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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
デイジー
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すれ違うふたり《ローズ視点》

 セドリック様は、しばらく茫然としたような顔をしていた。

「何を……」

 ようやく開いた口から発せられた言葉は、私がうっすら期待していたものとは程遠かった。

「何を言っているんだ」


 どこか冷たささえ感じさせる声音に、思わず目を伏せてしまいそうになる。

 少しでも喜んでほしいと思って承諾したのは、思い上がりだったのだろうか。

 それとも、最初から社交辞令だったのを、私が勘違いしていただけ?


「遠い異国の地へ行くっていうのか、私と一緒に。この国にある君の大切なものを何もかも置いて?」

 だから、そうだと言っているのに。私が頷くと、セドリック様は何故か泣き笑いのような表情をした。そしてそのまま俯いてしまう。


「……からかうのはやめてくれ、頼むから」

 ようやく絞り出したような声でそんなことを言う。どこか憔悴したような表情で。

 こんなに自信のなさそうなセドリック様は、初めて見たかもしれない。

「これ以上、期待させないでくれ」


「どうして、そんなことを言うんですか」

 ほんの少しでも力になりたいーーなんて、自分の見通しが甘かったことを思い知らされる。それだけではなく、私の一大決心をからかうなどと言われて、流石に腹が立ってきた。

「私が冗談でこんなことを言えるわけがないではありませんか」

 

 デイジーの婚約を知ってしまった今となっては、私の顔を見ることもしたくないのかもしれない。それは仕方がない。

 でも私の言葉を疑ったり、なかったことにしたりはしないでほしかった。


 南の大陸の植物相に興味があるのは事実だ。あのお父様でさえほとんど手をつけていない、この国の人間にとっては未知の地だ。

 でも、植物のことよりも何よりも、そんな場所へ赴こうとしているセドリック様に、一緒に行きたがっている人間がいると、知っていてほしかった。


 長年想ってきた相手のーーデイジーの婚約を知ったばかりで、ショックを受けているであろう彼を、ひとりで見知らぬ異国へと送り出すことはしたくなかった。

 もちろん、信用できる部下なり使用人なりは何人か連れて行くのだろうけど。でも、セドリック様の長年の想いを知っている者は、その中には含まれていないだろう。


「南の大陸に、行きたいです。……貴方と」

 また拒絶されることを考えると怖くてたまらなかったが、私の意思を伝えたい一心で、目は逸らさなかった。

 セドリック様は明らかに戸惑っている。


「たしかに、君はこんなことで人をからかったりする人間じゃない。じゃあ、どうしてそんなことを言うんだ……」

「本心だからです」

 なぜ伝わらないのかもどかしかったが、セドリック様の言葉に背中を押されたように、今まで抑えていた気持ちが言葉になった。


「一緒に行かないかと誘ってくれたのはセドリック様の方ではないですか。今になって撤回するんですか」

「だから、あれは……軽率だった。忘れてほしい」

 苦しそうな顔で発言を無かったことにしようとするセドリック様に、私は完全に腹を立てていた。忘れろなんて言われて、簡単に忘れられる訳がない。人の記憶なんてそんなに単純なものではない。


「気まぐれでおっしゃったんですか。だったら最初から言うべきではありませんでした」

「気まぐれなんて、そんなわけがない」

 言下にセドリック様が否定した。


「ルーン国に滞在している間も、毎日何度も……ずっと考えていたよ、君のことを。君をあの屋敷から引き離してはいけないという思いと、薬師としても植物学者としても優秀な君を連れて行きたいという思い。この国の自然を君に見せたいという思い」


 そして笑う。諦めたような笑みだった。

「……結局、何度考えても同じ結論になってしまう。君にそばにいてほしい、ただそれだけ。行き着く答えはいつも同じなんだ」


 その言葉で身のうちに歓喜が湧き上がるのを、止めることはできなかった。彼が才能を認めてくれているという事実は、私を有頂天にさせるには充分だった。

「だったら」

 私もついて行くのに不都合はないはずだ、と言いかけた言葉は、セドリック様の言葉に止められる。

「だがやはり、駄目だ」


 堂々巡りだった。

「順調にいっても三ヶ月以上かかる旅程だ。特にひと月以上続く船旅は、完全に安全とは言い切れない。定期便すらなく海で隔てられた土地へ渡って、何かあったらどうする。医療も文化も、未知数なことが多すぎる」

