制圧完了
「おかあさん」
ミュゼは、茫然として呟いた。
それと同時に、静寂が訪れる。
「制圧、完了。視認性が悪いのなら、明かりをつけるといいでしょう」
「りょ。お疲れ様、ジィナ」
ぱん、とアンバーはひとつ手を叩く。
ふわりと光の球が浮き上がり、極小の太陽のように洞窟内を照らした。
「これが魔法か。便利だな」
「まあね……って、ジィナ!?」
アンバーは、思わず悲鳴を上げた。
気絶させられた郵便兵が転がっていたから……ではない。
ジィナの手足が、ぜったいに曲がってはいけない方向に曲がっていたのだ。
「ぎゃー! どうしたの、それ!」
「少し加減を間違えただけ。のーぷろぶれむ」
「未調律で無理するからだよ……まったく」
ジィナを助け起こして、背中を向ける。
なにを、と戸惑っているらしいジィナを、アンバーは急かした。
「ほら、背負っていくよ」
「……貧弱なアンバーに、そんなことができるのですか?」
「だって、どの道、ジィナだってその状態じゃ歩けないだろ」
「調律師がいるのだから、直してもらえばいいはずです」
ジィナのごもっともな主張に、アンバーはかぶりをふる。
「ん……あの二人は、ちょっとゆっくり話したいんじゃない?」
人とキカイの親子を振り返って、手紙の魔女は呟いた。
「……あ、そうだ」
アンバーが足元に転がっている郵便兵を、ブーツの先で突いて起こす。
「う、ぐ……」
「起きたかな?」
ジィナを背負ったまま、肩掛けの革鞄に入っていた書類を取り出した。
朦朧としている郵便兵の目の前に、ぺらりと一枚の紙を突きつけた。
「これ。キカイへの、手出し無用の念書……連邦郵便省のタシス様の直筆サイン付きだ~」
「……へ?」
「特別に無害であると認められたキカイに対して発行される。ほれほれ、本物だぞ~」
郵便省のおえらいさんであるタシスのいる街に、アンバーがわざわざ出向いていた理由がこれだ。
多忙を極めているタシスに恩を売るだけ売って、アンバーの人型自律キカイ所持を認める念書を作成させる。
ぽかんとしたままの郵便兵が、念書とアンバーを見比べる。
「あんた、何者だ。郵便省の所長と、なぜ繋がりが……?」
「魔女の手紙屋。きみらより長く、手紙を届けて生きてるんだ……あ、その念書は私とジィナについての保護要請だけど、そっちの二人にも適応してくれるよね?」
「は? そ、んなことは──」
「く・れ・る・よ・ね?」
アンバーの圧に、若い郵便兵はごくりと固唾を呑んだ。
「は、はい」
「よろしい。きみらが配達に困ったら、いつでも頼ってねー」
郵便兵の職分は、本来は郵便物の配達だ。
ほとんどは公的書類や身分の高い人物の私信の運搬に限られるけれど、アンバーにとってはご同業といえる。
「縁があればまた会えるさ」
よいしょ、とジィナを背負い直して歩き出す。
アンバーは、相棒の痛々しい破損をいたわりながら、ゆっくりと歩く。
「というか、はるばる修理にきて、修理箇所が増えるとはね」
「……修理代がかさんでしまいます」
「まあ、それはいいけどさ……いや、よくないけどさ!」
「ジィナたちは、グンドウを助けたので。少しくらい、おまけしてくれるかもしれません」
「あー……そりゃありえないね」
アンバーは答える。
グンドウは、キカイ調律に関する自分の技術の安売りだけは何があってもしない人間だ。
法外な値段を、すこしもまけることはない。だからこそ、彼をヤミ医者と呼ぶ人がいる。
弟子をとれば、その育成に力を割かざるを得ない……それで自分の腕が少しでも鈍ることを、グンドウはよしとしなかった。
「さ、帰ろう」
魔術で灯した明かりを消して、人の知恵がともしたランプを掲げる。
グンドウが夜行に慣れていたのは、幸いだった。
楽にジィナを運ぶために、アンバーは大地に魔力で干渉する。
凍った湖の上を、刃靴で滑るように進む。スケートは少しだけ、得意だった。
スケートと違うのは、上り坂でもすいすいと滑走できることだった。
「ケチですね、ヤミ医者は」
「だからこそ、あいつは信頼できるんだ」
ジィナを背負ったアンバーは、ぽつぽつと言葉を交わしながらついてくるグンドウとミュゼを感じながら呟いた。
──山道の斜面で盛大ずっこけたアンバーが、膝を擦りむいてべそをかく数秒前のことだった。




