秋のガーデンパーティー
それから少しして行われた秋のガーデンパーティーは盛況だった。
うちが管理している王立植物園では、春と秋の年に2回ガーデンパーティーが開かれる。主に王族や上級貴族を来賓として迎える、ロイヤルな社交行事だ。
このイベントをつつがなく企画開催するのが、社交界におけるガードナー家の存在理由のひとつと言っても過言ではない。
春は咲き誇る花々を愛でながら、秋は豊穣に感謝しながら社交が行われる。
王族も来るこのパーティーに招待されることは貴族の間でもちょっとしたステータスになるため、招待状の選別ひとつにも細心の注意を要するような、そんなイベントだった。
「やあデイジー。お招きありがとう」
そんな中、セドリック様はいつものように穏やかな笑みで現れた。
黒に金糸の大礼服が、晴天の秋空に映えている。
この方はいつも、うちで行われるガーデンパーティーに最大限の敬意を払ってくれる。夜の宮殿の煌びやかなシャンデリアの下でも、昼間の陽光の下でも、絵になる方だった。
ちなみに、我が王立植物園で行われるガーデンパーティーは、何故か天候に恵まれることが多い。あたしの記憶にある限り、大体青空の開催だ。
今日も、深みを帯びた紺碧に薄く刷毛を履いたような雲があるだけで、その空を背景に赤や黄色の落ち葉が舞っている。その光景は、春の花吹雪に劣らず綺麗だった。
「あら」
あたしはセドリック様の淡い茶色の髪が短くなっていることに気づく。
先日見た時には肩まで伸びていた髪が、今日は綺麗に切りそろえられていた。
まるで初めて会った時みたいだ。
「何だか、学生の頃に戻ったみたいですわね」
「そうかな。確かにここまで短くしたのは久しぶりだ」
セドリック様はそう言って少し笑った。
「ローズ姉様とルイス兄様にはお会いになった?」
「ルイスとご家族には先程。……ローズの姿はまだ見ていないかな」
何でもないように装っているけど、姉様の名前を出したセドリック様の語尾が少し緊張している。あの帰国の日以来の対面になるはずだ。
それにしても、姉様。ほっとくとすぐに庭師達のところへ行ってしまうんだから。せっかく正装するようになったのに、あまり社交に混ざろうとしないのは相変わらずだ。
「多分、東の温室の方じゃないかしら。先日セドリック様に頂いた苗木に殊更に気を配っているんですの。この大陸にはないものだからうまく育つか心配らしくて、昼夜問わず様子を見に行ってるのよ」
姉様は人間より植物に対してはるかに過保護だ。あたしに言わせれば苗が育つかどうかなんて運に任せるしかないと思う。
枯らせてしまっても、セドリック様は怒ったりはしないだろうに。
「そうなんだ」
セドリック様は何故か少し頬を染めている。姉様が大事にしてるのは貴方じゃなくて木の苗だからね?
「温室か。少し遠いな。案内してくれる?」
そう言って肘を差し出してきた。仕方ないのでそこに手を乗せる。
確かにちょっと歩くけど、案内なんて本当は必要ない。エスコートしてくれると見せかけて、程のいい虫除けだろう。
本来はこういった行事はパートナー必須なのだけど、セドリック様は主催者の友人という立場を利用して、頑としてパートナーを不在のままにしている。
初めの方こそセドリック様ほどの方がいつもひとりでいる理由をいろいろと囁かれていたけど、流石に最近は社交界の人々も慣れた節がある。
そうは言っても、今日みたいな日にひとりでいたら、多くの人たちに群がられて、姉様のところへは辿り着けない。それを阻止するためのエスコートだ。
ちゃんとわかってあげて乗ってあげるあたしも、偉いなあ。
こうしてセドリック様の隣を歩くと、本当に彼が注目されている方だとわかる。
皆珍しくパートナーを連れていることに驚いた顔をして、それから連れているあたしがパーティーの主催者の妹であることに気がついて、納得したような顔をした。
話しかけてこようとする人たちをにこやかに躱してすり抜けていく技は慣れたもので、社交行事のたびにいつもこんなことをしているのかと思うと、セドリック様の苦労がしのばれた。
それでもパートナーを作らないのは、この人なりの誠実さなんだろうな。
「そういえば、お話したいことがありますの。この後の挨拶で、皆さんにも正式に発表するつもりなんですけど」
「ああ、ルイスも何か発表があると言っていた。何か嬉しい報告かな」
流石に勘が良い。誰にとっても寝耳に水の話だろうから、セドリック様もきっと驚くだろう。
「歩きながら大事な話をするのもなんですから、着いてから言いますわね。姉様もいた方がいいと思いますし」
