正反対
「そもそも、受けなきゃいいんじゃないの? 全権大使なんて」
「馬鹿。そんな訳にいくか」
思わずそう言ってしまったら、間髪入れずに兄様に却下された。べつに兄様に言ってないのに。
「大使の任命者は国王陛下だぞ。お前はセドリックに王命を拒否させるつもりか」
「まだ内定の段階なんだったら、いくらでも断れるわよ。重病かなんかをでっち上げればいいわ」
実際、僻地への赴任を任命されたあと、何故か突然病気になる者が多いというのは有名な話だ。
「この際、お役目なんてどうでも良いじゃない。姉様と離れてでも受けないといけない話なの? そこまでして体面を保ちたいなんて、貴族としてのプライドとやらがそうさせるんですか。そんなくだらないもののために諦められるくらいの気持ちなら、どうせ最初から大したものじゃなかったってことね」
「お前なあ……。国の一大事と個人の感情を秤にかけるなよ」
あたしの皮肉を込めた挑発に兄様は呆れた顔をしたし、セドリック様が動じる気配はなかった。
「私が行かないという選択肢はないんだよ、デイジー」
まるで幼子を諭すようなセドリック様の口調に腹が立つ。
「そんなに職務の方が大事なんですか」
「もちろん、伯父やランバートの家名に泥を塗る訳にはいかない。それは大前提だ。ただ、それだけじゃないんだ。もしも私がこの話を断ると、おそらくジョルジュ・ガーラントという者が大使になることになる」
「……え?」
突然話の風向きが変わって、あたしは一瞬きょとんとする。
ジョルジュ・ガーラント。一応あたしも社交界に出入りしている人間なので、顔と名前だけは知っている。
まだ三十代前半なのに、切れ者という噂は聞くけど、あまり良い印象はない。夜会での横柄なふるまいがよく目につく人だった。
「ガーラント伯爵家か。よく聞く名だ。名門だな」
兄様の言葉に、セドリック様が頷いた。
「ガーラント伯は私と同じ外務官僚で、野心の強い男だよ。もちろん、それは政治家として悪いことじゃない。だが彼は、南の大陸への派兵と、収穫物や繊維産業の効率化を主張している」
うわ。なんだかめんどくさい話をしだした。
派兵という言葉に眉をひそめた兄様は、言葉を選びながら質問する。
「確かに、ルーン国から輸入している香辛料や茶葉や珈琲豆、果ては織物に至るまで、我が国でも高価な値段で取り引きされているが……。効率化というのは」
「地元に我が国専用の農園や工場を作れば、供給量も増えて流通も安定するだろうということだな。現地の人間を雇えば、人件費も安価で済むだろうという話だ」
「つまり、ガーラント伯は、ルーン国を植民地にしようとしてるってこと?」
「デイジー、滅多なことを言うな」
「まだるっこしい言い方してるけど、それ以外にないでしょ」
言葉遣いに慎重な兄様がたしなめてくるけど、軍事力を送り込んで生産力を増やすというのはそういうことだろう。
そして、たぶん我が国とルーン国の力関係を考えると、それは可能だ。
セドリック様が苦笑する。
「君たちが相手だと、話が早いな。デイジーの言うとおりだよ。ガーラントは大使館をいずれ総督府にする気でいる。だから、私は彼を大使にするわけにはいかないんだ。少なくとも、ルーン国ときっちりと友好を築くまではね」
清々しい表情なのは、もう行くことを決めてしまっているからだろう。意志を変えさせるのは難しそうだった。たとえ、姉様を置いて行くことになっても。
なるほど。話は見えた。
セドリック様に断る選択肢がないことも理解した。でも。
ーーあの国の植物を彼女に見せたいと思った。
ーーあの緑の中で佇む彼女をひと目見ることができれば、私はあの国に骨を埋める覚悟ができる気がしたんだ。
「でも、だってずっと好きだったんでしょう、姉様のこと。好きなのに気持ちを伝えられないくらい、ずっと好きだったのにーー」
「彼女にあんな顔をさせるぐらいなら、私の気持ちなんて伝わらなくていい」
きっぱりと言い切るセドリック様に、あたしは何も言えなくなってしまう。
この人にとっての最優先は姉様の幸せで、自分の気持ちなんて二の次なんだ。あたしとは何もかもが正反対だった。
その時、部屋の扉がノックされた。応じる兄様の声に執事が顔を覗かせて、後続の馬車が到着したことを告げた。
その知らせを聞いて、セドリック様が俯いてひとつ大きな息をつく。
「タイムリミットだ」
顔を上げた時には、すでに表情を切り替えている。
「今日のところは失礼するよ。騒がせて申し訳なかった」
そう言って出て行こうとしたが、ドアのところで一旦振り返った。
「ローズには、さっきの言葉は冗談だから、どうか気にしないようにと伝えておいてくれないか」
……一世一代の提案だっただろうに。それすらも姉様のためにあっさりなかったことにするのね。
セドリック様は姉様を連れて行くことを諦めてさっさと遠い国へ行き、姉様はセドリック様の想いを知らないまま、ずっとここにいるだろう。
それでいい。そうやって、いつまでもあたしと一緒にいるといい。
「待って」
そう思うのに、振り返るセドリック様に、あたしの口が勝手に動いた。
「姉様がつらそうな表情をした理由は、多分セドリック様が思っているようなことではないの」
セドリック様は表情こそ大きく変えなかったが、それでもあたしの顔をじっと見る。
あの時ーーセドリック様が遠くへ行く話をした時、姉様は真っ先にあたしを見たのだ。あたしが傷ついていないかどうかを確かめるために。
自分が傷つくよりも先に、長い間だましていた人間の気持ちを思いやろうとするなんて、つくづくずれている。
誰よりも感情の薄そうな顔をしているくせに、その内実は、救えないぐらいのお人よしな姉様。
たぶんあの人は今でも、あたしが吐いた7年前のずるい嘘を信じている。




