意地悪な妹の退場
「なあ」
ジルにこっそり声をかけられた。見ると扉の方にあごをしゃくっている。そっと出て行こうという合図だろう。
確かに、もうふたりきりにしてあげた方が良いのかもしれない。
結局、セドリック様はどれだけ動揺しても、姉様に何もしなかった。少しでも変なことをしようとしたら、あたしはありとあらゆる手段を使って姉様をこの国に留めるつもりでいたのに。
きっとこのふたりなら遠い国へ行っても、お互いを思いやって暮らしていくに違いない。
だからこれは、あたしの悪あがきだ。
あたしは足を踏み出した。温室の扉の方ではなくて、姉様とセドリック様の方へ。
完全にお互いしか見えていないようなふたりに、不粋にも声をかける。
「ねえ、あたし達のこと、忘れてない?」
「デイジー!」
寄り添っていたふたりが反射的にぱっと身体を離した。姉様があたしを見る顔は少し赤い。セドリック様に至っては、完全にあたし達のことは忘れていたみたいな顔をしている。
あたしは腰に手を当てて、ひとつ大きな溜め息をついた。
「ようやく、お互いの勘違いに気がついたのね。見ていてじれったいったらなかったわ。ふたりとも、聡明なようでいて、肝心な部分では絶望的に鈍感なんだから」
ジルがあちゃーって顔をして額を押さえているけど、構わずに続ける。
「あたしは7年前から知っていたのよ。姉様とセドリック様の気持ちも、花束の意味も。知っていて、全部台無しにしたの」
この期に及んであたしは、懺悔も謝罪もする気にはなれなかった。
あたしの嘘が明らかになったというのに、ふたりとも、あたしを叱責も糾弾もする気がないみたいだ。
もしここで謝っても、きっとあっさりあたしを許すんだろう。許されることを確信してする謝罪なんて、しない方がましだと思った。
だったらせめて、あたしの本性を思い知ればいい。
そうしたら、あたしはこの罪と一緒に生きていくことができるから。
姉様は性悪で手のかかる妹を置いて国を出て行けることにほっとすれば良いし、セドリック様も、姉様をあたしから引き離したことに対して、これから先、微塵も罪悪感なんて感じなければ良い。
意地悪な妹には、相応しい退場の仕方というものがあるのだ。
「あんまり勘違いぶりが面白いものだから、本当はもっと見ていたかったけど。誤解が解けちゃったのは残念だわ」
肩をすくめて、あたしは踵を返す。
「じゃあ、流石に兄様が怒り出す頃だから、戻るわね。姉様たちは今日は戻って来なくていいわよ。ぼーっとしてお客様に頓珍漢な対応をされても迷惑だし」
あたしはジルに「行こ」と促した。もの言いたげな眼であたしを見ているジルに笑って見せる。
歩き出したところで、姉様があたしを呼び止めた。
「デイジー」
そのまま歩みだけを止める。情け無いことに、好き勝手言っておきながら、姉様の顔を見る勇気がなくて、振り向けなかったのだ。
「どんなに花を咲かせたいという意思があっても、真冬の土に苗木を植えたところで育たないでしょう。苗を受け入れられる土壌ができるためには、今まで待たなくてはいけなかったのよ。あなたはその時間をくれたの。……どうもありがとう」
「馬鹿ね」
あたしは本当に呆れてしまった。そこでお礼を言うなんて。いったいどれだけお人好しなんだろう。
でも人を植物に喩えると、ジルに突っ込まれるわよ。
そこでようやく振り向くことができた。ふたりがあたしを見る眼には当然、嫌悪や侮蔑があると思っていたのに、そんなものはなく、ただ親愛だけがあるものだから、思わず笑ってしまう。
「デイジー。……ごめん」
謝罪はセドリック様のものだ。姉様を遠くへ連れて行くことに対してだろうか。あたしが謝ってないのに彼が謝ってどうするんだ。
