カルーダ・アングストンの浅慮
今回は記者カルーダ・アングストン視点となります。
時系列では、アキたちが待ちに戻った頃合いです。
「生きて戻ったですって?」
カルーダ・アングストンは護衛のひとりから報告を聞くと、手にしていたティーカップを荒々しくソーサーに戻した。
マナーに反する耳障りな音が、この町で最も高級な宿の一室に響くが、報告をしていた若い護衛も、彼女の後ろに立つ護衛も、この程度の癇癪は慣れており、眉一つ動かさない。
「間違いなく、あの香を使ったのよね?」
「それは間違いなく。遠目にではありますが、香に火を付けるところも確認いたしております」
彼女の疑う視線に対し、若い護衛が直立のままきっぱりと答える。
「魔獣は、ちゃんと集まってきたのよね?」
疑いを重ねる彼女に、若い騎士は表情も変えず首肯した。
「はい、間違いなく。かの者が騎獣に乗り、魔獣に追われて荒れ地を走るのも確認いたしました」
「そう……」
報告を聞き、綺麗に手入れされた爪の先を噛む。
末っ子で父親待望の娘だったせいで、随分と甘やかされてきた。
兄二人とは年が離れているので、家督は既に長兄に譲られてはいるものの、大旦那としての権威の薄れていない父にねだれば、我が家に保管されている集魔香の一つなどは簡単に入手できた。
くれぐれも、証拠を残すなと念を押され渡されたそれを使ったのに。
万が一、あれを使ったのがバレたとしたら、貴族といえども罰せられる。そのくらいの常識は理解していたものの、燃して使い、使い終われば燃えてなくなるその特性と、話に聞くその効果があれば絶対に大丈夫だろうと慢心していた。
目障りなレヴィオスを、消し去るはずだったのに。
色仕掛けにも金にも揺らがず、女嫌いなどとうそぶいて記者である彼女に近づかない。
ろくに取材もできず、上司からも『新人Aランク』の記事を期待されていたのに、一向にスクープを取ることができておらず、定期的に社に顔を出すのも延ばしがちになっていた。
多少なりとも強引な手段を使いあの男の担当を引き受けてしまった手前、取材相手を自分から変えて欲しいなどと言い出すことはできなかった。
残る手段は、取材相手がいなくなること、ただひとつだった。
「では、なぜ生きて戻ったのかしら? あなたは、どう思う? アストロン」
後ろに立つ護衛に視線を流し、意見を求める。
アストロンと呼ばれた風格のある護衛は、チラリと彼女を見下ろしてから、表情を崩すことなく口を開く。
「冒険者レヴィオスの実力が、想定を超えていたのかと思われます」
「Aランクの冒険者が、ひとりで押し寄せる魔獣をいなしたと? まぁ、生き延びるくらいはできるのかもしれないわね。他の人間を犠牲にすれば――ふふっ、予定とは違ったけれど。他の冒険者を犠牲にして生き残ったAランク冒険者……いい記事が書けそうだわ」
にんまりと赤い唇を弓なりに反らした彼女に、報告をしていた護衛が間違いを指摘する。
「いえ、三人とも生きております」
「は? 三人とも? もしかして、魔獣が少ししか集まらなかったのかしら?」
「いえ、大量の魔物が移動するのを、この目で確認して――」
護衛の言葉が終わらぬうちに、直立不動で報告をする護衛に向けてテーブルの上のカップを横薙ぎに払った。
美しい白磁のカップは、騎士に当たることなく床に落ちて割れた。
「じゃぁ! なんで、三人も生きてるのよっ! おかしいでしょう!? どう考えても、おかしいでしょう! Cランクのゴミみたいな冒険者よ? 囮にくらいしか使えないゴミが、どうして生きているのよっ」
肩で息をして荒ぶった呼吸を整え、わずかに乱れた髪を手で押さえて整える。
それから、努めて穏やかな声で、後ろに立つ男に声を掛けた。
「あなたはどう考えるのかしら? アストロン」
見上げてくる視線に、彼は視線を伏せて口を開く。
「今回の冒険者レヴィオスの任務は、昇格の査定です。件の冒険者の実力が、既にBランクでしたら、生き残ることがあるやもしれません」
低くゆっくりとした声が、予測を述べる。
「そう。……そうね、Cランクといっても、ピンからキリまであるわね。Bランクに近いのなら、命は助かってもおかしくはないかしら? それで、どの程度の負傷をしてきたのかしら? 四肢を失うくらいはしたわよね? ああ、それなら悲劇としていくらでも話が膨らむわ」
「いえ、三人とも目立った怪我もありま――」
言い終える前にソーサーが飛んできて、彼の後ろの壁にぶつかり無残に砕けた。
「……もう黙って。ああ、あなたに行ってもらえばよかったわ、アストロン。そうすれば、こんな手抜かりなんてなかったでしょうに」
甘い声音で言う彼女に、返る答えはない。
無言の肯定なのか判別させないまま、彼は若い護衛に割れたカップとソーサーの片付けを命じる。
若い護衛が掃除道具を取りに部屋を出ると、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「ふふっ、つれないわね。まぁいいわ、出かけるわよ」
お気に入りの護衛が着せかける上着に手を通し、差し出される小ぶりなバッグを受け取る。
「どちらへ?」
「あの生意気な男が、どこまで耐えられるか、見て見たくはない? どこまで生き残れるかしら」
弾むような口調でそう言った彼女の顔色は青く、表情を硬くした護衛に気がつかないまま、割れた破片を踏みつけてドアを開けた。
ジャリッ――
引き返すことのできない茨の道に、彼女は自ら足を踏み入れていく。
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