姉の誤解
その週末は、姉様に求婚してきた医師とかいう人と姉様との対面がセッティングされていた。
「どうして来訪を承諾したりしたの!? 姉様がとっくに断った話でしょう。突っぱねるなり、用事があると言うなり、いくらでも方法はあるじゃない。そうだ、今からでもみんなでお出かけしましょう!」
「失礼すぎるだろ……。向こうがどうしても会って話だけでもしたいと言ってきたんだ。断れないだろう、常識的に考えて」
あたしの必死の詰問も、相手にされなかった。駄目だ、なんて使えない兄なんだ。その時によぎったのは、悔しいけれど、やっぱりあの人の顔だった。
「もういい! 兄様には頼みません!」
あたしは身を翻すと、屋敷を出て馬車置き場に向かった。その辺に弟子見習いのジルがいたので、捕まえる。
「ちょっと、王立学園まで連れてって、大至急!」
「ええ……」
いきなり捕まえられて、ジルは嫌そうな顔をしていたけど、「姉様の一大事なんだってば!」というひと言で渋々馬を繋いでくれた。
姉様は二輪馬車を自分で操って学園まで通っているけど、あたしはまだ馬車を御せない。
隣に座って学園までの道中、かいつまんでジルに事情を説明すると、「ははっ、あのお嬢が医者の妻って、うける」とか言って笑っていた。笑いごとじゃない。
もう、いらいらする。お兄様といい、ジルといい、もう少し真剣になってほしい。
姉様が結婚して、馬車で何日もかかる領地へ行ってしまうかもしれないっていうのに。
そしたら、あたしはどうすればいいんだろう。
だから、学園に着いて、やっと面会できたセドリック様に話をした時、すぐに動いてくれたのを見て、凄く安心したのだ。
「あたしも一緒に行きます!」
「騎乗していった方が速い。君たちはその馬車で、後で帰っておいで」
そう言って、それでも冷静にあたし達にそう言い残すと、馬に乗ってひとり行ってしまった。
「かあっこいー」
颯爽と駆け抜けて行ったセドリック様の後ろ姿を見て、隣でジルが口笛を吹いている。こいつは本当に危機感がない。
「なあ、あの兄ちゃんって、お嬢に気があんの」
「見たらわかるでしょ」
そのはずなんだけど、うちでは姉様も兄様も気づいていないようだ。血が繋がっているわけでもないのに、あのふたり、鈍感さでは良い勝負かもしれない。
「やっぱり? ガーデンパーティーで見た時、そんな気はしてたんだけど、物好きだな。よりによって植物馬鹿のお嬢に惚れなくても。あれだけ顔良くて人当たりも良いんだから、その気になれば王族との逆玉だって狙えそうなのに。もったいねえなあ」
ジルでさえ気付いている。
「中身もまあまあ優秀よ。ルイス兄様を差し置いて、寄宿舎の寮長やってるぐらいなんだから」
植物馬鹿なんて、姉様もこいつだけには言われたくないだろうなと思いながら、一応教えてやる。
「へえー。完璧人間なんだ。ずっと優等生の顔で居続けるのも大変だろうな。だからお嬢みたいな一点集中型に惹かれんのかな。でも付き合い出したら、大変そう」
「そんなことは知らないけど。セドリック様のことだから、フォローも完璧なんじゃないの」
投げやりに言いながらも、あたしは不思議とすっきりした気分だった。
結局、セドリック様を頼ってしまった。この分だと、あのふたりは上手くいくんだろう。
姉様がセドリック様と結婚してランバート領地へ行ってしまうことになったらどうしようと思うものの、馬車で一昼夜ぐらいだし、あの医者のところに嫁に行くよりはましだ。
最悪、あたしが付いて行くのもありかもしれない。名目だけは侍女になっても我慢してあげても良い。姉様が毎日お茶を淹れてくれるなら。
そんなことを考えながら屋敷に帰ったのだけど。
「……え、何にもなかったの?」
あたしは呆れた。聞けば、セドリック様はもう帰ってしまったという。
嘘でしょ。あんなに劇的な感じで行ってしまったっていうのに、求婚ひとつしなかったっていうの!?
あたしの驚きをよそに、姉様は首を傾げている。
「何かって? 縁談なら、マクレガー氏には断ったけど」
そっちじゃなくって!
「マクレガー殿とは、薬草を卸す契約を結ぶことができた。こちらが断った話なのに、つくづく度量のある方だ。おかげで上得意がひとり増えたよ。薬草園を少し拡充しても良いかもしれないな」
兄様も満足そうに頷いている。何か医者のファンになってるし。
いやだから、そうじゃなくて!
「セドリック様が見えられたんでしょう? 何か言われたのではなくって?」
「そうだ、お前、学園にまで行ったんだって? あいつは責任感が強いんだから、あまりわがままを言うなよ。わざわざ足を運ばせてしまったじゃないか」
兄様のお説教がはじまった。もう、いちいちうるさいな。
「責任感が強すぎるのも、本人は大変でしょうね。婚約の提案までされてしまったわ」
「婚約!?」
それよ、あたしが聞きたかったのは! 兄様は仰け反って驚いている。
姉様の説明によると、縁談が増えてきたけどまだ婚約はしたくないセドリック様と、しばらく求婚の話が持ち込まれそうだけど結婚したくない姉様の利害が一致したので、いっそふたりで婚約しないかという話を持ちかけられたのだという。
確かに、一見お互いのためになる話だ。でも。
兄様は納得していたようだったけれど、あたしは舌打ちしたい気分だった。一番肝心のセドリック様の本心を伝えないまま、表面上だけの契約を持ちかけて、姉様が首を縦に振ると思っているんだろうか。
——今の俺では、彼女を幸せにできない。
セドリック様の声音が甦る。
姉様の気持ちを優先しようとするところは評価するけど、ぼんやりしている間に、第2第3の求婚者が現れて、強引に話がまとまってしまったらどうする気なんだ。
「いっそ受けたらどうだ。どうせ破談になる話とはいえ、一時的にでもランバート伯爵家と縁談が持ち上がったとなれば、それだけで家名にも箔がつくだろう」
兄様は破談前提で話を進めようとしているし。しかも家名のことしか考えていない。つくづく救えない。
そんなことで箔がつく家柄なんて、滅亡してしまった方がマシだ。
「セドリック様には、好きな人がいるんです」
姉様がぽつりと意外なことを言った。あら、分かってるんじゃないの。
とは言え、それを自分のことだと思っていないのは明らかだった。
「そうなのか? 聞いたことがないが。俺も知ってる人か?」
この人もたいがい鈍い。親友じゃなかったのかよ。しかも、想う相手は自分の妹だってば。
「それは……」
姉様のことなので、その相手をこの場で言うことはしなかったが、一瞬だけあたしの顔を見て、やけに暖かい眼差しを送ってきた。
……あたし?
薄々そんな気はしてたけど、姉様、セドリック様が好きなのはあたしだと思っている?
確かに、仲良く話すふりをしたり、こちらから気のあるそぶりをしたりという工作はいろいろやったけど、まさかそんなに簡単に引っかかってくれるとは思わないじゃない。
歳の差だってあるのに、何かそう思わせる決定打でもあっただろうか。ちょっと思い当たらない。
それにしても、まったく伝わってないんだな、セドリック様の想い。流石に少しだけ同情してしまった。




