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薄幸のOLは、異世界でおっさんになることにしました。  作者: こる
第一章 第三層にて

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一週間くらい

「ただいま。帰ったぞ、アキ」


 外の短い階段を上がる音でベッドを下り、開いたドアの向こうから低い柔らかな声と一緒に大柄な人が入ってくる。


「レヴィ! お帰りなさい!」


 視界はいまだにぼんやりしているけれど、部屋の中はかなり自由に動けるようになった。

 玄関脇に荷物を下ろしている彼へと、歩いて近づく。


「いい子にしていたか? なにもなかったか?」


「なにもなかったです。レヴィは? 怪我をしていますか? 血のにおいがします」


 わたしの頬に触れる彼の大きな手に、手を重ねて問いかける。

 彼は職業冒険者で魔獣を狩る人だと教えられてから、怪我に敏感になっている自覚はある。だって、この第三層には聖力がまるでないから、回復系の魔法を使える人はいないはずだから。

 病院なんかないこの第三層では、死活問題だ。


「怪我はしていないから、魔獣の返り血が残ってたか。『我が身の汚れを落とせ、清浄クリーン』これで大丈夫だろう? 俺は、魔獣にやられたりしない。だから、そんな顔をしなくていい」


 魔法で汚れを落とした彼が、わたしを安心させるように大きな腕で抱きしめてくれる。


 最初は怖かったこの腕も、いまではまったく恐怖を感じない。親愛とか、そんな感じで……もしかしたらわたしはヒナ鳥なのかもしれないと思ったりもする。

 そして、彼もわたしをヒナ鳥のように保護してくれている。彼が何歳なのか分からないけれど、わたしを子供のように思っているのだろう。


 目がろくに見えず、足手まといでしかないわたしを保護してくれている彼には、本当に感謝しかない。


「ご飯も買ってきた、いま用意するから、手伝ってくれるか?」


「はいっ!」


 本当はご飯を作って彼を待っていたいんだけれど、この視界ではそれは難しいから、仕事帰りにご飯を買ってきてくれる彼に甘える。


「『テーブルの汚れを落とせ、清浄クリーン』」

 彼を真似して呪文を唱えて清浄の魔法をテーブルにかけてから、所定の場所からフォークを取り出して、隣り合った彼とわたしの席に置く。まだ目がはっきりと見えないわたしのために、彼が食事の補助をしてくれるからこの位置なんだよね。

 早く目が見えるようにならないかな、最初よりははっきりとしてきたけれど……。いや、焦っちゃ駄目だってレヴィも言ってくれているから、ゆっくり回復を待っている。


 魔法は、本当は呪文がなくても魔法を使うことができるけれど、彼が呪文を使っていたのでそれを真似るようにしている。郷に入っては郷に従って、変な人間だと思われてはいけない。


