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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
デイジー
27/37

一緒に

 その時、ノックの音がした。

「失礼するわ。茶器を持ってきたわよー」

 のんびりとした声と共に、女性がひとり入ってきた。


「ホリー、重いものを持っては駄目だろう」

 茶器と軽食が載ったワゴンを押してきた人物を見て、ルイス兄様が即座に眉をひそめて立ち上がると、そのまま女性の隣りまで足早に近寄った。


 同時にイリスが姉様の腕の中で「ままー」と声を上げると、そのままじたばたしていたが、「飛びついてはだめよ」となかなか降ろしてもらえずに言い含められている。


 姉様と同じ黒髪灰眼のこの女性が、イリスの母親のホリーという姉様の従姉いとこだ。姉様のひとつ上で、セドリック様や兄様の同級生でもあった。

 お父様の妹の娘に当たる人なので、あたしや兄様とは血が繋がっていないが、小さい頃からの幼なじみみたいな存在だ。

 そしてルイス兄様の妻でもある。ゆるやかなシルエットのドレスを着ているのは、今第二子を妊娠しているからだ。


「べつに持ってないわ。ワゴンを押しているだけよ」

 兄様に肩をすくめると、そのまま室内に入ってきた。

「ありがとう、ホリー。言ってくれたら、取りに行ったのに」

 姉様も慌てたように近づいてワゴンを受け取った。


「大丈夫だってば。意外と心配性よね、あなた達」

 ホリーがくすくすと笑う。

「それに、私もセドリック様に久しぶりにお会いしたかったし」

 ホリーは姉様の言うことを聞いて静かにとてとてと近づくイリスを「いい子ね」とひと撫でして、セドリック様に向き直った。


「セドリック様、ご無沙汰しております。無事のご帰還、お喜びいたします」

「どうもありがとう。貴女もお腹の子も、健やかそうで何よりです。どうか安全な出産をされますように」

 そう言ってセドリック様とホリーはお互いの背中に軽く手を回し合った。

 

 それからホリーは「私はイリスを引き取りに来ただけだから。あとはみんなでごゆっくりー」と言って、小さなイリスを連れて、退室しようとした。

 姉様は引き止めようとしたが(いつもお茶の時間はこのふたりも加わっている)、「せっかくの再会なのに、イリスがいたらゆっくり話せないでしょ」と片目をつぶって出て行った。

 いつも思うけど、彼女はガードナー一族らしくない絶妙さで空気を読むのよね。



 ようやくセドリック様が来客用のソファに腰かけると、姉様はお茶を淹れたカップを差し出した。「ありがとう」とお礼を言って嬉しそうにカップを持ち上げる。


「ああ、懐かしい香りだ。故郷へ帰って来たという気がするな」

「よかったら、こちらも使ってください」

 姉様が蜂蜜の入ったポットを勧めている。セドリック様はシンプルなお茶を好むので、こういった甘味を勧めるのは珍しい。

 姉様もセドリック様の憔悴に気づいたんだろうか。


 あたしも出て行こうか迷ったが、それより先にお茶が入った。お茶受けは、ピーカンナッツのクッキーだ。ナッツはこの前姉様とイリスが大騒ぎして(はしゃいでいたのは主にイリスだけど)庭で集めていたやつだろう。


 せっかくなのでいただくか。

 とは言っても、兄様とセドリック様の再会を邪魔する気もないので、ふたりが座っている応接テーブルではなく、少し離れた壁際の肘掛けソファに座った。

 足を組んで、肘掛けに頬杖をつくあたしを見て、兄様が何か言いたそうにしているのは無視する。行儀が良くないのは百も承知だ。

 

 姉様があたしの隣に座る。

 カップに口を付けると、お茶は少しだけ濃い目に淹れられていた。

 

「それにしても、半年とは結構長かったな。今度は、少し長く国にいられるんだろう?」

 お互いひととおり近況を話し終えると、テーブルを挟んでセドリック様の向かいの椅子に座っている兄様が訊ねた。


「そうだな。……いや、実は君たちに話したいことがあって」

 セドリック様は少し口ごもる。何だろう。この人がこんな風に言葉に迷うのは珍しい。

「何から話そうか」

 セドリック様は口元に手を当てて、少し考えるそぶりをした。


「これは正式な発表までは内うちの話にしておいてもらえるとありがたいんだが」と前置きして、セドリック様が話し始める。

 あたしも聞いて大丈夫な話なのかしら? 彼のことだから、迂闊なことは話さないはずだけど。

「実は、メイソン侯爵令嬢のルーン王国への輿入れが決まった」


「はあ……?」

 セドリック様の言葉が予想外のものだったので、あたし達は一瞬ぽかんとしてしまった。そんなに親しくもない侯爵令嬢が、ほとんど知らない国に嫁ぐという。大事な話ってそれ?

 確かに、外交官のセドリック様にとっては重要な話かもしれないけど、ここで重々しく発表する話題としてはそぐわない気がする。

 そう思うのだけど、セドリック様は固い表情を崩さない。


「ルーン国っていうと……南の大陸にある国のことか? 確か数十年前に王朝が代わったんじゃなかったか」

 兄様は意外な名前を聞いた顔をしているし、あたしもあまりぴんとこなかった。南の大陸はこの国がある大陸とは海を隔てたところにある。陸路と航路合わせて何か月もかけないと行けない、遠い国だということがかろうじて分かるくらいだ。

「だがあのあたりは、我が国とは国交が無いだろう。そこに侯爵令嬢が嫁ぐというのか?」


「そうだ。メイソン侯爵令嬢について、何か知っていることは?」

 兄様はとっさに出てこないようだったので、あたしが口を開いた。

「侯爵家の適齢期のご令嬢というと、次女のミーシャ様かしら。学園ではあたしのふたつ上。何度か夜会でもお見かけしましたわ。本人は大人しい方だけど、大きな貿易港が領地にあるだけあって、いつも珍しい装飾や織物を身にまとっていることが多いわね。社交の場でも、よく話題になっています」

