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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
デイジー
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天敵認定

 初めてセドリック様に会った時、不覚にもときめいてしまったのは、今となっては黒歴史でしかない。


 当時あたしは12歳だった。

 兄様の友人だと名乗る、少なくとも外見だけは王子様みたいな人がいきなり現れるんだから、少しぐらいぽーっとしてしまっても仕方ないでしょう。

 まあ、そんなときめきなんて次の瞬間に綺麗に消えてしまったのだけど。


 その日、自宅でこじんまりとしたお茶会を開いた日、あたしはなかなか来ないお茶にいらいらしていた。友人のひとりが、公爵家のお茶会に呼ばれた自慢話をしていたものだから。


 ずいぶん高級なお茶が出たそうだけど、はっきり言って姉様が淹れるお茶の足元にも及ぶとは思わない。姉様のお茶は、何種類かの花やハーブが絶妙にブレンドされている。キャラメルやフルーツが入ることもある。


 その日によって香りや味が変わるので、毎回何が入っているのかわからない宝箱を開けるみたいだ。姉様はあたしがその時飲みたいものがわかるの。雑なリクエストでも、ちゃんと思った通りの味が出てくるし。


 もしかすると魔法を使っているのかもしれない。

 ケーキだって、食べたらあまりの美味しさにみんなびっくりするのに決まっている。


 だから姉様があたしではない別の人の対応に時間を割いていると聞いて、かっとなったあたしは、鼻息も荒く、その場に乱入することにした。


 そこにいたのがセドリック様だった。


 綺麗に撫でつけられたミルクティー色の髪も、仕立ての良いラウンジスーツもコートも、すべてが気品に溢れていて、こんな素敵な人は見たことがないと思った。

 急に髪を振り乱して出てきた自分がひどく子供じみていて恥ずかしく感じてしまい、慌てて手でこっそり髪やドレスのチェックをしながら近づいた。


 そしたらあたしを見て、姉様がふふっと笑ったのだ。

 基本的に無表情な姉様だが、どうかした拍子に、ふっと表情を崩すことがある。

 不思議なことにあたしが何か子供っぽいことをしたり、わがままを言ったりすると、笑顔を浮かべる事が多い。

 兄様のような嘲笑ではない。あたしは他人の感情を読み取るのが得意だからわかる。思わず漏れる、この子可愛いなあって顔。うぬぼれじゃないってば。


 ただでさえ激レアな姉様の笑顔は、普段の無表情を見慣れていると、ひどく優しくきれいに見える。お母様にもこんなに優しい顔で見られることはない。


 お母様は私に似て外面がいいのでいつもにこにこしている。容姿が良くて、空気を読むのが上手い私はアクセサリーとして最高なのだろう。あちこち連れ回されたりして可愛がってくれるけど、それだけだ。

 ちょっとでも失敗したりして価値が無くなれば、あっという間にその辺に放っておかれるようになるんだろう。


 だからあたしはそんなものに興味はなかった。

 姉様だけが、あたしのどす黒い中身も、わがままも、全部わかった上で許容してくれる。

 姉様の関心と笑顔だけがあれば良かった。

 

 そんな姉様の笑顔を見たのはあたしだけじゃなかったようだ。

 息を呑む気配がして、セドリック様を見上げると、驚いたように目を見開いて固まっていた。

「こちらがデイジーです」

 姉様が拙くあたしを紹介しても、まだ固まったままのセドリック様は、姉様が見上げると、顔を真っ赤にした。

 うわ……。


 慌てて顔を逸らして俯いていたが、逆にあたしには表情が丸見えだったという。この人、こんなに人前で感情を露わにする人なのか。

 と思ったけど、まばたきよりもほんの少し長く目を閉じると、次の瞬間にはもうよそ行きの笑顔になっていた。さすがは名門貴族の御令息だわって感心する。


 そのまま握手をして、当たり障りのないご挨拶をした。

 でもあの一瞬で、セドリック様が姉様に好意以上のものを抱いているのは丸わかりだったけど。

 

 姉様も、きっと満更でもないんだろう。

 あれだけ人見知りの激しい姉様の表情がやわらかい。普段は兄様相手ですら拒絶する空気を出す人なのに。

 私の中で警報が鳴り響く。

 ——この人は、姉様をあたしから奪っていく人なのかもしれない。


 そのことがはっきりしたのは、その日の夕方、セドリック様の帰り際だ。

 

 お帰りになるので見送りをした方が良いと言われて、渋々エントランスに降りると、兄様と姉様の背中越しにセドリック様と目が合った。

 笑顔で近づいて来られても、この方があたしに微塵も好意なんて持っていないのは、さっきの表面的な挨拶で分かっている。


「どうやら、茶会の邪魔をしてしまったようで申し訳なかった。無事に終わったかな?」

「どうぞ気になさらないでください。大好評でしたわ。お茶も、お菓子も。手間が少しぐらい増えたところで、姉様の淹れるお茶の味は変わりませんから」


 それは良かった、とにこやかに頷いた後、顔を近付けて、でもね、と私にしか聞こえない声で囁いた。

 さっきまでより声が一段低い。


「君のお姉様は、使用人ではないんだよ。顎でこきつかったり、むきだしのわがままをぶつけて良い人ではない。それが許される年齢をとうに超えているのに気づかないのは、あまりに醜悪だ。気をつけた方が良い」


 穏やかに笑いながら忠告とも牽制ともとれる言葉を吐かれても、笑みを絶やさずに対峙できたのは、プライドを総動員させていたからだ。

 姉様がこっちを見ているのもわかっていた。


「ご忠告、どうもありがとうございます。でも、あたしと姉のことですから。何か思うところがあるなら、姉様に直接言えばいいのじゃないかしら」

 部外者の貴方はお呼びじゃないのよ、という意味を込めて、せいぜい美しく笑ってやる。

 でも内心は怖くて仕方がなかった。


 あたしに厳しいことを言う大人が周りに全くいないわけじゃない。

 お父様と姉様を崇拝してる使用人や弟子達の中には、露骨にあたしと母と兄を寄生植物扱いする人もいる。

 植物研究者としての才能に満ちたお姉様ではなく、ガードナーの血縁ですらないお兄様が家督を継ぐのが腹立たしいらしい。

 

 もともとは平民の貧乏な母子が、人の良いお父様と姉様に取り入って、まんまと家督と財産と貴族としての暮らしを手に入れたのだと思っている。

 他人に何を言われてどう思われても、そんなのは別にどうだって良い。何よりあたし自身がそう思っているから。


 セドリック様は、そういうのではない。動機が姉様への同情とか、正義感とか、そういうくだらないものだったら、あたしは全然気にせずにいられた。


 セドリック様の姉様を見る目。愛しくて仕方がないものを見る目。

 ちょっとでも隙を見せたら、この人はあっという間に姉様をあたしから連れ去っていくだろう。


 ——そんなことは絶対にさせるもんか。

 その日から、彼はあたしの天敵になった。

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