113 巫女王候補と女の子たち
神殿に上がってどれくらいたったのか。
それなりに馴染んでゆく。
昼間は主に、小さい子達の面倒を見ることになった。
「巫女ひめさま、じゃあ今日も古語を教えて!」
「はい」
幼くして「能力者」として神殿に上がった子達。
そんな年端も行かない幼子が親元を離れてここで生活して行くのは、大変な事だ。
ましてや日が浅い子となるとなおさらだった。
昼間はいたって快活にしているように見えても、夜更けになるとぐずり出す事もしばしばだ。
そんな子供たちをあやして、寝かしつけるのも私の役目となった。
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「おか――しゃま―――!! かえる――! おうちに、かえる―――!!」
今一番夜泣きが酷いのはミリアンヌ。彼女はまだ五つなのだから無理もない。
小さな身体からはびっくりするくらい大きな声が出るものだ。
いつもその事に感心してしまう。
抱っこしてゆすってやりながら、ひたすら身体をさすり、いい子いい子と繰り返しささやいてやる。
「おかあしゃま、ひっく、かえる」
ミリアンヌは帰れないことを知っている。
だから昼間は大人しくしている。一言だって「帰る」だ等と言わない。
だが夜の闇がミリアンヌを不安にさせる。
胸元にしがみついてくる幼い身体を包むように抱きかかえて揺する。
「巫女ひめさま」
そう私を呼んでそっと衣の裾を掴むのは、キルディ。七つの女の子だ。
この間まで一番甘えっ子だった。今はミリアンヌに遠慮してか、あまり抱きついてこなくなった。
代わりにこうやって、特に夜泣きが酷い子のための別室に付き添ってくれる。
自分よりも小さいミリアンヌを気遣い、私の事も気遣ってくれているのだ。いじらしい。
「なぁに? キルディ」
「巫女ひめさま」
キルディをはじめとして、女の子たちは私をそう呼ぶ。
ちなみにキーラやフィオナは「巫女のお姉さん」だ。
「巫女王候補というのは何だかわからないがエライ人になるのかもしれない。でもあんまり巫女王様みたいな感じもしない」という事で落ち着いた呼び名らしい。子供らしい微笑ましい発想だと思う。
正直、お姫様だなんてがらではないので面はゆい。
ただ注目して欲しかったのだろう。キルディは眠そうに目をこすりながら、私に寄りかかってくる。
ヒックヒックと苦しそうに泣きじゃくっていたミリアンヌも、腕の中で寝息を立て始めていた。
こうやって感情を爆発させてから眠りにつくと、明日には驚くほど元気になっているという事も学んだ。
だから心配はしていない。むしろ溜まったままの感情を抱えたまま、押し殺すようにする子の方が心配だった。
キルディの柔らかな亜麻色の髪に指を絡ませると、やっと安心してくれたらしく笑顔がこぼれた。
小さい子達の顔をぐるりと思い出す。もう会うこともないであろうカールと、おしゃまな双子達の事も思う。
特に心配と思い当たる子はいなかった。
「巫女ひめさま……。」
「うん。もう寝ましょうか」
こっくりと頷くのを見届けてから、蝋燭の炎を吹き消した。
辺りは暗闇に包まれる。
小さい子達のさみしい、さみしいという気持ちに寄り添いながら、横になる。
ミリアンヌを片腕で抱きかかえるようにし、キルディとは手をつないだ。
すぐに辺りは静寂に満ちる。聞こえるのは規則正しい寝息だけになる。ここは天の国だとすら思う。
ふいにキルディがぎゅ、と手を握ってきた。
「巫女ひめさま……も。さみしいの、ガマンしちゃ、ダ…メ……だよ」
やっぱりここは天国だ。こんなにも天使が側にいてくれる。
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子供たちと過ごすことで、私は何とか日々を持ちこたえている。
あれから騒がしい事は何一つ、起こっていない。
どうかこのまま何事も無く過ごせますように。そう祈るような気持ちで日々を送る。穏やかだった。……表面上は。
ところが真夜中、キィン! という金属音が聞こえてくるようになった。
昼間もしているらしいのだが、やはり夜というのは静かなのだろう。
しかし今までこんな事など無かった。音の正体に見当も付かない。
困惑しながらも、子供たちをあやしながら寝かしつけようと苦心する。
「ぅわぁああああん! 怖いー!」
「怖くないよ。大丈夫だよ」
「能力者」と呼ばれる子供達の五感は敏感だ。
しかもそれ以上に鋭く反応する感性を持ち合わせているのだから、なおさらだった。
小さい子が泣き出すと、それにつられて他の子も泣き出す。
でも中にはぐっと堪えて泣かないようにしている子たちもいるのだ。
どうあっても痛々しい。
「怖いよ――!」
「怖くないよ、ここにいれば大丈夫だから。ね?」
「やだやだ! こわい――!!」
恐怖は伝染してゆく。私ひとりの腕では抱きしめきれない。なだめようもない。
そんな夜も三日目を迎えている。どうしたものかと途方に暮れた。
ふいに頬を冷たい風が撫でた。
振り返ると扉の隙間から、小さな女の子が覗いていた。
まばゆい金の髪が闇の中から滑り込んできた。蝋燭の頼りない明かりの中でも輝く緑の瞳。
「……っ!?」
私は言葉を失うしか無かった。
にこにこしながら女の子は近寄ってきた。
ここに集まっている子達と何ら変わりない見かけなのに、女の子は落ち着き払っている。
「こんばんわ。泣いている子はだぁれ?」
間違いない。あの時の、お祭りの日に訪ねてきてくれた女の子だ。
神殿の子だったのか。
それならば説明の付かないでいた多くの事にも、納得が行く。
幼い眼差しの注目が集まる中、女の子は歩み寄ってきた。火を灯したままのランプを片手に持っている。
この子は暗闇が怖くはないのだろうか? こんなに小さな子が?
