明け方の経営会議
まだ夜明け前だというのに目が覚めてしまった。昔の夢を見ていたような気もする。
ガーデンパーティーの準備や後始末やらで、ここのところお兄様と顔を合わせることが多かったのも原因だろうか。
窓の外に目をやると、まだ薄暗い。もうひと眠りできる時間だ。
ふと屋敷の対角の棟の窓がひとつ、ぼんやりと光っているのが目に留まった。
私は二度寝を諦めて、寝台から抜け出すとキッチンへ向かい、濃いめの紅茶を淹れた。
ランプとお茶を乗せたお盆を持って暗い廊下を歩いていく。ひと筋の光が漏れ出ているところで足を止めた。光の出所は執務室のドアの隙間だ。
ノックをして、ドアを開けると、思ったとおり、執務机でルイスお兄様ががりがりと書き物をしていた。
ずいぶん朝が早いことだ。それともまさか寝ていないのだろうか。暗い中、ランプの灯りだけでは目を悪くしてしまうだろうに。
私がお兄様の傍らに熱い紅茶が入ったティーカップを置くと、顔も上げずに「眠気覚ましには珈琲の方がありがたいんだが」とか言ってきた。
「それなら自分で淹れてください」と言い返す。図々しい兄だ。
机の上には植物園の図面や帳簿がいっぱいに広げられている。書き付けられた大量の数字に気分が悪くなりそうだ。
園の経営の経済的なことは、会計士補佐の立場とはいえ、数年前からルイスお兄様が主力のひとりとして携わっている。
学生の身で広範な施設の運営に関わるのは大変だろうと、会計士に一任するよう周りも進言しているのだが、経済状態を自分がきっちり把握していないと落ち着かないのだそうだ。他人を信じられない悲しい人なのだろう。
「……ガーデンパーティーの収益が、芳しくないのですか」
帳簿をにらむお兄様の顔が少し険しいように見えて訊いてみた。
普段の維持費に加えて、膨大な量の飲食物や、招待状の手配や、貴人が集まるということで臨時で雇う警護人の人件費、そういったものをどうやって調達しているのかを、私はぼんやりとしか知らない。
「あんなものはいつも赤字だ。大部分を貴族からの寄付金で賄っている。足りない分は持ち出しだが、それで王族を呼べるという信用と上級貴族が来る場所だというイメージを買っているようなものだ。そこを加味して、ようやくプラスマイナスゼロといったところだな」
「へえ、そういうものなんですね」
「そういうものだ。お前もガードナーの者なら、少しは経営を学べよ」
「そういう面倒なことは、全部お兄様がやってくださる約束なので」
私が少し口の端を持ち上げて言うと、舌打ちをされた。流石に人前ではやらなくなったけど、私の前では相変わらずだ。
「……植物園の無料開放スペース、あそこが園の財政を圧迫しはじめている」
そう言いながら、図面の一部を指し示した。
お兄様が本格的に園の経営に携わりはじめた頃、私や弟子達とも相談して、一部の区画だけを、無料で開放する試みをはじめた。
王立植物園の中をひと目見てみたいと思う人は私たちの予想を超えて多かったようで、今や毎日人がにぎわう人気スポットになっている。
「これ以上足を引っ張るような事があっては、収益に関わってくる。何とかしろ」
何とかって。そこで私に振られても。
「お金のない平民のために、無料で入れる区域を設けたいと言ったのは、お兄様じゃないですか」
「馬鹿、やり過ぎだ。惜しげもなく高級な植物を植えやがって。おかげで、客寄せのために作った場所なのに、あそこだけで満足して有料部分までわざわざ足を伸ばさなくなった客も増えている」
せっかくのスペースなのでと、そこだけで園のハイライトになるように、植物園中の代表植物を植えている。確かに一般の店では売っていないような高級な花も植えている。それが良くなかったみたいだ。
「まず植える花を、もう少し安価なものにしろ。植え替えも頻繁すぎる。盗難も何件か起きているようだ。客の経済レベルが下がるとどうしてもトラブルは起きやすくなるが、警護人を雇うほどの余裕は今のところ無いからな」
「わかりました。植える花の種類については、みんなと相談してみます。確かに盗難は多いみたいですが……。なるべく弟子の誰かを常駐させるように、これも相談してみます」
「そうだな。俺からも言っておく。期間限定なら、外部から警護を雇っても良い」
そうは言いながらも、お兄様は浮かない顔をしている。今まで無いに等しかったトラブルが数件でも起こっているという事は、園の信用にも関わってくる重要な問題なのだろう。
「あまり負担になるようなら、開放スペースそのものを見直しますか。元々試験的に運営している段階ですし」
私が言うと、お兄様が言葉に少し詰まった。
「……いや。無料開放スペースの設置が慈善事業の一環だと国が判断して、表彰でももらえれば、寄付金も桁違いに増える。今慌てて無くす必要はないだろう」
そのためにガーデンパーティーでは相当アピールしておいたと聞いて、感心してしまった。さすが、余念がない。
「一番手っ取り早いのは」
そう言ってこちらを見てきた。嫌な予感がする。
「お前が有力な家に嫁ぐことだ。そうすれば結納金で警護を雇うことができる」
しまった、蒸し返した。
「嫌です。大体、結納金なんて不確定で一時のものを当てにするなんて、それこそ危なっかし過ぎます」
相手がケチでもの凄く少ないかもしれないし、何より私が有責で離縁になったら、返還しなくてはいけなくなる。その時に使いこんでいたら、借金が嵩むだけではないか。相手によっては、持参金を用意しなくてはいけない。
そう言うと、お兄様は「それは、確かにそうだ」と渋い顔で納得していた。
「大体、私はずっとここにいたいと言ってるのに。……そんなに追い出したいのですか?」
一番不満なのはそこだった。
「そういうわけじゃないが」
お兄様は難しい顔のまま続ける。
「考えてもみろ。ここで一生を庭師のように過ごすのと、お前の才能を活かせるよう取り計らってくれる相手に貴族の娘として嫁ぐのと、どちらが幸せか」
「考えるまでもなく前者です」
しばし私とお兄様は睨み合う。平行線だった。
「まさか今頃になって、あの約束に負い目でも感じていらっしゃるわけでもないでしょうに」
お兄様は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、否定はしない。
「この世界に長くいると、昔は見えなかったものが見えてくるんだよ。結婚もせず行き遅れと嘲笑される未来など、来てほしくはないだろう。……今回の話は、間違いなくお前のためになる。話だけでもしてみたらどうだ」
「ご心配なく。私は私で成果を出します。研究成果を上げられたら、私がここにいる理由になるでしょう」
「……ローズ」
さっさと立ち上がり、ランプとお盆を抱えて部屋を出ようとしたところを、お兄様に呼び止められた。
「俺は今でも、柵の中に居場所が無いと言って泣く子供に見えるか?」
何を言うのかと思ったら。私は呆れた。
「今更ですか? この家で一番大きな顔をしておいて、よくそんな事が言えますね」
むっとしたお兄様の顔を尻目に、ドアを閉じた。
廊下を歩きながら、おかしくなってひとりで少し笑う。いつの間にか明るくなっていたので、もう灯りはいらないようだ。
私はランプの火を吹き消した。




