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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
デイジー
35/37

解かれた誤解

長くなったので分けました。全37話です。デイジー視点に戻ります。

 目をまんまるにしてこちらを見ているふたりの表情といったら見ものだった。

 特にセドリック様は、本当に何を言っているのか分からないらしく、ぽかんとした間抜けな顔であたしを見ている。相変わらず顔は良かったが、いつもの1を見て10を知る聡明さは見る影も無い。

 あたしはその表情を見て、いくらか溜飲を下げた。


 姉様をせっつくために急遽でっち上げたあたしとジルの婚約話だけど、セドリック様が変な誤解をしてくれたおかげで、思わぬ効果があったみたいだ。


「婚約? ……君たちが?」

「あら」

 あたしはわざとらしく胸の前で両の手のひらを合わせる。

「ようやく祝福の言葉をくださるのね?」


 姉様の制止が入る。

「それは、また今度にしましょう。ついさっき聞いたばかりで、セドリック様だってまだ混乱しているはずだから」


「あら、どうして? お祝いを言っていただくなら、早い方が良いじゃない。ねえ、セドリック様」

 察しの悪い女を演じるのが得意なあたしは、無邪気な顔でおねだりをする。


「……君が、婚約するのか、デイジー。ジルと?」

 まだそこをうまく飲み込めていないようだ。おそるおそる確認してくるあたりに、この方の動揺が表れているわね。


 あたしは少し困ったような顔をしてみせた。

「いやだ、もしかして肝心なところをちゃんと聞いていなかったのね。そうよ、あたしがーー」

「デイジー!」

 言葉が途中で途切れたのは、姉様が必死の形相であたしを止めようとしたからだ。

「お願い、今はやめて。あとで落ち着いてからちゃんと話しましょう」


 姉様でもこんな慌てた顔をするのか。しかもセドリック様のために。あたしは非常に面白くないので、なおのこと食い下がる。

「なんでよ。お祝い事よ、ちゃんと話した方が良いじゃないの」

「残酷なことを言わないで。彼がいつから貴女を想っているのか、まったく気付いていなかったわけではないんでしょう?」


「ちょっと待って」

 そこで割り込んだセドリック様が、再度確認してくる。

「じゃあ君は、誰とも婚約していないんだね? ローズ」

「私がですか……?」 

 姉様は何が何だかわからないという顔をしてセドリック様を見る。当然だ。さっきまでのセドリック様の動揺が全て誤解からくるものだったなんて、思ってもいなかっただろう。


「もちろん。そんな予定があるのに、一緒に行きたいだなんて、言いません」

「そう……だよな。君は、そういう人だ……。知っていたのに」

 ぼんやりと呟いた直後、我に返ったのか、いきなり頬を赤らめた。


「うわ……ごめん。ちょっと……勘違いをしていたみたいだ」

 あまり見られたくないのか、片手で顔を覆ってもう片方の手のひらを向けるセドリック様を見て、ようやく姉様も悟ったみたいだ。


「もしかして、ジルと私が婚約すると思ったんですか?」

「…………そうだね」

 生真面目に確認する姉様に返答するのは恥ずかしいだろう。


「やだ、どうやったらそんな勘違いをするの? 信じられないわ。その程度の伝達も満足にできなくて、よく国家の重責を担っていられますね?」

 あたしは羞恥で項垂れているセドリック様にここぞとばかりに追い打ちをかけて、ジルに「やめてやれよ……」と小声でたしなめられた。


「ーージルも、悪かった」

 そう言ってジルの方を向いて頭を下げる。先程凄い眼つきで睨んだことを謝っているんだろう。誤解だってわかってたから、たぶん本人は全然気にしてないと思う。


 案の定、ジルはにやにや笑っている。

「いやー、勘違いのおかげでいいもん見られたから。セドリックさんってあんな顔もするんだなって。たまにはいいんじゃねえ? 人間らしくて」

 あっけらかんとしたジルの言い草に、セドリック様が苦笑する。

「……私は、君がずっと羨ましかったよ」


 その言葉に息を呑んで「やっぱり」という顔でぱっとあたしを見る姉様は、たぶんまだ何か誤解している。

「お嬢、あのさあ……」

 げんなりしたような顔でジルが口を開く前に、セドリック様が続ける。

「君は、ローズに最も信頼されている人間だから」


 その気持ちは少しわかる。姉様とジルとの間には、誰も入れないような絆みたいなものを時折感じることがある。

 それにしてもセドリック様のような方が、庭師であるジルを羨ましがるなんて。社交界に集う人々が聞いたら驚くだろう。


「君とローズが婚約すると聞いた時、目の前が真っ暗になった気がした。覚悟はしているつもりだったのに、正直、自分でもあんなに逆上するとは思わなかった」


 何故セドリック様の口から自分の名前が出るのかわからないという顔をする姉様を、セドリック様は苦笑したまままっすぐに見る。

「ローズ。私が好きなのは君だって、ちゃんとわかっている?」


 まさかそこから確認しなくてはいけないなんて、本人もさぞかし不本意に違いない。ちなみにさっきの告白は、あたし達も聞いていた。


「え……?」

 今度は姉様が茫然とする番だった。やっぱり何もわかっていない姉様に、セドリック様は少し困ったような顔をする。

「7年前から、私の気持ちを知っていたと言っただろう」

「だから、あれはーー、デイジーへの気持ちのことで」

「どうしてそうなるんだ!?」


 心底驚愕したようなセドリック様の疑問に、ジルが「んっ」と変な声を出した。吹き出すのをこらえたのだろう。