 この清浄の魔法は使い勝手がよくて、部屋の掃除も言葉ひとつでできてしまう優れものだ。よく見えない目では隅々まで掃除をするのが難しいので、大変ありがたい魔法です。


「ありがとう、アキ」

「どういたしまして、レヴィ。今日のご飯はなんですか?」

「今日は、蒸し鶏のスープと豆のパンだ」


 彼がスープをよそった皿をそれぞれの席に置き、カゴに入った平たい豆入りの平たいパンを二人の間に置く。


「蒸し鶏のスープ、好きです。お豆の入ったパンも好きです」

「アキは嫌いな食べ物なんてないだろ?」


 笑って言う彼に、そういえばこっちの世界に来てから、嫌いな食べ物なんてないことに思い至る。


「レヴィの用意するご飯は、全部おいしいからです」

「きっと、俺とアキの食の好みが同じなんだな」


 そうかもしれない、彼との共通項があることがなんだか嬉しくなる。


 隣り合って座り、彼の手がわたしの手に重なってフォークに食材を刺してくれる。

 わたしを拾ってくれたことからわかるように、彼は結構な過保護だ。


「これは、お肉ですか?」

「あたりだ。すこし大きいから、ひと口じゃ無理だな」


 彼の注意を聞いて、二口を目安に食べる。

 柔らかなお肉の食感がとてもおいしくて、すぐに二口目を頬張る。


 食事の合間に、今日はどんな魔獣を倒したのかを聞くのが毎日の楽しみだ。いや、彼との会話、すべてが楽しみ。


「今日は鳥形の魔獣で、ビークェルという奴の討伐だった。鳥といっても、空は飛ばず、主に地上を走るのだが、足が速くてな」


 ダチョウをイメージする。


「くちばしが鋭く細長くて、地中の虫を食べるらしい。虫だけじゃなく、小動物を食ってるのを見たこともある」


 ダチョウではないな。鶴みたいな感じだろうか。


「このくらいの卵を産むんだが、これも愛好家が多い食材で。生憎と今回は、オスだったから、卵はなかったが」


 やっぱりダチョウかな。


「羽は明るい赤茶色をしていて、敵に向かって矢のように飛ばして、攻撃もしてくるんだ」


 ダチョウではないな。


 こっちの世界の魔獣という生物はとてもユニークな生態をしているのが多くて、聞いていて飽きない面白さがある。


「ビークェルのランクは、どのくらいですか?」


 魔獣は危険度によってランク分けされている。この第三層は、地下層のすぐ上にあたるので魔力が多く、強い魔獣ばかりだ。はっきり言って、人間が住む場所ではない。

 人間は第二層に住んでいて、この第三層に下りてくるのは冒険者くらいだそうだ。

 第二層にも魔獣は出るけれど、一番弱くてFランク、強くてもDランク程度らしい。


「Cランクだったかな?」


 今わたしのいる第三層には、DからAランクの魔獣が出現する。


 レヴィが噂で聞いただけだと前絵置きして教えてくれたけれど、第三層の深いところはAからSランクの魔獣ばかりで、他にも魔人と呼ばれる闇に生きる種族が住んでいるという話だ。

 誰もそこまで行ったことがないから、眉唾ではあるとレヴィは言っていたけれど、それはウソじゃない。

 魔人は日の光に弱いので、第三層の深いところから出ることはない。他の高位の魔獣も光に弱く、弱い魔獣ほど光に耐性があるので、日の光の強い場所でも生きることができるので、第二層には比較的弱い魔物しかいない。

 そういうふうに、この世界は成っているから。


 天

 第一層は、天の恵みを得た光溢れる世界、聖獣が跋扈する。

 第二層は、天と地の狭間。人間や他の生き物が生活する。

 第三層は、闇の恩恵を受ける世界、魔獣が跋扈する。

 地


「ビークェルは、Cランク」

 彼から教わったことは、忘れないように何度も反復する。

 本当はノートでもあればいいんだけど、そもそも目がはっきり見えないのでメモもできないけれど。


「弱点は、足だ。足が細いこともあって、足を折ることができれば、討伐自体は難しくない」

「羽を飛ばしてくるのは、危険ではないのですか?」

「来ると分かっているなら、回避できるものだ。真っ直ぐ飛ばすだけで、追尾してくるようなことはないからな」


 レヴィはこともなげに言うが、追尾するタイプの羽攻撃なんて凶悪すぎる。


「追尾する攻撃の魔獣も、居るんですね」

「ああ、その場合はすこし面倒だ。羽をすべてたたき落とさなくてはならないから」


 たたき落とすのか。薄々気づいていたけれど、レヴィは第三層なんて魔獣の強い地域で戦う人だから、凄く強いんだろうな。


「こんな話、つまらなくないか?」


 時々そうして聞いてくる彼に、首を横に振る。


「レヴィがしてくれる話は、全部面白いです」

 心からそう言うと、彼は「そうか」とすこし嬉しそうな声で言って、照れ隠しのようにわたしの頭を撫でてくれる。


 視界がはっきりしないので、彼が何歳くらいなのか分からないけれど。落ち着いた声の感じと物腰からして、わたしよりかなり年上なのではないかなと思っている。

 彼はこの家に一人で暮らしている。

 家族はいない。

 レヴィに名字はないらしいから、わたしも名前だけ名乗ってある。


「アキ」


 彼が柔らかな口調で呼んでくれる、自分の名前が好きだ。


 以前は男性の声で名を呼ばれるのが怖かったけれど、この世界で彼と暮らすようになってから、自分の名を呼ばれるのが怖くなくなった。


 彼は『あの人達』とは違う。だから大丈夫だ、と何度も自分に言い聞かせて。


 スープを飲み干した私の口の端についた汁に気づいた彼が、指の腹でグイッと拭っていく。

 こぼすなんて子供みたいで恥ずかしくて、慌てて自分の指でも拭う。


「もうついてねぇよ」


 笑みを含んだ声で言われて、余計に頬が熱くなる。


「ありがとう、レヴィ。でも、自分でできるから、ちゃんと口で教えてください」


「口で、ねぇ? じゃぁ、次は舐めて取ってやろうな」

「そうじゃないですっ」


 彼の軽口にわたしが慌てて憤慨すると、彼は声を上げて笑う。


 彼の笑い声は朗らかで気持ちいい、だから釣られてわたしも笑ってしまう。


 戻らない視力に不安があって、気持ちが沈み込みそうになる時もあるけれど、彼がいてくれるから折れずにいられる。


 物理的にも、精神的にも、彼はわたしのなくてはならない人になっていた。

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中ボス令嬢
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