タシスの危機
町長が出て行った部屋で、タシスは椅子に座ったまま大きく溜息をついた。
アンバーは呟く。
「……なんだか、拍子抜けだね」
「ああ。それでいいのだ……君まで巻き込んで万全の備えをしたが、道中でちょっとした襲撃をうけただけ。本来だったら郵便兵たちでも事足りた……それで、いいんだ」
「備えあればウエーイ、ヤッピー! ってやつね」
「備えあれば憂いなし、のことか」
タシスが怪訝な顔でアンバーをじっと見つめる。
「あはは、そうやって軽口に乗れるくらい元気ならいいよ。手紙の魔女への依頼としては、下の下だったけれどもね」
「それはすまなかった」
やっと笑顔が戻ったタシスに、ジィナが口を開いた。
町長室には、タシスのほかに立ち入りが許されたのはアンバーと、それから武装をすべて街にあずけたジィナだけだった。
イカイ製の武器は、どうあれ持ち込みが禁じられているとのことだった……ジィナ自身が人型自律キカイであることは、タシスが上手く誤魔化してくれたらしい。
「失礼。ジィナから提言です。さっきの兵たちは、見た目よりもずっと疲れている。休息を指示したほうがいいです」
「ああ、そうだ……すまない、現場慣れしていないのが露呈するな」
タシスが苦笑する。
実際、局長であるタシスが郵便兵を率いて各地を走ることはない。
今回は異例中の異例だった。
「すまない、君たちにも宿泊場所を手配して貰っている……この状況だ、あまり贅沢はできなかろうが」
「安宿を転々としている身だよ、寝藁があるだけでじゅうぶんさ」
「あくまでも、和平の使者だ。もてなしの気持ちくらいは受けてあげてくれ。私は部下たちと少し話すよ」
今まで沈黙していた町長の秘書が、たおやかに微笑む。
町長が執務にもどったあとも、アンバーたちの応対のために部屋の隅で待機していたのだ。
「タシス様、皆様の休まれている部屋にすぐにご案内いたします」
「ああ、たのむよ」
それでは、と部屋を出るタシス。
部下たちに休息をとるように声をかけに行くのだろう。
あの生真面目な彼らのこと、タシスが声をかけなければずっと緊張を解くことはないだろう。
ふう、とアンバーは息をつく。
ジィナは、じーっとアンバーを見つめて、すこし首を傾げた。
「どうしたのですか、アンバー。いつものドカ食いをしていません」
「ドカ食いって……魔法ってのは、普通に使うだけなら、そこまで燃費の悪いものじゃないんだよ?」
少なくとも、アンバーのような生まれついての魔女にとってはそうだ。
土を変成させて檻をつくることも、土の槍でギデオンどもを串刺しにするのも、一瞬のことだ。
手紙の魔法──縁の糸を紡いで、人と人とを繋ぐ魔法。
本来は物理的に存在しない糸を、魔法でこのセカイに出現させ……それを配達完了まで維持するのだ。
「ってことで、今回は普通のか弱いオンナノコとして生活できるってわけさ」
「……出発前に、タシス氏の財布を空にしていましたしね」
「それは言わないお約束だよ、ジィナ」
「魔女って燃費が悪いですね」
「燃費がいいキカイ人形が相棒でよかったよ」
軽口の応酬に、やっと日常が帰ってきたと胸をなで下ろす。
紛争地域であれば、誰かに無事を知らせたい者は多くいるだろう。
宛てどころがわかっている手紙と、わからぬ手紙──アンバーの専門だ──あわせて請け負って、さっさと次の街への旅をはじめたかった。
このままでは、アンバーは和平の使者として歓待を受けることになるだろう。そんなことは望んでいないのだ。
魔女に英雄は、似合わない。
「それにしても、ジィナのほうこそ意外だね」
「何がですか?」
「あの郵便兵たちが疲れてるなんて、全然気がつかなかった」
「蓄積された演算履歴があります。兵士の疲れを癒やすのが、かつてのジィナの役目でしたから」
なんでもないことのようにジィナが言う。
なんのために作られて、どうやって使われてきたのかは関係ない。
