突然の縁談
「良いニュースだ、ローズ」
ルイスお兄様にこれだけ機嫌良く話しかけられたのはいったい何年振りだろう。通算で三回目ぐらいだろうか。
春のガーデンパーティーから少し経った休日のうららかな午後、私は自室で書き物をしているところだった。
「お前にもこんなに素晴らしい話が持ちあがるんだから、春というのは良い季節だな」
ノックひとつせずにドアを勢いよく開け放ったと思うと、今にも鼻歌を歌い出しそうな風情で部屋に入ってきたお兄様は正直言って気色悪い。どう考えても良い話ではないだろう。
「どんな話なのか気になるだろう? あまり勿体をつけても仕方ないから、教えてやる」
私が一向に先を促さないので、痺れをきらしたのか、口火を切ったのもお兄様の方だった。べつに話さなくて良いのに。
「喜べ! お前に縁談がきている! なんと、三件だ。トラベスト子爵家、キャリガン男爵家、ノルベンダー領のカール・マクレガー医師。どうだいずれ劣らぬ名家だろう。どこが良い? お前に選ばせてやる。なんと言っても俺のおすすめは」
「すべてお断りします」
想像以上にどうでもいい話だった。
「一瞬で断るなよ!」
「長考したところで返答は変わりませんから」
「お前に断る権利などない。皆先日のガーデンパーティーでお前を見染めてくださったそうだ」
なるほど、私とエレナ様が話しているところでも見られたのだろう。するともしかすると、私が高位の方と人脈を持っていると勘違いされたのかもしれない。
「何が不満なんだ。あの小汚い作業着姿を見て求婚してくれたという奇特な方々だぞ。それに加えて、マクレガー医師などは、お前の薬師としての知識も重用したいとおっしゃっている。今までどおり研究だって続けられる」
確かにそれは少し惹かれる条件だけど、それに付随して付いてくる医者や貴族の妻という肩書きは心底要らない。
領地の名主への挨拶回りとか、社交付き合いとか、跡取りづくりとか。私には無理だ。考えただけでぞっとする。関係者全員が不幸になる未来しか見えない。
それに、結婚したらこの屋敷と植物園を離れなくてはいけなくなる。それは嫌だ。
「私は、学園を卒業したら、お父様の弟子として、一生ここの植物の世話をして暮らすんです」
うっとりと私の夢を打ち明けると、何故かお兄様はショックを受けたような顔をした。
「お前……、仮にも由緒あるガードナー家に生を受けておきながら、一生下働きみたいな事をして暮らす気か。それでいいのか?」
最高の人生じゃないか。
お兄様はどうも、ガードナー男爵家を少し神聖視し過ぎているみたいだ。
少しばかり才能のある研究者を何人か輩出して、たまたま希少な成果をあげて、たまたま国営植物園の管理を任されるようになっただけの単なるいち男爵家なのに。
「お前は生家を軽んじすぎだ! 国中の持たざる者が、どれだけ憧れていると思ってるんだ!」
お兄様がお母様と産まれたばかりのデイジーと、三人で暮らしていた頃、決して裕福じゃない生活をしていたというのは何となく知っている。
だからこそ、彼がガードナーの家名に、人一倍誇りと執着を持っていることもわかっているつもりだ。
この時だけは、自分が女に生まれた事を感謝してしまう。男だったら、後継の座をめぐってお兄様と争わなくてはならなかっただろうから。
どんなに私が家名自体には興味がないと言っても、お父様を信奉する弟子達や、女中頭のホランドさんが黙っていなかったはずだ。
女も爵位を継げない訳ではないが、越えなくてはいけないハードルは男性よりも多い。何より私にその気がまったくないので、次期ガードナー男爵はお兄様で決まりだ。
これはお兄様との約束でもある。
「とにかく、そのお話は受けません。体よく断っておいてください」
「だから、お前には拒否権はないと……」
「今の、何の話です?」
割り込む声があったのでドアの方を見たら、いつもより白い顔をしたデイジーが立っていた。
ドアを開け放したまま会話をしていたので、どうやら声が筒抜けだったようだ。お兄様の声はよく通る。
「ああ、デイジー、良いところに。お前もローズを説得してくれ。こいつは世間知らず過ぎてこの婚約話がどれだけ僥倖なのかまるでわかっていないんだ」
「婚約話……?」
「そうだ。特に、ノルベンダー領マクレガー医師。ノルベンダー領と言えば、この王都に次ぐ豊かな都市がある領地だ。そこの領主のお抱え医師と姻戚関係になるなんて、うちにとってもこの上ない良縁だと思わないか。まあ、向こうも広大な薬草園を管理しているガードナー家との繋がりが欲しいんだろうが。誰にとっても得しかない話だよ。男爵家の娘の一存ごときで断れる話じゃない」
「だめよ!」
急にデイジーが大声を出した。
「そんな、ノルベンダー領なんて、馬車で七日はかかる場所じゃない。そんな遠いところに行ったら、簡単には戻ってこられないでしょう」
「それはそうだが。別に一生会えなくなるわけでもないんだし。何と言っても医師の家系と親戚になれるんだ。お前も欲しいだろう、医者の義兄が」
ほしがりそう。デイジーもお兄様もステイタスで付き合う人を選んでいるところがあるから。
「それとこれとは話が別。姉様がいなくなるならそんなのいらないわ」
「デイジー……」
まさかデイジーがそんな事を言ってくれるとは思わなかったので、柄にもなく少し感動する。
「姉様がいなくなったら、誰があたしのお茶の用意をするの!?」
なるほどね。そこか。