そんなことを話しながら歩いていたので、東の温室へはすぐに着いた。
ここはメインの花がたくさんある温室ではなく、温度調整が必要な苗木を育てたりしている小ぶりの温室だ。園の外れにあるので、来賓者の人影はほとんどない。
入り口は開け放たれていた。そこからぼそぼそと話し声が聞こえてくる。
「……もっと早く、言ってくれればよかったのに」
声の主はすぐにわかった。姉様だ。ジルと話しているみたいだった。会話の内容はあたしがさっきセドリック様にも言いかけた事だ。
「あら、ちょうどその話をしてるみたいね」
中のふたりはまだあたしたちに気づいていない。隣でセドリック様がぴくりと身を固くしたのが、彼の腕に添えた手から伝わってきた。
気にせず入ろうとするあたしを無言で引き留める。これでは立ち聞きみたいになってしまう。
姉様とジルは例によって苗木の植え替えみたいなことをやっていた。何もこの日にそんなことをしなくてもいいのに。
とは言っても、今日は姉様は人前に出てもおかしくない、比較的ちゃんとした格好をしているので、もっぱら土をいじっているのはジルだ。
姉様は休憩用の丸椅子に座って、ジルの手元を見ている。優しい眼だった。
「何せ身分がね。男爵令嬢と平民だしなあ」
肩をすくめるジルに、姉様が少し驚いたような顔をする。
「貴方がそんなことを言うとは思わなかった。うちが身分差なんて気にする家じゃないってことは、ジルもよくわかっているくせに。それにガードナー一族と庭師との婚姻は、とても多いのよ」
「それは知ってる。……師匠はなんて言うと思う?」
いつもの彼らしくもなく、おそるおそる訊ねるジル。
「喜ぶに決まってる。お父様が貴方にどれだけ目をかけているのか、知っているでしょう」
「それとこれとは話が別。爵位も持ってない庭師に娘をくれとか言われて、承諾するなんて余程の変人でないと……いや、変人だったな。あの人は」
「とびきりのね」
姉様とジルがふたりで顔を見合わせて笑い合う。いいわね、楽しそうで。ちなみにあたしの方はすぐ隣から漂ってくる冷気のせいで凍てつきそうだ。
「ルイスさんとホランドさんは、内心よく思っていないだろうな」
「そんなことないわ。うちに貴方の才能を評価していない人はいないもの」
そう言って姉様は、視線を合わせてジルと目を合わせた。
「だから、安心して。ふたりの結婚は、この屋敷には喜びを運ぶものでしかないの。少し驚いたけど。……求婚してくれてありがとう、ジル」
そうお礼を言う姉様の顔が本当に嬉しそうだったので、あたしはその笑顔に胸が苦しくなって、息をするのも忘れてしまった。
だからあたしの隣にいたセドリック様が、つかつかと中へ入って行ったことに気づくのが少し遅れたのだ。
あたしが気づいた時には、セドリック様は姉様を後ろ手に引っ張るようにして、ふたりの間に割り込んだところだった。
その時のセドリック様の表情を、なんて形容すればいいのだろう。
絶望、恐怖。そして一瞬だけど、ジルをにらむ眼には、殺気すらこもっていた。先程までの朗らかな空気はもうどこにも無い。
「セドリック様。……どうかされましたか」
驚いたように目を見開いて背中越しに問いかける姉様に、セドリック様は苦痛に満ちた表情をして振り返ると、何か言おうとして、結局その言葉を飲み込んだ。
「……少し、話がしたい。ふたりきりで」
感情ごと飲み込んだように、抑えられた声音だった。
突然現れたセドリック様に驚き、戸惑った顔をしていた姉様も、やがて覚悟を決めた顔になって頷く。
「わかりました」
「悪いけど、少し場を外させてもらう」
私たちを振り返ってそう言ったセドリック様の顔は蒼白で、表情が一切乗っていなかった。この人のこんな顔は初めて見た。どんな時でも、対峙する相手に安心感を与える彼の穏やかな雰囲気は、今はまったく消えている。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ガーデンパーティーの真っ最中なんですけど。姉様をどこへ連れて行くつもり?」
あたしは思わず呼び止めてしまう。姉様の手首をよほど強く掴まえているのか、姉様がほんの少し顔をしかめたことにすら気づいていないセドリック様は、いつものセドリック様ではない。
「話なら、ここですれば良いじゃない」
「ふたりで、だ。君たちは来るな」
口調は静かだけど、一切の反論を許さない厳しい言い方だった。悔しいけど圧倒されてしまう。こんな話し方もできる人なのか。
国の中枢で日々自国や他国の王族だの官僚だのを相手に辣腕を振るっている人なんだから、考えてみれば当たり前なんだけど。姉様の隣ではいつも穏やかな表情しか見せない方だから、知らなかった。