ただ、今はアンバーの相棒としてこの場所にジィナがいる。それだけでよかった。
「さて、私たちも休ませてもらお。さっさと帰っ──」
そのとき。
甲高い悲鳴が響いた。
アンバーとジィナが駆けつけると、そこにはタシスが倒れていた。
腹部から、ナイフが突き出ている。
「な!」
「取り押さえろ、その女だ!」
逃げることも抵抗することもなく、そこに立っていたのは。
町長の秘書だった。
紛争に疲弊して、和平交渉を成立させる公式文書を待ち望んでいたはずの、連邦の街の女だ。
「どうして……」
アンバーが困惑の声をあげると、秘書はうっとりと微笑んだ。
「…………私は成すべきことを、成しました」
そうして。
ぱたり、と糸が切れたように倒れ込む。
急いで確認をしたジィナが、首を横に振る。
「生命活動は停止しました。じえんど」
「そんな」
アンバーは唇を噛みしめる。
手紙の魔女である自らのやるべきことではないとは思いながら、無為に人が死ぬのを止められるのならば悪くない仕事だと思っていた。
それなのに、こんな。
「毒……か」
「え、タシス!?」
タシスが呻く。
息があるようだ。
「なんだよ、きみ生きてた!?」
「悪運が強くてな……」
まるで、かつて平和な世で流行した三文小説のように、タシスが腹部のポケットから血に濡れた紙束を取り出した。
手紙の束だった。
「それ……手紙の束」
「管轄内にも……この街の者の知り合いや……連邦の義勇軍に志願した者の縁者が多くいてな……」
タシスは、へらりと笑う。
「これでも、腐っても、郵便局長だ……届けたい手紙を、俺の権限で運ぶことくらいは、したって罰は当たらんだろう」
「……そう。おかげで命拾いしたね」
「預かった手紙を、だいなしに、しちまったがな」
悲しそうに、白髪まじりの眉を下げるタシス。
ああ、そうか、とアンバーは思う。この男は、アンバーが思っていたよりもずっと郵便屋なのだ。
「魔女!! タシス局長に何をした!!」
怒号に振り返ると、そこには郵便兵たちが立っていた。
タシスを護衛する任務を背負ってやってきた彼らは、状況を見てすぐに「アンバーがタシスに危害を加えた」と判断したらしい。
まったく、どうして、と苦笑する。
「ち、ちがう」
タシスが誤解を解くべく、傷をおして口をひらいた。
郵便兵のうちの一人が、激昂している同僚をいさめる。
「まってくれ、彼女はタシス局長を傷つけることはないだろう……それに今は、局長の怪我が優先だ」
「……っ。魔女、お前の魔法とやらで治せんのか」
アンバーはゆっくりと首をふる。
「人の傷や病気を癒やす魔法はないんだ、ごめん」
やってやれないことはないが、それはアンバーの命や魔力をありったけ使って成す奇跡だ。
ひとの生命や縁は、本来は魔法で操れるものではないのだ。
「……ふん、肝心なときに役立たずだな」
郵便兵が吐き捨てる。
まったくもってそのとおりだから、反論の余地もなかった──けれど。
「いいかげんにしてください、まざふぁっか」
ジィナが聞き慣れない罵倒を口にした。
怒っている、のだと思う。
つかつかと郵便兵に詰め寄って、胸ぐらを掴んだ。
ジィナの細腕が、軽々と郵便兵をつり上げる。
「苛立ちや不安をアンバーにぶつけても、解決にはなりません」
「な、なん!」
「…………はけ口にアンバーを選ぶのは愚かです。使うなら、ジィナがおすすめです」
氷のように冷たい口調に、ジィナに凄まれた郵便兵がこくこくと小さく頷く。
どさ、と地面に落とされた郵便兵が、同僚たちに助け起こされる。
珍しい事態に、アンバーが目を丸くする。
「どうしたんだい、私のために怒ってくれるなんてさ」
「いえ、べつに」
ジィナは答える。
「たまには、つよいところを見せないと……あの人たち、ジィナがアンバーのボディガードだって忘れてしまいますからね」




