなくなってた」
魔女は告解する。
かつて、愚かだった自分が選んだ誓願を抱えながら、選んだ道を告げる。
「……私は知ってしまったんだ。あのとき、私がするべきだったのは……殺して回ることなんかじゃなくて……」
答えなどもう、わかっている。
力に溺れることなく、この才を人が生きるために使うべきだった。
だから、これはアンバーの贖罪だ。
人と人との縁を繋ぐ魔法──到底、小手先の魔術では成すことのできない奇跡を操るために、アンバーは神に誓ったのだ。
「思えば、イカイ人にだって家族はいて、届けたい声があったんだろうねー」
アンバーは静かに呟く。
そんなことを考えても仕方がないのかもしれないし、それこそがアンバーの傲慢なのかもしれないけれど。
「ってわけで。この命が尽きるまで、私は手紙を届けるのよ。いえ、ヒガンの手紙をすべて届け終えるまで、私の命は尽きないの」
気まぐれに引き取ったイカイの人型自律キカイ──ジィナの銀色の髪を撫でる。
されるがままのジィナは、アンバーに問いかける。
「それは、惨いことだとジィナは推測します」
「んー、そうかもね-」
そうだとしても、とアンバーは続ける。
「私が自分で立てた誓いなんだ。いつまでかかろうとも、必ずやり遂げるから」
「そうですか」
「話してたら眠くなってきたね……自分の誓願なんて、ほんとは誰にも教えないものなんだけれどね」
ふふ、とこみ上げる笑いを堪える。
なんだか、真面目くさった話をしたのがおかしくなってしまった。
「アンバー、あなたはどうしてジィナを再起動したのでしょう」
「私の旅路は、ひとりで歩くには永いからね」
イカイのキカイは、翡翠色の瞳でじっとアンバーを見つめる。
綺麗だ、とアンバーは微笑んだ。
ジィナはゆっくりと瞬きのような動きをする。
「それじゃ、ジィナは巻き添え?」
「ごめんね。きっと私は……」
アンバーは謝罪する。
ジィナを自らの贖罪に巻き込んだ、醜いエゴをさらけ出す。
「……私は、寂しかったんだね」
そう、寂しかったのだ。
人は寂しいから、手紙を書く。
溢れて止まらない気持ちを、文字に託して押しつける。
けれども、その手紙を届ける者であるアンバーの気持ちは、どこにも行き場がないままで。
「では、どこまでも行きましょう。手紙を届けるその道をジィナが必ず守ります」
ジィナは納得したふうに、大きく頷く。
再起動してから、ずっと探していた問いを見つけたのだ。
「ジィナの行動指針、了解しました」
「ありがとうー。心強いよ。きっと、最後まで一緒にはいられないだろうけれど、それでも」
だって、人の営みが続く限り。
きっと手紙は終わらない。ずっと手紙は続いていく。
人がひとりで抱えるには、心というものは重すぎるから。
「どんとうぉーりー。ジィナは人より、少しばかり長生きです……めいびー」
「長生きだったら、きっと負けない」
起き上がったアンバーはうんと伸びをする。
「よし、微睡んでばかりはいられないね」
さらり、さらりとペンを走らせる。
『魔女の手紙屋 宛てなき手紙、届けます』。簡素な貼り紙が出来上がって、アンバーは「よし」と気合いをいれる。
「その貼り紙、ジィナが貼ってきましょう」
「ありがと、頼むよ。相棒」
相棒、という言葉にちょっと変な顔をしたジィナが貼り紙を持って外に出る。
その背中を見送って、手紙の魔女──アンバーは小さく息をした。
縁の糸を紡いで、繋いで。
そうしてずっと、生きていく。
──きっと、たぶん。
あのキカイ人形とアンバーの間にも、縁の糸は紡がれたのだ。
『終』