 姉様は戸惑いがちにあたしを見て、目線をセドリック様に戻した。

「でも、好きだったでしょう? 少なくとも、7年前は」

「私がデイジーを好きだったことなど、一度もないけど!? 大体、7年前のデイジーなんて、まだほんの子供だろう」


 そんな食い気味に否定しなくてもいいじゃない。当人がすぐ横にいるっていうのに、ずいぶん失礼な言い草じゃないか。


「一度もないって……」

 言いかけて姉様は、はっとしたようにあたしを見た。

 あたしが、セドリック様の言葉で傷ついたのではないかと、心配したんだろう。

 馬鹿だなあ。あたしはこっそりと笑う。


 姉様は、あたしがセドリック様に好意を持っていたってずっと信じている。そう思わせるように仕向けたのはあたしだ。

 幼い独占欲からふたりの邪魔をするためだけに、セドリック様を好きなふりをしていた。


 他人から冷たいと言われがちな姉様が、本当はお人好しなことなんて、あたしが一番よく分かっていたから、それを利用した。

 姉様がずっとあたしだけの姉様でいてくれるなら、どんな嘘を吐いてもいいと思っていたの。


 姉様の願いも幸せも、全部わかっていて、知らないふりをした。

 絶対に手放したくなかった。

 そんなあたしの気持ちを、真っ先に心配するのね。

 あたしは、こっそりと手を握りしめて、そしてーー。


「あたしも、セドリック様を好きだったことは一度もないわ」

 にっこりと笑ってそう言うことができた。

 姉様は信じられないというように茫然としている。7年間の思い込みが解けて、どうして良いのかわからないんだろう。


 大体、もし本当にあたしがセドリック様を好きなことが事実だったとしても、7年も前のことだ。7年あれば普通の人間は、恋のふたつやみっつや、多い人なら両手の指でも足りないくらい、始めて終わらせてしまう。

 馬鹿みたいに一途じゃない限りはね。


「わたし、ずっと、デイジーとセドリック様は想い合っていると思っていて」

 こんな、怯えたような、途方に暮れたような姉様の顔は、初めて見たかもしれない。

「何故そんなことを。私は何か、君に誤解させるようなことをしていたのか」

 セドリック様もまた、ひどく戸惑っていた。


「初めてうちに来られた時、デイジーを見て、顔を赤くしたでしょう?」

「え? まったく覚えていない。そんなことがあったかな。どちらかというと印象は最悪だったはずだけど」

 動揺が続いているのか、ナチュラルに失礼なことを言うセドリック様にむっとしつつ、あたしは親切に教えてあげる。


「あれは、姉様があたしに向けた笑顔を見て赤くなったのよ」

 姉様はそんなこと、思いもよらなかったでしょうけど。

「それは覚えている。初めて見た君の笑顔が、あまりに優しくて、綺麗で……」

 セドリック様はそこまで言いかけて、流石に恥ずかしいことを口走っていることに気がついたらしく、少し赤くなって口を噤んでしまった。


 姉様はまだ納得できないみたいで、更に続ける。

「それに花束をあげたでしょう、デイジーに。あんなに美しいものをもらえるなんて、本当に大切に思っているのが伝わってきた。そんなデイジーが、私はずっと羨ましかったんです……」


「ああ」

 セドリック様は何かに思い当たった顔をした。

「あの時は、花の名前を知らなくて……え? じゃあ君は、あの花をデイジーに宛てたものだと思っていたのか」


 7年越しに真実を知って衝撃を受けた様子のセドリック様が、姉様と顔を見合わせる。姉様もまた、静かに驚いていた。

 無理もない。お互い同じ思いを抱いていたのに、ずっとそのことを知らずにここまできてしまったのだ。

 ここにきてようやく、あたしの嘘が暴かれる。


「あれは、君に」セドリック様は言いかけてちょっと言葉を切ると、改めて姉様に向き直った。

「あの花束もさっきの言葉も、全部君のものだ。私の気持ちが他の人に向かったことはない。言葉足らずですまなかった」


 まるで長年のすれ違いを自分のせいみたいに言うけれど、彼が貴族の嫡子という立場上、姉様の負担にならないように気持ちをひた隠しにしていたことを知っている。


「ローズ?」

 そのまま固まってしまった姉様を、セドリック様が覗き込む。

「あの、ごめんなさい、ちょっと驚いてしまって……」

 慌てて瞬きをする姉様の瞳から涙が一粒、溢れた。

「え」

 初めて見る姉様の涙に、今度はセドリック様が固まる番だった。


「ご、ごめん! 花束が欲しかったなら、今すぐ買って来るからーー」

 あまりに焦っているのか姉様の両肩を押さえて見当違いのことを言い出すセドリック様に、姉様が泣きながら首をふって、ふふっと笑った。

「今の季節は、ひなぎくはもう咲いていないと思います。ーーいえ、そうではなくて」


 姉様は笑顔のまま涙をぬぐう。

「嬉しいんです。私が他人に対してこんな感情を持てるなんて、いまだに信じられなくて。ずっとそれが誇らしかったのに、もっと嬉しいことがあるなんて、思ってもいなかった」

「ローズ……」

 セドリック様は姉様の眼を見て、言葉の続きを待っていた。


「自分の気持ちを告げることができて、同じ想いを返してもらえることが、こんなに嬉しいなんて、本当に知らなかったんです」

「うん……」

 セドリック様も、言葉少なに同意した。それだけでお互いの気持ちを確認するには充分だったのだろう。


 そしてそっと額を姉様の額につけた。まるでそうすれば、お互いの気持ちがもっと通じるとでもいうように。

「私もだ」

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