「流石だね」

 セドリック様が頷いて微笑んだ。


 いちおう、社交界情報を常にアップデートしておくのがこの屋敷におけるさしあたってのあたしの役目と言っていい。

 ホリーは身重だし、姉様に比べたら全然ましとはいえ、ガードナー一族の者だけあって、元々社交の場が得意というわけでもないもの。

 兄様もパートナー不在で出席するイベントは限られてるし、何より園の経営で多忙だしね。


「元々、我が国の南に位置する港を擁するメイソン領とルーン国との間には、昔から領地レベルでの交流はあったんだ。その交流を深いものにするべく、このたびメイソン侯爵令嬢とルーン国第四王子との間に婚約が結ばれた」

「典型的な政略結婚ね」

 あたしの言葉にセドリック様が頷く。


 でもあの大人しそうなミーシャ様が、未知の大陸へ嫁ぐなんて、大丈夫だろうか。

 他人事ながら、ちょっと心配になってしまう。


「すでにルーン国からの輸入品は、織物や染料、茶葉や香辛料をはじめ多岐にわたり、この国にはなくてはならないものになっている。国としても不手際がある訳にはいかない。なのでこの婚姻を期に、正式に国交を結ぶことになり、かの大陸に大使館を置くことになった」

 そこでセドリック様が、一瞬言葉を切った。

「……私は、近々そこの全権大使を拝命する予定になっている」


 これが本題だった。思ってもみないセドリック様の重責への登用に、あたし達は息を飲んだ。


「それは……凄いな。南の大陸に大使館を置くのは、初めてじゃないか?」

 真っ先に驚いたような声を出したのは兄様だ。

「だが、あの辺りは、我が国にとってあまりに未知だろう。文化や言語だって違うし、国交を完全に樹立するまでには一筋縄ではいかないはずだ。任期だって何年になるか」


「そうだな。一応、ルーン国自体がまだ国家として歴史が浅いこともあって、近隣諸国との政情も不安定なんだ。そのため、王室の相談役も兼ねることになっている。落ち着くまでは戻って来られないだろう。5年か10年か、あるいはそれ以上か……」


「10年……」

 セドリック様の言葉に兄様もあたしも絶句してしまった。思ったよりずっと長い期間だ。遠い海を隔てたところに行ったきり帰ってこられない10年なんて、ほとんど永遠という言葉と同じに聞こえた。


 正直、セドリック様のことは邪魔だなあと思ってたし、居なくなればいいのにと思った事だって、一度や二度ではない。

 でも、本当に居なくなってしまうことが現実味を帯びると、どうしていいのかわからなくなってしまう。大体、そんな事を不意打ちで言われても困る。

  

 その時、ひざの上のあたしの手の上に、温かい手がそっと乗せられた。

 姉様の手だった。顔は真っ直ぐにあたしを見つめている。

 セドリック様の方ではなくて。

 この顔を知っている。あたしが悲しむんじゃないかと、心配している顔だった。


 ずいぶん前に吐いた、馬鹿みたいな嘘。

 あたしがセドリック様を好きだなんて、姉様への幼い独占欲で吐いた嘘を、いまだに訂正できないでいた。

 だってどう言っても、言い訳みたいになってしまうし。

(馬鹿ね)

 人の心配なんて、してる場合じゃないでしょうに。


「出立はいつ頃なんだ」

 そんなあたし達には気づかないまま、兄様が発した声で、我に返った。

「雪が解けて道が落ち着く頃だな。それまでは国にいられる」

 ではまだ半年以上ある。いや、半年しかない。

 準備やら何やらで、のんびりしている暇なんて無さそうだ。


 兄様は最初の驚きが去ったらしく、祝福の笑みを浮かべた。

「おめでとう。重責だが、君ならやり遂げるだろう。友人としても鼻が高いよ」

 セドリック様もにこりと笑って応える。

「ありがとう。正直今回の話は、私にとっても晴天の霹靂ではあったんだが。決まってしまったからには精一杯やる気でいるよ。ーーしばらくここのガーデンパーティーに出られなくなるのだけが残念だ」


「俺もだ。良かったら、来月行う秋のガーデンパーティーにはぜひ来てくれ。多忙で、それどころではないかもしれないが」

「もちろん行かせてもらう。国に居る際の一番の楽しみなんだ」

 それは多分本音だろう。

 それからセドリック様は、ふっとあたし達の方を見た。

 正確には、姉様を。


「私が言うまでもないかもしれないが。南の大陸は、ここよりも温暖な気候の土地だ。広い砂漠が広がっている一方で、植物が実に生き生きとしている場所なんだ。今回、行ってみて驚いたよ。知っていた?」

 セドリック様の唐突な呼びかけに、姉様はどこか呆然としながらも、反射のように応えていた。


「ええ。数は少ないながらも、書斎に紀行記が何冊かあるはずです。確か、かの大陸は雨季と乾季に分かれていて、雨季に育つ植物は、この国のものに較べて鮮やかで大きいとか。植物だけではなくて、鳥や魚も極彩色をしていると読んだ覚えがあります」

「よく知っているね」

 

 セドリック様は柔らかく笑って、すぐに表情を引き締めた。少し、顔が強張っているような。

 何だろう、緊張してる? と怪訝に思うまもなく、爆弾発言が飛び出したのだ。


「……ローズ。その国に、私と一緒に来てくれないか」

 静かな口調だった。


ーーはあああ!?

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