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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
デイジー
30/37

泣かない理由

 そんな経緯があったので、その三日後に夜会で再会したセドリック様が何事もなかったようにふるまっていたことにも、姉様がずっと元気が無いことにも、あたしはずっとよくわからない気持ちを抱えたままもやもやしていた。


 こんな時、大体の事情を把握していて、忌憚のない意見を言ってくれそうな存在は貴重だ。あたしは植物園に出て、剪定をしているジルを探し出した。


 秋のガーデンパーティーが近づいているので、屋敷の者はみんな忙しそうだった。

 ジルに話しかけると、虫除けの薬液が入っているという缶を渡された。ここにいるなら手伝えという事らしい。この作業は初めてではない。


「何だっけ、この花。ダリア?」

「これは、クリサンセマム。どうやったら間違うんだ。香りも葉っぱも全然違うだろーが」

「花は似てるじゃない。もう、ややこしいなあ」

「全然似てないだろ……」


 ジルは何やら花びらのつき方とか葉の形とかを説明してきたけど、覚えられないものはしょうがない。ジルだってドレスラインの区別がつかないんだから、お互い様だと思う。

 そうは言っても、この庭園においてはあたしの方が分が悪い。おとなしく缶を受け取って、刷毛で茎に薬液を塗っていきながら、あたしは先日あったことを話した。


 とりあえずふたりの誤解は解かなくてはいけない。姉様はあたしとセドリック様が想い合っているかもしれないと思っているし、セドリック様は姉様が異国に行くのを嫌がっていると思っている。


 誤解が解けたら、姉様はどうするんだろう。ルーン国はいくらなんでも遠すぎる。生家が大好きな姉様が、いつ帰って来られるともしれない遠方の国まで行こうとするだろうか。

 あたしが言外に込めた期待とは裏腹に、ジルは顔も上げずに「行くよ、お嬢なら」とあっさり断言したのだった。


「何であんたにそんなことがわかるのよ」

 あたしはちょっといらいらして聞いた。期待していた答えと違ったのも嫌だったし、ジルがまるであたしよりも姉様のことを分かっているような口ぶりなのも気に入らない。


「何でって、だって南の大陸だろ。行かないわけがない。あそこの植生調査は、師匠や俺達の悲願でもあるんだから」

「は? 植生、って……。植物がらみってわけ? あんたたちどれだけ研究のことしか頭に無いのよ」

 思っていたのと少し違ったので、あたしは肩透かしを食らったような気分になる。

「当たり前だろ。ガードナーに従事する奴は全員そうだよ」


 ジルは「俺は研究者じゃないからいまいち詳しくないけど」と前置きして続ける。

「海峡を渡っただけで、がらっと生物相が変わるんだ。全ての生き物に言えることだけど、特に植物は、この国には無い作用を持つ種も多い。幻覚作用とか、麻痺とか……。医薬に影響を与えるものも多いらしいけど、何せ地理的に簡単に行って採取できる場所じゃないから、師匠ですら手を出しかねてたんだ。長期滞在できる足がかりができるなら、一も二もなく決めると思う、お嬢なら」


 何それ。好きな人に付いていくためというより、植物の調査のためなら、まあ行くだろうと思われてるというわけ?

 どれだけ植物を中心に回っているのかしら。でもその方が姉様らしいけど。


 あたしは無意識にスカートを握りしめていた。ジルが言うなら、確定なんだろうか。

 


 セドリック様にはああ言ったものの、姉様が屋敷を離れる決断をすることはないだろうと、どこか楽観視していた部分があったのも事実だった。


 俯いたあたしを、ジルが覗き込むように身を屈めた。彼は十代の終わり頃から、めきめきと身長が伸びて、今やセドリック様やルイス兄様よりも背が高いぐらいだ。


「落ち込んでんの?」

「誰がよ! 怒ってるんだってば」

「うぉっと」 

 勢いよく顔を上げたあたしにぶつかりそうになって、ジルが一歩後ずさる。胸の奥をふつふつと焼く感情、これは怒りだ。


「7年も友人のラインを越えようとしなかったくせに、いきなり姉様を遠い異国に連れて行くですって? 突然そんなふざけたことを言われて、何であたしが悲しまないといけないわけ!?」