声が震えないように、あたしはわざと大きな溜め息をひとつ吐いた。
「揃いも揃って、ほんとにお似合いのふたりだわ。せいぜい悪い人に騙されて、身内に迷惑を掛けないようにしてよ。あたしはこれから悠々自適の新婚生活を送る予定なんだから」
そう言ってあたしは、膝を曲げてドレスをつまみ、深く頭を垂れた。
「おふたりの前途を、陰ながら祈っておりますわ。……では、ごきげんよう」
これが皮肉に聞こえるといいと思いながら、あたしは最大限優雅に見えるように挨拶をした。
心からの敬意を込めて。
「悪かったわね、こんな茶番に付き合わせちゃって」
あたしとジルは馬車を繋いである中庭に向かっていた。結局心配していたことは何も起こらなかったので、ジルにしてみたら、とんだ無駄足だっただろう。
「そりゃあ、撤回するまでは、一応あんたの婚約者だからな?」
ジルが笑う。律儀な奴だ。早目にこのでっち上げを撤回してあげないとなー。いつまでも婚約期間を引き延ばしたところで、ジルの評判が悪くなっても困るし。
でもあんまり早く破談にすると、姉様に心配をかけてしまう。
あたしはふと思いつきを口に出してみた。
「ねえ、本当に結婚してあげようか」
「……なんで」
「一応、お世話になったわけだし? 今回のことだけじゃなくて、いつも結構、助けてもらうことも多いし。庭師にとって少しはステータスになるんじゃないの。ガードナーの娘と結婚したって。それに」
それに、婚約を姉様があんなに喜んでくれるとは思わなかったし。
ーー求婚してくれてありがとう、ジル。
嬉しそうな声だった。胸が苦しくなってしまうほど。
「え、嫌だけど」
「早。ちょっとは考えてよ」
本当に嫌そうな顔であっさりと断られて、怒りを通り越して苦笑してしまう。失礼だな。これでも求婚者はいっぱいいるのよ。
まあ、そう言われる気はしてたけど。
あたしにはガードナーの娘という立場ぐらいしか、あげられるものがないし。しかもそれすら偽物じゃあね。無理もない。
「大体あんたさ、すべてにおいて動機がお嬢過ぎるんだよ。そのひねくれた性格もそうだし。恋人だって、恋多き令嬢とか何とか言われてるけど、お嬢狙いの男を片っ端から誘惑してただけだろ」
本当にジルには何でも見透かされている。あたしは口を尖らせた。
「極めつけに、簡単に感謝みたいなものと引き換えに自分を差し出さなくていいって。そんな事しなくても、あんたの気が済むまでは側にいてやるから」
「……ほんとう?」
ジルがあんまり意外なことを言うものだから、思わず何も考えずに子供みたいな声を出してしまった。
ジルは一瞬面食らったみたいな顔をしてから、少し笑う。
「そうやって、いつも素直に話せばいいんだよ。そしたらプロポーズの話も、ちょっと考えてやらないこともない」
「なんで上からなのよ。それにそんな素直なのはもうあたしじゃないでしょ……」
軽口を叩きあいながら歩いていたら、すぐ馬車に着いてしまう。ジルと話していると、楽になるのは本当だ。
「理想に近づく努力は大事だと思うけど」
「その話、前にも聞いた気がするわ」
ジルは少し笑っている。
「じゃあ、戻るか。流石に姉妹で抜け出したのばれたら、ルイスさん怒ってるんじゃねえ?」
あたしは兄様の小言を思い浮かべてうんざりするけど、不思議と気持ちは軽かった。
「いいわ。今日ぐらいは姉様の分も、お叱りを引き受けるわよ」
「おお、珍しく殊勝だな」
「まあね。そろそろちゃんとしないと」
あたしは馬車に乗り込んで、前を向いた。
「これからは姉様がいない世界で、生きていかないといけないんだから」




