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いやなこと と そうでもないこと

 小学生の頃、ピアノを習っていた。母親の友達がピアノの先生をしていて、そこに通っていた。

 

 母親が言うには、「あんたは、自分でいくって言ったんだよ」ということらしい。まったく僕は覚えていない。先生が嫌いということはなかったが、ピアノを上手に弾けたらいいなと思うことなく、ピアノ発表会は本当に嫌だった。つまり、嫌いな習い事であった。だから、中学生になる時に適当な理由をつけてやめた。


 ピアノをやっている傍ら、書道もやらせてくれていた。書道の方はピアノと違って高校生ぐらいまでやっていた。そんなに嫌いではなかった。だけど、周囲の雰囲気から「もう自分はここにいてはいけないんだ」と感じるようになり、やめた。


 ピアノは嫌な習い事。書道はそうでもない習い事。この二つから僕が学んだことは、嫌々やるということは、どういうことかということ。それは、毎日が重く苦しくなる。「また、あれをしないといけないんだ」「また、あそこに行かないといけないんだ」。嫌なことは、嫌でやる気がでない。嫌なことはやらないようにしている。


 あたりまえのことを言っているようだけど、周囲をみているかぎり、みんな「嫌だ、嫌だ」と言いながら、嫌なことをしている。ほんとはしたいのかなぁと思う。僕がどうしても嫌なことをするときは、お金が発生するとき。それは、嫌なことに対する対価だから当然だと思っている。したくないけど、自分にとってプラスになると思うなら嫌なこともする。



 だけど、世の中は嫌なことを嫌とはいいにくいらしい。友達同士で気を使いあうこともあるそうだ。せっかくの旅行なのに、席の位置が重要とか、誰々が来ないと誰々も来なくなるから・・、あの人とあの人は仲が悪いから一緒には遊べない・・・というようなことで、悩んだり困ったする。最後は、「私よりも、あの子の方が大事なの」というようなやり取りが友達の間であったりする。それは友達なのか。


 嫌なことをするのは、辛い。それが将来の自分のためになるのであれば、それはやる価値がある。だけど、ないときも多々ある。それを見極めないといけない。ピアノの習い事から、僕はそれを学んだ。ピアノを習う必要はなかった(学校の音楽の成績がよいという効果はあった)。「なぜ、今嫌なことをしているのか」「なぜ、嫌な状態に陥っているのか」。その悩みから脱出する方法自体は、簡単。ただ、それをやめる勇気があるかどうかだけ。ピアノの習い事から逃げるのは、簡単。勇気を持って、辞めることを伝えればいい。



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