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連邦郵便省


 戦争は火薬と凶刃だけで行われる愚行ではない。

 いかなる情報を得るのか、いかなる情報を与えるのか──百万の兵よりも、ひとつの誤報が決定的に勝敗を分けることがある。


「連邦郵便省の存在意義は、書簡の集配だけを行っているわけではない──その本質はイカイからの侵略によって疲弊した諸国を、連邦に加入させるための諜報活動だ」


 タシスは静かに語る。

 諜報活動に身を捧げた、亡き友人の話だ。


「我々は郵便省での同輩だった。そして、私の唯一の友人だった……連邦郵便省の立ち上げに携わったタシス家の人間としてではなく、ただの同輩として接してくれたのは、ヤツだけだった」

「そういうものなのか」

「ああ、そういうものだ。ほんのガキの時分から、寄ってくる人間の向こう側にはいつも打算と怯えがあった。血の繋がった親族といるときでも、値踏みされている気分だったよ──『さてさて、果たして、どの程度のポジションに相応しい人間か?』とな」 

「ひえー。血統ってのは、面倒なんだね」

「我が家だけではなかろうが、力を得れば特権意識というのは嫌でも芽生えるさ。『公人の書簡のやりとり』という、個人の使者が運んでいた秘密を暴く。個人の生業としての飛脚を排除し、情報の行き来を占有する組織をつくる……それがタシス家のしたことだ」

「ああ、やな組織だよね」


 アンバーは包み隠さない。


「手紙っていう、人のよすがを繋ぐものを、がんじがらめに独り占めにするなんてさ」

「そのおかげで、庶民の私信の一部も集配されるようになったがな」


  街と街が分断し、あちらこちらに魔物や戦災遺物が蔓延っている世の中では、物資の行き来もままならない。食うことも、燃やすこともできない庶民の手紙の運搬など、優先順位の底辺だ。


「でも、どうせ中身を検閲してるんでしょ」


 アンバーが鼻を鳴らす。

 

「…………。さあ、どうだろうな」

「ふーん。少なくとも、魔女の手紙屋が請け負った手紙の一切は……それから、私が郵便省きみから臨時で配達を請け負った手紙は一枚たりとも開封していないと誓うよ」

「それは結構なことだ。まあ、そういうわけで連邦郵便省というのは情報にまつわる一切に権限と影響力、そして責任を有している」

 

 それゆえに、とタシスは語る。

 連邦郵便省は、各地域に支部を持ち、蜘蛛の巣のようにその影響力を連邦内に張り巡らせている。

 ──情報を、意のままに操るために。


「で、俺の友人は『情報操作』の専門家として、くだんの都市に派遣された」

「紛争の情報を集めるってこと?」

「半分は正解だ。だがそれだけじゃない、敵国に誤った情報を流して混乱させることも任務のひとつだ」

「……なるほどね」


 ろくな商売じゃない、とアンバーは思った。

 けれども今話題に上がっているのはタシスにとっては無二の親友で、その親友は「ろくな商売じゃない」仕事に殉じて命を落とした……らしい。

 アンバーの隣に座るジィナも、何か思い詰めたような表情でタシスの話を聞いている──とはいっても、アンバー以外からは普段と同じポーカーフェイスにしか見えないだろうが。


「あいつは、敵国に亡命して『連邦は街を見限った』という誤情報を流すことに成功した。長い時間をかけて、敵国の中枢に取り入ってな」

「きみと同じく、優秀なんだねー」

「ああ、あいつは俺と同じ……連邦の忠犬さ。犬同士にだって、友情らしきものはある」


 自嘲気味にタシスは言った。

 なるほど、犬とは言い得て妙だとアンバーは思う。

 何かに従属せずに生きることは人間には難しい。魔女にだって、困難なのだから。

 犬のほうが、きっと自由に生きている。


「とにかく陽気なやつでな。誰とでもすぐに打ち明けるやつだった。若い頃にはいくども夜明けまで酒を酌み交わし、連邦の……いや、ヒガンの明日について議論をかわした。もちろん、下らぬ冗談ばかりを言い合う日もあった」


 懐かしむように、タシスは呟く。

 彼にとって、親友と分かち合った日々は得がたい宝なのだろう。

 

「……さて、『連邦が街を見限った』と……その情報によって敵国はどうするか?」

「一気呵成に街をとる、ですね」


 ジィナが間髪入れずに答えた。

 少し驚いたように、タシスが頷いた。


「そのとおりだ。驚いたな、優秀な……うん、優秀な相棒だ」

「むふん」


 ジィナが胸をはる。

 タシスはジィナが人型自律キカイであることよりも、アンバーの相棒であることを口にした。それだけで、二人とも少しだけ誇らしい気持ちになるし、タシスのことを少し見直した。すこし甘すぎるけれど、事実そうなのだから仕方がない。

 

「相手の国は、意気揚々と我が連邦の街に攻め入って……そして、城壁を取り囲んでいる。今、まさに」

「きなくさい!」

「必然だろう、紛争が香水の匂いをさせているとでも?」

「私が運ぶ公式文書は、停戦合意のためのものと聞いているよ」

「ああ。……相手方の戦力が、城壁周辺に集結している。すなわち、相手国の護りが手薄な今を狙って、連邦の軍勢が相手国の首根っこを押さえ込むことで『停戦交渉』を呑ませるわけだ」

「なんだそれ、だまし討ちだ!」

「ああ、だまし討ちだ。だが、これ以上の犠牲を払う前にできる最善手だ! 俺の友は……俺の友は、『連邦は街を見限った』という情報を握らせて……そして、連邦側の街中枢には『救援近し』とただしい情報を共有した。それが俺の友の命がけの任務だったのだ」


 タシスの声色に、アンバーは糾弾の声を呑み込む。


「あいつは、最後の最後で逃げ切れなかった……情報が、敵国に流れたのだ」

「なるほどね。ネズミが潜り込んでいるのは、どちらも同じってわけか」

「ああ。あいつは捕らえられた。連邦の助けは来ないと、そう情報を流せば助けると、そう脅されて城壁の外に連れ出された。我らが街の心を折り、制圧をすぐに完了するために……だが、あいつは!」


 タシスの友は、さいごまで連邦に属する街を守ったという。

 声の限りに、『連邦はひとつの街も見捨てることはない』と叫び──そして、処刑されたという。

 その一報を受けたのは、連邦郵便省のタシスだった。

 ひとりの人間の死は痛ましい。しかし、希望は繋がった。

 描いた停戦への道に陰りはない。

 あとは、実行するのみだ。

 

「……だから、おまえに縋ったのだ」

 

 震え、涙を堪え、もう老年ともいえるタシスが手紙の魔女に縋り付く。


「もういいよ、タシス」


 大のオトナが──涙声で、それを呑み込んで──魔女に助けを乞うている。

 もちろん、すでにアンバーは『仕事』を請け負った。それを投げ出すようなことは、『手紙の魔女』の名にかけて、することはない。

 部下に聞かれないように声を押し殺して訴えるタシスは、手紙の魔女を頼るに値する心の持ち主だった。

 タシスの白髪頭を、アンバーの細い指が優しく撫でる。


「……きみの友が最後まで待っていた公式文書には、きっと血が通っているのだね」


 そのとき。


「敵襲!」


 一発の銃声が響いた。

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