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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
デイジー
25/37

七年後

随分間が空いてしまってすみません。

全部で36話ぐらいになる予定です。

 アカデミーを卒業したセドリック様は、多忙を極めていた。


 結局、彼は官僚への道を選んだのだった。元々継ぐはずだったランバート伯爵位は彼の弟が継ぐことになった。

 セドリック様の母方の伯父にあたるアシリング侯爵はこの国の外務大臣だ。子供のいない侯爵の後継になることが決まり、侯爵が所持している爵位のひとつであったフォスター子爵を名乗りはじめたのは卒業と同時だった。


 アカデミーに籍を置いているうちから、アシリング侯爵に付いて諸外国を飛び回っていたセドリック様は、卒業すると本格的に外交官として頭角を現し始めた。


 数か国語を流暢に操り、人当たりの良さで誰とでも打ち解け、その若さでいくつかの重要な条約の締結にも関わっている。

 更に医療と武芸の心得もある彼を、国がたちまち重用したのも当然の話だ。

 順調にいけば、ゆくゆくは侯爵位を継ぐことになるだろうと思われた。


 その頃正式に社交デビューして、王宮や有力貴族が主催する社交行事に顔を出すようになったあたしは、男女問わずあちこちでセドリック様の噂話を聞いた。



 一方でローズ姉様も、あれから少し変わった。ひと言でいうと、周りの人間に前ほど無関心でなくなってきたのだ。


 少しだけ表情が豊かになり、話す時も俯かずに顔を上げて、ちゃんと目を見て話すようになった。

 いや、普通の子なら、学校に上がる前には自然に身についているようなことなのだけど。でも姉様にしては大きな変化だと思う。


 あれほど嫌がっていた社交に関しても、いろいろと思うところがあったのだろう。

 定例のガーデンパーティーにも、姉様はきちんと正装をして、主催者ホストとして出席するようになった。もちろん自分から言い出したことだ。

 ガーデンパーティー以外の社交イベントにはあまり出席せずに、相変わらず植物のことばかり考えているけれど。


 それでも人前に出る機会が増えたせいか、もういい加減に適齢期でもないというのに、縁談は十代の頃よりむしろ増えている。もちろんすべて話も聞かずに断っている。

 兄様もこの頃は諦め気味だ。


 アカデミーで学位を取得してからは、お父様の研究を手伝うかたわら、主にこの屋敷に併設されている薬草園の管理をしつつ、論文を発表したりしている。


 姉様でないと手に負えない植物があるとかで、時々母校である王立学園にも、温室の様子を見に行っているようだったが、数年前からはなんと、その王立学園で外部講師として、不定期に授業を行うようになった。


 講師の話が来た時は、学生相手とはいえ、姉様が大勢の生徒を相手に講義をするなんて無理だろうと誰もが思った。

 ところが、周りのやんわりとした説得を振り切ってはじまった姉様の授業は、蓋を開けてみると淡々としているけれど分かりやすいと評判だった。


 姉様が意外と教職に向いていたということは驚きだったが、考えてみたら、元々学究的な人だ。他人と接するのを考慮しなければ、アカデミックな場所とは相性は悪く無かったのだ。


 姉様の書いた論文が、この国で最も権威のある自然科学雑誌に載って、ちょっとした騒ぎになったこともある。

 女性研究者が極めて少ないこの国において、本名での掲載は、なかなかのインパクトがあったみたいだ。


 授業がない季節には、何度かフィールドワークと称して、国内外へ出かけて行くことも何度かあった。


 そうやって少しずつ姉様の世界は拡がっていって、いつの間にか、姉様に初めて婚約話がもたらされたあの春から、7年が経っていた。



***

 夜会でセドリック様に会った後、別室で待機していた侍女のリンダに声をかけて、早々に公爵邸を辞した。

 リンダは待機室で仮眠を取るつもりでいたらしく、少し慌てていた。いつもなら、東の空が明るくなる頃までパーティーを楽しんでいるところなんだけど。あの方がいると、監視役が着いているようでなんだか落ち着かなかったのだ。



 流石に屋敷も正門は閉ざされている時間なので、リンダと従僕兼御者のジョージに労いの言葉をかけて、静まった屋敷の裏口からこっそり入る。

 キッチンは火も落とされて暗い。月明かりだけを頼りに、水差しの水をカップに移し替えてひと口飲み、ようやく息を吐いた。


「……おかえりなさい」

「ひっ」

 暗がりから声をかけられて、初めてキッチンに据え付けてある小さなテーブルに人がいたことに気がついた。


「もう、いるならいるって言ってよ。カップ落として割るところだったじゃない」

 驚かれたのを見られたのが恥ずかしくて、責めるような声が出た。思わず変な声出しちゃったし。テーブルの人影は、姉様だった。


「早かったのね」

 早いと言ってももう日付は変わっている頃合いだ。まあ朝帰りが習慣みたいになっているあたしから見れば確かに早い。あたしは肩をすくめてうんざりした表情をつくった。


「なんだか、落ち着かなかったんだもの。ーー夜会にセドリック様がいらしてたのよ。みんなそっちに夢中なんだから。半年振りの社交界登場に、周りの方が浮き足立ってたわ。公爵夫人なんて、年甲斐もなくべったりくっついて離れようとしないし」

 あたしは告げ口をしながら、姉様の差し向かいの椅子を引いて座る。


 聞きたいなら、社交界でのセドリック様の様子を詳しく話してやろうと思ったのに、名前を聞いても少し顔を上げただけの姉様はぽつりと呟いただけだった。

「相変わらず、周りに人が集まる方なのね」

 元気そうだった? とか、様子を尋ねる言葉は無い。何せ先日帰国した際、王宮への挨拶よりも先にうちを訪れている。


「姉様は何してたの、こんなに遅くに」

 姉様はあたしと違って超朝型だ。この屋敷では大体の者がそう。陽が昇るのと同時に起きて、夜は早いうちに休んでしまう。多くの植物の習性に合わせていると、自然とそうなってしまうのだそうだ。


「ちょっと、考え事……」

 姉様は、いつもよりもぼうっとしているように見えた。心ここにあらずといった表情は、三日前からだ。

 三日前。半年ぶりに現れたセドリック様が、爆弾宣言をしてから。

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