「私は大丈夫よ、デイジー。少し抜けるわね」
「大丈夫って……」
どうせ姉様は賓客への対応はあまりしないからそこまで大事ではないんだけど。それはそれとして、姉様と今のセドリック様をふたりきりにはしたくない。
「はあー、セドリックさんにあんな眼で見られるなんて、まじショックなんだけど」
去ってゆくふたりの後ろ姿を見ながら胸に手を当ててため息をついてみせるジルだったが、言うほどダメージは受けていないだろ、こいつ。
あたしは容赦なく促した。
「何呑気にショックなんて受けてんのよ。ほら、さっさと行くわよ」
そう言って顎をしゃくる。
「ええ……付いてくの。ふたりのことなんだからほっとけばいいだろ。ていうかあんたはここを離れない方がいいんじゃねえの?」
明らかに面倒くさそうにぼやくジルにあたしはいらっとする。
「パーティーのことなら、どうせ母様と兄様がいるから問題ないわよ。そんなことより姉様が危険な目にあいそうになったらどうするのよ。あたしだけじゃ止められないもの。あんたがいてくれないと」
「危険って、セドリックさんが? まさか。あの人はお嬢に危害なんて加えないだろ」
ジルは呆れたように言うが、セドリック様の姉様への執着は、たぶんあたしの方が正確に理解している。姉様が絡んだセドリック様は、みんなが思っているほど安全な人ではない。
あたしたちは、充分に間を空けてふたりの跡をつけた。
植物園の小径には、姿を隠す樹はたくさんあるけど、今は秋。小径には色とりどりの落ち葉がびっしりと積もっていて、歩くたびにざくざくと音がするので、気付かれないようになるべく音をたてないように歩くのに必死だ。
幸い、前を行くふたり共、後ろに意識をやる余裕はないらしい。一度も振り返ることはなかった。
やがて人目のある場所へ出た。もしかして、この道を突っ切って、敷地の外へ出ようとしてる?
パーティーの賓客たちが皆目を丸くして、前を行くふたりを振り返っていた。
社交界の有名人であるセドリック様が、アカデミアで最近話題になっている姉様の手を引いて堂々と歩いて行く姿は、誰にとっても驚きなのだろう。
セドリック様は、周りの視線もざわめきもまったく意に介していないように見える。
相変わらず、紺碧の空を背景にちらちら花びらみたいに散っていく赤や黄色の落ち葉がきれいだと、あたしは場違いなことを考えた。
その中をまるで物語の王子様のように姉様をあたしの前から連れ去る背中を、あたしを置いてこの屋敷から出て行こうとする姉様の後ろ姿を、もう随分前から知っているような気がした。
さっきまでの勢いは何処へ行ってしまったのか、姉様が連れて行かれる恐怖で思わず足を止めてしまったあたしの背中を、ぽんと軽く叩く手がある。
びくりとして見上げると、かたわらでジルがあたしを見下ろしていた。
「なんて顔してんだよ。行くんだろ? ぼーっとしてると見失うぞ。って、まさかあのふたり馬車に乗る気してないか?」
姉様たちは大通りに面した正門から出ると、通りにずらりと止められている馬車の中の一台に乗り込むところだった。
えっどこいくのあの人達、と割に呑気な口調で呟くジルは、呆然としているあたしを尻目に、馬繋いでくるからここで待ってて、と言い残して行ってしまった。
少し経って、ジルが操る屋敷の二輪馬車が、正門前に乗り付けた。
「みんな出払っててこれか荷馬車しかなかった。乗れるよな?」
「充分よ」
そう言いながら、どうしてジルはここまでしてくれるんだろうと思う。面倒くさそうにしてたくせに。
「ほら、行くぞ、お嬢さま」
そう言って馬車の上から伸ばされた手を掴んだ。
手袋もつけていない、骨ばった力強い手があたしを引っ張り上げる。
「もしかして、この道って……いややっぱりそうだよなー」
ぶつぶつ言いながら馬を操っているジルの隣に座っていると、なんとも言えない既視感を覚えた。懐かしくて思わず笑ってしまったあたしに、ジルが怪訝そうな顔をする。
「何だよ」
「前も、こんなことあったなって」
確か、姉様が兄様が勝手に進めたお見合いをしそうになって、慌ててセドリック様を呼びに学園の寄宿舎まで行った時だ。あの時もあたしは、嫌そうなジルを無理矢理連れ出したんだ。
「あー、あったあった」
ジルも苦笑いしている。
なんだかんだでまた馬車を出してくれるジルも、たいがいお人好しだ。
7年前と何も変わっていない。あたしはいつまでこんなことを続けるんだろう。
最後まで見届けて、今度こそちゃんと終わらせなくては。これはあたしが始めたことなんだから。




