知らない方がいいと思う?
以前に話した子猫についてです。
子猫は、次の夜も、その次の夜も鳴いていました。お母さんが探しているのでしょうか。僕にはわからないです。
そして今夜は、今のところ鳴き声が聞こえません。子猫はどうなったのだろうか。お腹を空かして元気がないのだろうか。鳴き声をたよりにカラスがやってきたのでしょうか。いや、もしかしたら母猫と会えたのかもしれません。それとも、誰かが子猫を引き取ったのかもしれません。
もしバッドエンドを迎えているとして、僕が救えたとすれば、最初に出会った時でした。なんせ、手の届く範囲にいたのですから(ただ、実際につかめることができたかはわからない)。バットエンドを想像すると、あの時に助けていればと思います。しかし、もしハッピーエンドを迎えたら、つまり母猫と再会しているとしたら、あの時に僕が捕まえたのは最悪の行為です。母親から子供を奪うことは、誰だってしたくないです。
あの子猫はどうなったのだろうか。こういう時に人は、その結末を知らない方がいいと考えるのかもしれない。「知らない方がいいよ」という言葉はこういう時に使うのかもしれない。ただ、僕はそういう誤魔化しが得意じゃない。なぜなら、誤魔化している自分に嫌気がさすからだ。
そんな僕は、やっぱりあの時に捕まえて保護すべきだったのではないかと考えてしまう。しかし、この文章を書いている間にも、鳴き声が聞こえてくるかもしれない。そうすれば、僕は猫を保護しにいくだろうか。そしてそれは、正しい行為なのか。




