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「相手の立場になって考える」と「もし自分が相手なら・・・」は、異なる

「相手の立場になって考えてみてごらん」というのは学校で教えられた言葉だと思う。しかし、それと似たものとして「もしあなたが相手なら、どういう気持ちか考えなさい」と教えられたこともある。しかし、少し考えてみると二つは内容が異なっている。


 相手の立場になって考えるのというのは、分かりやすく言えば、「僕」が「相手」になる。相手のことをある程度理解し、こういう風に考えているんじゃないかなと考えることである。それゆえ、相手のことをよく知っていることが条件で、自分と違う点も考慮しないといけない。


 ただ、「もしあなたが相手なら・・」の場合は、僕が相手側に立つことを意味する。つまり、「相手」を「僕」とみなすわけだ。相手の考え方、相手の好みは考えなくていい。この点に落とし穴がある。


 例えば、自分は誕生日を祝ってもらえたらすごく嬉しいしよう。もしそうであれば、相手の誕生日を祝うことは、相手を喜ばすことになる。しかし、いざ相手の誕生日を祝ったが、相手は自分が思っていたように喜んではくれなかった。そのとき、自分は不満を抱くかもしれない。「どうして誕生日を祝わったのに、もっと喜ばないのか」と。それは、自分が相手と入れ替わっただけの話をしている。


「もしあなたが相手なら・・」「僕が相手なら・・・」は、相手と自分の違いを見逃してしまう。それに対して、「相手の立場になったら」は、相手の性格や思考を考慮するべきで、そこでは相手と自分の違いをある程度は考慮に含むことができる。


 「自分ならそんなことしないのに」「なんで・・・してくれないんだ」というのは、相手の立場に立たず、自分の視点だけで相手を評価している。それは自分の考えをそのまま相手に投影しているだけである。つまり、その時考えている相手は、相手ではない。そこにいるのは、あくまでも自分と似たものとしての相手である。だから、自分の思うようにいかないことに腹が立ち、相手に非があると考えてしまう。


 「相手の立場になって考える」というのは、言うのは簡単だが、なかなかできることではないだろう。でも、やるしかない。そのためには「どうして相手はそういう行動をとるのか」「どういう経緯でそういう発言や行動をするのか」を常に考えるしかない。しかし、他人のことを完全に理解できることなんてないのも事実だろう(自分のことすらわからないのだから)。こう言ってしまうと、「相手の立場に立つ」なんて不可能のように思えるかもしれないが、長年の付き合いになる友人などを考えると、ある程度なら分かるようになるといえる。その程度を少しでも増やすことをするしかない。それが、相手を想うということではないだろうか。




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