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バラとひなぎく  作者: 田仲絵筆
ローズ
17/37

ひなぎくの花束

「もし承諾してくれる気になったら言ってほしい。両家への報告は私がするから」

 そう言ってくれるセドリック様は、私に負担がかからないようにと考えてくれているのだろう。


 ただ、すでに心の中では、この話は断ることに決めていた。

 容姿から社交力から、全てにおいて釣り合わない婚約者を連れて来ても、周りからの反応は失笑か侮蔑だろう。

 私には慣れた視線でも、セドリック様に恥をかかせることは耐え難い。


 そう決心しておきながら、あれから数日経っても断ることができなかったのは、私の弱さのせいだ。

 セドリック様のせっかくの好意を拒絶するということが、私にはたまらなく怖かったのだ。


 

 その週末、私は弟子達と買い物に出かけていた。外出から戻ると、例によってデイジーがぷりぷり怒っていた。

「おっそい! 何やってたの? お茶が遅くなっちゃうじゃないの」

「ティータイムには充分間に合う時間でしょう。今日は大通りのベーカリーで買ってきたショートブレッドよ」

「はあー、手づくりじゃないなんて……」

 デイジーの文句を聞きながら紙包みをテーブルに置く。この子私のお菓子が好きすぎるな。さて今日はどんなお茶にしよう。


 その時、かすかな花の香りが鼻を掠めた。

 見ると食堂の花瓶に、ひと抱えもあるような量の雛菊ひなぎくが生けられている。

 白い一重咲きのものに、ところどころ八重の桃色が混じっていて、とても可憐な印象だ。私はその花から目が離せなくなってしまった。


「どうしたの、こんなにたくさん」

 多分、お母様や使用人の趣味ではない。お母様は花を見分けるのが下手なりに、薔薇や蘭や椿などの華やかな花を好むし、基本的にこの屋敷では、切り花は飾られることがない。


 デイジーが嬉しそうな顔をした。

「昼頃、セドリック様が持っていらっしゃったのよ」

「……セドリック様が、これを?」

「そう。いきなり来るものだから何かと思ったら、街中で売られている花を見かけて、どうしてもうちに届けたくなったんですって」

 そう言ってデイジーはくすくす笑う。


「誰に、とは言わなかったけど。セドリック様って上流貴族のはずなのに、結構露骨なこともなさるのね。こんなにたくさんの雛菊デイジー。こっちが照れてしまったわ」


「そう。きれいね」

 掛け値なしに自分の内から出た言葉だった。


 白くて小さい、健気に咲く野の花。

 こんなにたくさんの。


 野に咲く花は、花畑や温室で手間をかけて咲かせる花が多く並ぶような、きちんとした花屋では売っていない。きっと、花売りの娘から買ったのだろう。

 その娘は、まだ日が昇る薄暗いうちに野原へ出かけて、一面に咲く可憐な花を見て歓声を上げ、ドレスの裾が朝露に濡れるのも厭わずに、せっせと花を摘んだんだろうか。


 男の人が両手で抱えるほどの量を、セドリック様はどんな顔をして買ったのだろう。どんな気持ちで家まで届けてくれたのだろう。

 これがセドリック様のデイジーへの愛情なのだとしたら、私はその気持ちに一点の影も落とすわけにはいかない。


 私はその花がどうしようもなく愛しく思えて、そっと顔を寄せた。



「先日は、花をどうもありがとうございました」

 明らかにデイジーに宛てて贈られた花だったが、一応私からもお礼を言っておく。

 例によって、学園の温室だ。

 セドリック様がこの温室に来るのは、少し久しぶりだった。


「こちらこそ、急な訪問で申し訳なかった。街角であの花を見かけたら、どうしても届けずにはいられなくなったんだ。あんまり、綺麗だったものだから」

 私は微笑んだ。綺麗だった、本当に。贈られたデイジーが、羨ましくて仕方がなくなるほど。

 

「例の話も、返答が遅れていてすみません」

「返事は急いでいないよ。君のペースで考えてくれると良い」

「いえ、今お返事します」

 私はそう言って、頭を下げた。


「せっかく頂いた話なんですけど、やっぱりお受けできません。ごめんなさい」

 沈黙のあと、頭上でセドリック様が何か言いかけてやめたのがわかった。相変わらず、顔をちゃんと見ることができない。もうこの時点で到底釣り合わないということなんだろう。


「分かった。……うん。君の意思は知っていたのに、漬け込むような提案をしてしまったな。こちらこそごめん」

 理由を訊ねることもせず、そう言ってくれる。セドリック様は何も悪くないのに、謝られると胸が痛くなる。私はただ黙って首を振った。


「断っておいて厚かましいお願いなのですが。良かったら、今まで通り接して頂けたらと思います」

「もちろん。どうかこれからも、いい友人でいてほしい」

 セドリック様が手袋を取って右手を差し出してきた。おそるおそるこちらも右手を伸ばす。


 ぎこちない握手をしながら思い切ってセドリック様を見上げると、彼はあのいつもの陽だまりのような笑みを浮かべていた。

 眩しくていつものように目を逸らしてしまいそうになるけど、何とか持ちこたえる。


 ——いい加減に認めよう。これは恋だ。


 さんざん心の内で否定してきたものの、認めてしまえばこの感情はあかるく暖かで、光そのもののような幸福感のかたまりだった。

 きっと、これから何年経ってもこの光は衰えることはないのだろう。


 一旦自覚してしまうと、この感情は思わぬ多幸感を私にもたらした。

「……今はまだ負担になってしまうだけだけど、必ずこちらで、準備を整える。そうしたら、改めて言いたい事があるんだ」

「楽しみにしています」


 セドリック様の思い詰めたような告白も、笑みを浮かべて聞く事ができる。

 デイジーに対する気持ちなど、とっくに知っていると伝えてあげたかったけど、この人がそう言うのなら、まだ黙っていよう。


 この人が私を友人だと言ってくれるのなら、せめて私は隣にいても、恥ずかしくない人間になりたい。

 そしてこの感情を抱いたまま朽ち果てていくのが、今の私の望みになった。


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