「もちろんそんなことは最初からわかっています」

 そんなところへ、セドリック様は行こうとしているのでしょう。


「次にこの国に戻って来られるのはいつになるかわからないんだ。君がどれほど生家や家族を愛しているのか知っている」

「それでも一緒に来て欲しいと言ってくださったのでしょう」

「……あの時は、婚約のことを知らなかった」

 やっぱりそのことがネックになっているのか。


 私を見たらデイジーのことを思い出すのが苦痛なのか、それとも婚約のことを黙っていた私に対して怒っているのか。



 ーーその時、私の中で何かが切れた。何を言っても平行線なら、好きにすれば良い。私も好きにするから。

 私は息を吸い込んだ。


「先程から言っているとおり、私も一緒に行きます。セドリック様が認めてくれないなら、学園を通じて大使節団のメンバーに申し込みます。幸い、薬師としての実績はあるので、同業者の希望が殺到するとかでなければ通るでしょう」


 それだけを一気に言った。顔には出ていないはずだけど、心臓は早鐘を打っているようだ。セドリック様に対してここまで強く押し切るのは初めてで、我ながら卑怯な言い方だと思う。

 でもこんな表情をするセドリック様をひとりで異国に行かせるなんてことは到底できなかった。たとえ疎まれても、はけ口ぐらいにはなれるかもしれない。


「……ジルはどうするんだ!」

「え?」

 ジル?

 耐えきれなくなったように激したセドリック様の口から出たのが思ってもみなかった名前だったので、私は一瞬頭の中が真っ白になってしまった。


 何故彼の名前が?

 今度は私が戸惑う番だった。セドリック様は何故か、怒ったような顔をしている。

「彼も一緒に連れて行くとでも?」

 そう言われて気が付いた。父の弟子として、私がジルを一緒に連れて行きたがっていると思っているのだろうか。そして、多分、デイジーのことを心配している。


 ジルの新妻になるはずのデイジーをひとり置いて行くのも、帯同させて間近で新婚のふたりを見ることになるのも、到底セドリック様には許容できないのに違いない。

 私は慌てて否定する。


「連れてなど行きません。確かに彼も南の大陸の植生には興味があると思うけれど。行かないでしょう。彼の本分は研究者ではなく庭師ですし、何より」

 そこで一瞬不自然に詰まってしまう。セドリック様に無言で先を促されて、仕方なく言葉を続けた。

「……デイジーは、王都を離れて未知の大陸へは、行きたがらないと思います」


 私は内心冷や汗をかきながらデイジーの名前を出した。なるべくこの場では口にしたくなかった。この名前は彼の傷口を開いてしまうのではないだろうか。


 おそるおそるセドリック様の顔を見ると、予想とは違い、不思議そうな顔をしている。

「何故そこでデイジーが出てくるんだ?」

「え? だって――」

 何故、って。

 私は何か変なことを言っただろうか。


 デイジーとジルは結婚するのだから、ジルを連れて行くのかという問いに、デイジーが多分行きたがらないからジルも行かないというのはおかしくないと思うのだけど。


 でもそれをはっきり口にするのは、あまりに残酷な気がして躊躇われた。

 ことさらにふたりの話をして、セドリック様の傷をえぐることはしたくない。


 私は答えられずに焦ってしまう。

 再び沈黙が訪れる。


 その時、聞き覚えのある声がした。

「そんなの、あたしがジルと婚約するからに決まっているでしょう」


 声に驚いて振り向くと、入り口のところにデイジーとジルが並んで立っていた。

 デイジーは腕を組んで仁王立ちしているし、ジルは壁にもたれるようにしている。口元に手をやっているのは、うんざりしてるようにも、笑いを堪えているようにも見えた。


「いつまではっきりさせずにぐだぐだやってるの? そんなんで外国へ行ってもやっていけると思って?」

「あんたは発言に遠慮がなさすぎるけどな。このふたりを少しは見習えよ」

「あんたにだけは言われたくないわ」


 ぽんぽんと言い合いをするふたりを前にして、私はちゃんと状況が飲み込めないでいた。

「いつから……」

 いつからいたのだろう。全然気が付かなかった。


「もちろん、最初からよ。ふたりでさっさといなくなっちゃうなんて酷いじゃない。セドリック様にまだお祝いも言われてないのに」

 デイジーがいつも通りの美しい顔で、にっこりと笑った。


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