その事に違和感を覚えずにはいられない。驚きのあまり泣き止んだマリアンヌを強く抱きしめた。
「こんばんわ」
「……こんばんわ」
どうにか声を絞り出す。乾いた声しか出なかった。
「少し、うるさいわよね? とてもじゃないけど寝付けやしない」
そう言ってみんなを見渡した。皆、息をのんで見守る。
「ねえ、エイメ。大会が近いからといっても少々、時間が問題だわ。そう思わない?」
「大会?」
「そうよ。知らないの? あなたのための大会なのに」
「知らないわ」
私は力なく首を横に振るしか無かった。
「そう。知らされてなかったのね。もうじき剣術を競う大会があるの。だからよ。騎士達が遅くまで訓練しているの。ぶつかり合う剣の叫びがここまで届くのよ。それだけならまだしも、ねえ?」
――騎士たちの想いまでもが響きわたるから。
女の子が唇を動かさないままで、そう伝えてきた。
私は曖昧に頷くしか出来ないでいる。
「見に行ってお願いしてみようよ、エイメ。子供たちが怯えてしまうので、どうか遅い時間の訓練はお控えくださいって」
もちろん異論はない。けれどもすぐさま賛同することは出来なかった。
「あなたは……!?」
女の子は静かに微笑んで見せるだけだった。
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女の子はランプを片手に先に行く。
静まり返った回廊に小さく響く足音が重なる。後を追うのは私のつく杖の音だ。
「どうして巫女ひめさまは足が悪いの? 怪我したの?」
どうしても一緒について行くのだと言い張ったキルディが、思い切ったようにそっと尋ねてきた。
「うん、そうよ。怪我したの」
「治らないの?」
「もう治っているよ」
「……それで治っているっていえるの?」
「そうねえ。これ以上は良くならないから引きずるしかないみたい」
幼い好奇心は徐々に気遣いに変わっていく。つないだ手にいっそう力が込められた。
「痛い?」
「ううん。もう痛くないよ。それにここに来てからずいぶんと楽になったよ」
「本当?」
「ええ。皆様、色々手を尽くしてくれるおかげかしら。すごく楽なのよ」
それは本当だった。変に引き攣れたり、たまに痺れることもあったのだが、ここ神殿に上がってからそれに悩まされることも無くなってきた。
キルディとおしゃべりしながら進んでいると、ふいに女の子が振り返って立ち止まった。
追いついてのぞき込むと、女の子もぎゅうと手を掴んできた。
「なあに? どうかした?」
真剣に見つめてくる眼差しが、闇の中でも輝く。
『エイメ。もうじき』
女の子の唇が淀みのない古語を紡ぎ出す。
『うん』
『もうじきそれくらいの傷痕じゃあ、あなたをこちらに止め置けなくなってしまう。大魔女のせめてもの抵抗を、あなたに与えようとした選択の余地を無駄にして欲しくない』
『何……? 何のこと』
『あの日。あのお祭りの日。彼のものになれていたら良かったのに。いいの、エイメ? 本当にいいの?私たちとあるのが本当の幸せなの?』
『……ええ。そうよ』
『嘘つき』
その言葉は鋭く私の胸をえぐった。
そして女の子の瞳もまた、傷ついたように見えた。ひどく痛いものを抱え込んだような。
『そうかもしれない。でもこれ以上、誰も傷つけたくないの』
『確かに彼は先々――あなたといる事で胸を痛めるかもしれない。だからといってそれが何なの? 忘れているからといっても無かったことには出来やしない』
『ねえ、あなたは誰? 何を言っているの?』
泣きそうになりながら尋ねた。
女の子は頭を振って見せるだけだ。
『お願い。間違わないで森の娘。あなたが間違うとスレンも間違ってしまう』
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女の子は言うだけ言うと手を放し、後は背を向けた。そのまま迷いなく歩き出す。
私は後に続くしかなかった。キルディも黙って付いてくる。
「さあ、ついたよ」
女の子はランプを高く持ち上げた。
『それなりに過ぎてゆく日々。』
何事もないようでいてそうでもない。
ゆっくりと明らかになって行く。
最後までお付き合いいただけますように!




