彼の本心
「よおセドリック、ちょっと試験範囲で訊きたいことがあるんだけどさ」
「セドリック様、アーチェリーの試合、見ました。すごく素敵でした」
「ランバート君、君の提出したレポートだが、実に良い出来だったよ」
「あらセドリック、可愛い子連れてるじゃない」
「ランバート様……! 今度うちでチャリティのコンサートをするんですの。良かったらおいでになってください」
廊下を歩いているだけなのに、多くの人がセドリック様に声をかけていく。セドリック様はそのすべてににこやかに応対していた。
ついでにあたしもちょっと注目を浴びていた。若干敵意を込めた目で睨んできた女も、「ルイスの妹だよ」というセドリック様の紹介で興味津々といった目付きに代わる。
正直、目立つことは嫌いではないので、悪い気はしない。
でもこれは、姉様には耐えられないだろうなと思う。この人の横を歩くということ。
姉様のお迎えと言う名目で学園に来たあたしは、温室でセドリック様を捕まえると、話があるといって連れ出した。
雨のせいか、校舎内は人が多かった。ようやく空き教室を見つけて入る。
セドリック様がドアを閉めようとしたので、「ちょっと」と声をかけた。
「ちゃんとドアは半開きにしておいてくださる」
別にセドリック様が何かするとは思っていない。まったくあたしをレディとして扱おうとしない姿にちょっといらっとしただけだ。
「……ああ、失礼」
はじめて気がついたようにドアを半分戻した。あたしのことを全然そういう対象と見ていないのが丸わかりだ。腹立たしいが、その辺の子供と同じだと思っているのだろう。
ドレスも髪も、こんなにきれいにしているのに!
そう思ったけど、目に入ってもいないんだろう、あたしの格好なんて。
温室を出てくる時の、姉様の悲しげな顔が頭にちらついた。
あたしの普段の演技が功を奏して、すっかりあたしがセドリック様に夢中だと思っている。もしかしたら、彼の方もあたしに好意を持っているとでも思っているのかもしれない。
セドリック様は姉様がそんな誤解をしているなんて、思っていないだろうし。
姉様の気持ちをいちばん分かっているのが、このあたしだ。
聡明なセドリック様でさえ、姉様の自分への好意には全然気がついていないだろう。
あの、わかりにくい無表情の下で姉様が何を考えているのかを読み取れるのは、世界中にあたししかいない。
そう考えると少しだけすっきりした。
「それで、ローズに求婚者が現れたとかいう件なんだけど、どうなってるか知っている?」
前置きも何もなしでいきなり本題だった。あら、この人本当に余裕がないな。
「彼女はすぐに立ち消えになると言っていたが、私にはそうは思えないんだ。君の方が、状況を客観的に把握しているだろう」
あたしはため息をついた。立ち消えになるって? 姉様は少し楽天的過ぎる。植物に関すること以外は、大体どうにかなると思っているんだろう。
「話は粛々とすすんでいましてよ。マクレガー医師とかいうのが本命みたいですけど、ほかにも何件か問い合わせや釣り書きの要求が来ているみたいですわね」
「やっぱり。そんな事だろうと思った」
少し苛立たしげに前髪をかき分ける仕草は、いつも穏やかなこの人らしくもない。
「多分、ローズが考えているよりも、ずっと本気の求婚なんだろう。世間擦れしていない彼女を押し切ることなど容易いだろうな」
「セドリック様は、姉様に想いを伝えることはしないんですか」
思わず訊いてしまったのは、この方は無理矢理姉様をどうこうしたりしない——少なくとも、本人の意思を尊重する方だろう、という最低限の信頼のようなものは芽生えていたからだ。
「はっ? いや、想いって、何言って……!」
セドリック様が私の言葉にやたら過敏に反応していた。若干顔が赤い。ええ……。
「……いつから、気付いていた?」
少し困ったような顔で訊いてくるセドリック様に、あたしの方が驚いていた。
いや、最初からだけど。まさか気付いてないとでも思っていたなんて。その方がびっくりだ。
それに自慢ではないが、あたしは他人の感情の機微には、割と聡い方だと思う。
「見てれば分かりますわよ。それに好意を持っているっていうのは、ガーデンパーティーの時に聞いてますし、今更ですわ」
動揺するセドリック様とは裏腹に、あたしは冷静になっていた。もしかして、この人、姉様のことになると、若干残念になるな。
思わぬ弱点を見つけてしまったが、嬉しくもない。
セドリック様が息を吐いた。
「……君がローズの妹だということで、少し油断していたようだ」
「血は繋がっていませんもの。姉と一緒にするのはやめて頂きたいわ」
あそこまで他人の気持ちに鈍い人間も珍しいだろう。
というより、他人に興味が無い人と言った方が正しいだろうか。
そのことを考えだすと不愉快になるだけなので、話を戻す。
「姉様にははっきり言わないと、気づいてももらえませんわよ。みすみす他の方に取られるのを、指をくわえて見ているつもり?」
自分でもらしくないことを言っていると思う。こうしてこの人を焚き付けるなんて、絶対にごめんだと思っていたのに。
思ってもみなかった遠い領地からの縁談の話がすすみそうで、あたしも動揺しているのかもしれなかった。
セドリック様はあたしの強い言葉に気を悪くするような素振りも見せず、少し笑った。
「相手の負担にしかならないような気持ちなど、伝えるべきではないだろう。——貴族の妻という立場に彼女の幸せはないのだと、先程きっぱりと言われたよ」
セドリック様らしくない、自虐的な口調だ。
あー……。
あたしは天を仰ぎたくなった。
姉様らしい率直な物言いだけど、その『貴族』にセドリック様が含まれることをまるで想定していないんだろうな。
もし、『貴族の妻』ではなくて、『セドリック様の妻』だったら、姉様はなんて答えただろうか。
「……本当は、君達のローズに対する扱いが悪いようだったら、私が何とかしなければ、なんて考えていたんだが」
「やっぱり!」
約束のない突然の来訪も、初めてのガーデンパーティーへの参加も、偵察みたいなものだったんだろう。普通にルイス兄様の姉様への態度も酷いからな。
「この前のガーデンパーティーで、君達家族に対する認識を改めたよ。あれほど楽しそうな彼女を始めて見た。……思い上がりだった。彼女をあの家から連れ出してやろうだなんて」
その口調に、少しだけ苦渋のようなものがのぞく。
「今の俺では、彼女を幸せにできない」
いつもきれいに取り繕っているセドリック様の本心を見た気がして、少しだけ眉をひそめた。
あたしは、この人の執着を見誤っていたのかもしれない。




