陽動作戦
たどりついた隣町は城壁がなく、街の左右を切りたつ崖で挟まれているのみだった。
縁の糸は街の手前──崖に張りだしている建造物に延びていた。
やはり、というか縁の糸が伸びるのは、隣町だった。
当然といえば当然だ。
カタラは、諜報活動のために亡命したさきの町で捕らえられ、連邦の国を包囲する軍の前に引き立てられ、『停戦は実現する』と叫び、そして殺された、遺体の返還は、なされていない──タシスが知る限りは、そういうことになっている。
「アンバーよ。カタラは本当に生きているのか? たとえば、瀕死の状態とか……その、最悪はそういうこともあるだろう」
諜報員への拷問は、充分に考え得る対応だ。
「連邦側に入り込んでいたスパイが、町に到着した俺を殺そうとしたのは、たとえばカタラへの脅しだとか……あいつが拷問されて、交友関係を漏らしたと考えれば辻褄が合う」
「カタラは生きてる。それに、たぶん、わりと元気」
文箱から伸びる糸をちらりと見て、アンバーは断言する。
糸は死の色──黒ずんでもいないし、途切れてもいない。
「どういうことだ……?」
アンバーは黙って首を振る。
縁の糸が導く先でたしかめるしかないことだ。
「糸の続く先、あれは……明かりも付いてるし、物見櫓かな?」
「おそらくは。しかし、本当に明るいな……まるで太陽だ」
「さっきまで、私たちが使ってたのと同じイカイの光だろうね」
隣町に城壁がないのは、地理的な要因ばかりではない。
町の周辺にいくつかの『厄災遺物』が配置してある。ジィナが目視で検知しただけでも、三体。
近接した者を攻撃する群体キカイのギデオンほどに攻撃的なものではないが、防衛用に機能するものだろう。
「……人影、見えます」
ジィナが目を細めた。
人型自律キカイであるジィナの目は、日の出前の暗闇でもすべてを視認する。
ふむ、とタシスが唸る。
地形、文化等を総合して、所見を述べる。一応は諜報部を有する連邦郵便省で、ながく要職に就いている身である。まったくの見当違いということもないだろう。
「町の外からやってくる人間を留める場所でもあるんだろう。和平交渉も、あそこで行われる可能性が高……っくし!」
「んっふふ、なんだそれ。子どもじゃあるまいしー」
くしゃみのせいで、まったく締まらなかった。
タシスがきまりわるそうに鼻を啜っていると、アンバーが笑いながらマントを肩からかけてくれた。
何重にも着込んでいるアンバーのマントのうちの一枚だ。
「こういう開けた砂地の朝方は冷えるんだ。腹に穴が空いている人間がそんな格好で歩いてたら、風邪ひくよ」
タシスは初老を越えており、さらにはあまり恵まれた体格ではない。
とはいえ、さすがにアンバーとは背丈が違うので、借りたマントの着丈は短くなるが、たっぷりとした布地は防寒には問題ないようだ。
「おまえは寒くないか?」
「この通り着込んでるし、これでも旅慣れてるからね」
ローブの上から、蓑虫のように何重にも着込んだ服を見せびらかすアンバー。
モッズコートを羽織っているとはいえ、短パン姿のジィナも平気な顔をしている。人型自律キカイゆえに、人間ほど暑さ寒さに弱くはないらしい。
「……そうか」
ありがたくマントを借りたタシスは、あらためて咳払いをする。
「とにかく、あの場所にカタラがいるのなら──俺はあいつに会いにいきたい」
「そっか」
ふむ、とアンバーは考える。
「この街が連邦と揉めてるのは、イカイの技術を受け入れるかどうかが原因なんだっけね」
「ん? ああ、その認識だが」
もちろん、背景にはわかりやすい領土拡大などの様々な思惑があるだろうが。
「じゃあ……イカイの技術は、連邦側のものって認識はされないね」
「は? おい、何を」
「ジィナ」
「はい」
「いつもの、やっちゃって。これより、火器使用無制限だー」
「あくせぷてっど」
連続する閃光。
だだだだだ、と冗談のように巨大な銃声。
タシスが思わず目と耳を塞いだときには、ついさっきまで近くに立っていたジィナの姿はなかった。
激しい戦いが繰り広げられていることだけが、わかる。
しゃがみこんだタシスの隣には、慣れた様子で杖を抱えて座り込むアンバーの姿があった。
「う、おおお……」
「あ、口をあけておくといいよー!」
「な、なんだって?」
「聞こえないのか。くーちーをーあーけーろー!」
アンバーが銃声に負けじと声を張り上げる。
そうこうしているうちに、ジィナが周辺の厄災遺物を落としていく。
「でかい爆発で、目玉がとびでちゃうかもー!」
アンバーがさらりと物騒なことを言うのが聞こえたころには、銃声は徐々にやんでいた。
もちろん、大立ち回りのせいで、隣町の人間たちが起き出してきてしまったが。
「おい! どうするつもりだ、これ」
徐々に、人間の声が近づいてくる。
タシスが焦ってアンバーに今後の予定を問う。
このままでは、厄災遺物にやられることはなくとも、人間に見つかって倒されてしまう。
のんきに曇天を見上げていたアンバーがタシスに耳打ちをした。
「ん、それを叫べばいいのか……?」
「そ。なるべく大きな声で、 何回も」
「わかった……だが、意味も分からぬままで、いいのか?」
「うん。どうせ彼らのほとんども、意味なんてわかってないだろうから」
ふむ、とタシスは唸って大きく息を吸い込む。
「ぷ、ぷろぐらむえらー! 技師をよべ、ぷろぐらむえらーだー!」
「技師を呼べー、はりあっぷー」
声を張り上げるタシスに、戦い終わったジィナも申し訳程度に加勢する。
暗闇の中に聞こえる『プログラムエラー』という言葉が集まってきた人間たちに伝播する。
イカイからもたらされた戦災遺物は、ヒガンの人間にも使うことはできる。
だが、ひとたび破損や不具合が起きてしまえば、その修繕ができる者はごく限られている──いや、何が起きているのか正確に把握できるものすら、ほとんどいないのだ。
「ぷろぐらむえらーだー!」
イカイ製品に紐付いた言葉を、ジィナの相棒であるアンバーは知っている。
それを大声で叫べば、よくわかっていない人間たちがどう反応するのかも。
「えらー……これ、まずいんじゃないか」
「主任技師殿を呼ぼうか」
「そもそも、厄災遺物がやっていた見張りはどうするんだ」
さいわいなことに、集まってきたのは知識と決定権のない人間がほとんどだったらしい。
アンバーの目論見通りだった。
──そして。
「その主任技師殿とやらも、カタラと同じくあっちにいるみたいだよ」
縁の糸の延びる先に、何人か頭が回って行動の早い人間が走っていく。
崖のうえにある、警備の硬そうな詰め所──さすがにジィナの腕で派手に飛び乗るわけにもいかない目的地に、どうやってアクセスするべきかを彼らが教えてくれたわけだ。
「さ、ついていこー」
「……こういうことを、いつもしているのか?」
「うん」
まったく変わらない調子で頷くアンバーに、タシスはもう返す言葉はなかった。