 やっぱり、あの人は姉様を連れて行こうとする人だった。あたしが初めて会った時に感じた第一印象は間違ってなかった。

「人を振り回すにも程があるでしょう。姉様のことを一体何だと思ってるのよ」


 拳を握りしめるあたしにジルが肩をすくめた。

「そこで怒るのが、あんたらしいよ。……まあでも、お嬢次第だろ、結局は。あんたが泣いて『行かないで』って言えば、行かないんじゃねーの」

「しないわよ、そんなこと。子供の頃じゃあるまいし」

 あたしは苦い記憶を思い出して眉を寄せた。ジルはあの時のことを言っているのだろう。



 姉様が学園に入学する前年だから、もうずいぶん前のことだ。あたしが6つかそこらの時。

 寄宿舎に入る準備をすすめる姉様を見て、あたしは毎日泣いていた。


 ーーいやだ。いかないで。

 ーーがくえんなんかに、はいらないで。


 同じ王都なのだし毎週末には帰ってくるからと周りがどれだけ説得しても、あたしは毎日泣き続けた。

 それまで毎日同じ屋敷にいて、会いたくなれば庭に出たらいつでもそこにいる、当時のあたしにとってほとんど唯一の味方だった姉様がいなくなるというのは、幼いあたしには相当な恐怖だったのだ。


 毎日毎日びえびえと泣くあたしを見る姉様はやっぱり今と同じ無表情だったけど、ある日突然宣言した。


「やっぱり自宅から通うことにするわ。どうせ寄宿舎なんて入りたくなかったもの。植物園の様子も気になるし」


 当たり前のようにそう告げる姉様に、屋敷のみんなは驚いて説得しようとしたし、その頃すでに寮暮らしをしていた兄様も、わざわざ戻ってきて諭そうとしていたけど、一度決めてしまった姉様の決心は固かった。


 植物園から離れたくないの一点張りで周りの説得を跳ね除ける姉様に、幼いあたしは無邪気に喜んだんだ。


 やっぱりあの子は変わっているという陰口。

 毎日近くはない道のりを、雨の日も雪の日も学園まで馬車を駆って通わなくてはいけない、その大変さ。

 どうしたってできてしまう、寄宿舎で暮らす他の生徒たちとの壁。


 そんなものを何でもないような顔をして平然と背負う姉様の何ひとつを、わかっていなかったから。

 その時のことを、ジルもうっすら覚えているはずだ。


 元はといえば、昔あんなに頑なに社交をしようとしなかったのも、兄様にガードナーの当主の座がいきやすいようにしていたからかもしれない。そういうところのある人だ。


 あたしがそう言うと、ジルは苦笑いをした。

「それは、流石にお嬢を買い被りすぎじゃねえ? お嬢は俺が知ってる限り、ずっとあんな感じだよ。でも、なんかわかったかも」


「何がよ」

「いや、あんたがいつも怒ってばっかりの理由わけ

 こいつはまた失礼なことを言い出した、と思うけど、とりあえず何も言わずに先を促す。ここで怒ったらジルの思うつぼだろう。


「なんかあんたってさ、ちょっとしたことですぐ傷つくし、切れるし、花に当たるし、本当面倒なんだけど」

 はあー!?

「ちょっと、あれ以来花をむしったりしてないってば!」


 そこでさすがに抗議の声を上げると、ジルはほら見ろっていう顔をした。

「そういうとこ。……でもさ、絶対涙だけは見せないじゃん。幼児の頃はすぐぴーぴー泣くガキだったのに何でだろうって思ってて」

 ガキって。ジルとはふたつしか違わないんですけど。


 いらいらしてるあたしに気づいてるだろうに、ものともせずにジルが続ける。

「そういえば、お嬢が学園に通い出した頃から泣かなくなったなって、思ってたんだけど。なるほどね。あんたなりに責任を感じてたわけだ」

 勝手にひとりで納得して、うんうんと頷いている。


「べつに、そんなんじゃないわよ」

 ただ、あれ以来泣けなくなったのは事実だった。あたしが泣けば、また何かを姉様に諦めさせてしまうような気がして。

 泣かない代わりに怒るようになった。悲しみを怒りやわがまま、そういったものにすり替えたら、少なくとも涙は引っ込んだから。


「それでこんな性格になっちゃったのか……」

 何かを悟ったジルが、気の毒なものを見るような目であたしを見た。ほんとこいつ、失礼にもほどがあるな。


「さっき行くか行かないかはお嬢次第って言ったけど、やっぱり訂正する」

「何よ」

「あんた次第だよ」

 痛いところを突かれたあたしは、黙り込むしかなくなった。


 あたしが何も言わなければ、このまま姉様とセドリック様は長い間ーーもしかすると一生会うこともなくなって。

 セドリック様を失った姉様は、それでもいつまでもあたしのそばにいるんだろう。

 本心を見せないまま。


 あたしは無心に花に薬液を塗る。昔教えられたとおりに、あまり塗りすぎないように。

 ジルも黙々と剪定をしているので、しばらくは鋏の音だけが響いた。



「……ねえ、ジル」

 ようやく口を開いたのは、それから随分経ってからだった。


「お願いがあるんだけど」

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