計算と計算外
映像が映し出されないことに慌てたのは舞台上の2人も一緒だった。
高崎さんは暗いままの大画面とざわつき始めた客席に視線を向けた途端、きょどり始める。
一方の駒形さんはこの状況を歓迎するかのような余裕の表情でマイクを近づけた。
「私が大好きなおさサイの話は……」
そして場を繋げるためだろうか、彼女一人で話し始める。
高崎さんには目もくれず、話を振ることもなく一生懸命に自作品愛とキャラ愛を語り始める。
その視線は観客の方を見据えゆっくりと丁寧に時折笑顔を交え言葉を紡いでいく。
こんな時の為に……おそらく計算していたのだろう。
「みゆきは一見勘違いされがちだけど、話数が進むごとにその真意が段々と伝わってきて……そこで一気に爆発するみたいな感じですよね。そんなわけで、神崎さんが選んでくれたのがどの回かは知らないんですけど、みゆきを演じる私ならその話を……」
ここで映像が映し出されたなら、称賛されたはずだ。
もしかしたらそんな計算をしての選択した話だったのかもしれない。
だけどまだ画面は真っ暗なまま。
用意していた話も悪いものではない。わずかでも計算していたこと自体がすごい。
自作品を声優自身が大好きな話を語る。高崎さん同様、その話をしているとき駒形さんも生き生きとしていた。もしかしたら相手を研究して、もしもの時の為に話そうと準備していたのかもしれない。
でも、結果的に言えばそれはよくない選択だった。
想定していたよりも長いアクシデント、それが彼女の計算外だったのかもしれない。
「絵がないからわかりづらいな……」
最初は駒形さんのその声に観客も興味深く聞き入ってはいたが、少しするとそんな声が漏れ出す。
これが単独イベントならその対応で問題なかったと思う。
だが今回はコラボイベントだ。駒形ことは1人を見に来ているわけじゃない。
それに直前に映像を流しての神崎結奈が完璧なトークもやってしまっている。
「……そ、そうですよね……」
観客のその声に駒形さんははっとしたような表情をする。
イベントの主役はあくまで舞台上の2人なんだ。
場の空気を肌で感じ取ったのか、駒形さんの声のトーンもだんだん下がって来る。
最初から高崎さんを巻き込んだ話じゃないと、この場では持ちこたえられない。
「……神崎さんと比べてなんかちょっと……」
だからか、そんな比較した声まで聞こえだしてしまった。
駒形さんは何か反論しようと口を開きかけたものの完全に沈黙してしまう。
映像なしじゃそうなるのは無理もない。
自分じゃダメだったと……プライドを傷つけられたように、悔しそうに唇を噛むその姿は俺の目に印象深く残る。
「お、お兄ちゃん……」
「だ、大丈夫だ」
それまで舞台上に意識を集中していた陽菜の少し弱弱しい声を聴き否応なしに体に力が入る。
このままで終わりになんかできない。
この状況を何とか……そう考え正面を見た時だ、神崎結奈と目が合う。
彼女は、お客さんの声に反応して前を向いていたのかもしれない。
はっとしたその視線は俺から隣の妹へと移った。
「……」
そしてその目は顔を伏せ、少し体を震わせている駒形さんに向けられる。
高崎さんはふうと小さく息を吐いて、こっちに力強く頷いてみせた。
それから少し唇を震わせながらも駒形さんに言葉を投げかけていく。
まだ挽回できると伝えるように自信を持った表情だった。
その動きになんだか魅了される。
楽屋でのあの『観ててね』に込められた想い。
それを魅せられているようで心臓が跳ね上がる。
これも台本や予定にないことだ。
しかも不慮のアクシデント。
これまでの彼女ならあたふたしたままで、とても自分から声を上げることはできなかっただろう。
力になりたい、妹の為にという想いが嘘でないことの証明のようにも思えた。
隣の陽菜もただ真っ直ぐに彼女を見つめている。
「す、すいません。私しばらく呆けてしまいましたが、もう大丈夫です」
「えっ、はい……そうですか……」
「ご迷惑をおかけして……駒形さん?」
「……謝るのはこっちのほうです。場繋ぎどころか私のせいで、すっかり盛り下げちゃって……ほんとごめんなさい」
それは、駒形ことはの真っ正直な返答のようだった。
どこか後ろめたさがあるのか、高崎さんと目を合わせようともしない。
計算外。彼女の表情から俺はそんな印象を受ける。
いつもの彼女ならもっと上手くやれたかもしれない。
直前に神崎結奈が完璧に仕事をこなしたこともプレッシャーになっていたはずだ。
だから、このアクシデントでその分を取り戻そうと焦って1人だけで進めようとした……そう思うとさっきよりもさらに力が入る。
状況が状況だし、今は本番中でその主役だ。どうしたって思考は鈍る。
さっきの駒形さんの行動は責められない。
一生懸命何とかしようとやった結果だ。むしろ褒めてあげたい。
不意の質問やイベント内容が変更になるくらいの想定ならいくつもシュミレーションは重ねられる。
さっきのアカペラみたいに準備も成果も十二分に出せる。
だけど……こういうアクシデント自体が初めてなら、これまでが順調だった分、混乱するのも焦ることも無理はない。ましてや神崎結奈のことを意識しているのなら尚更だ。
「そ、そんなことはないです!」
「っ?!……」
「こ、ことはさんはビックリして何もできなかった私の分まで……」
「ち、違います……わたしは……」
「違わないです……」
「……」
高崎さんの熱を帯びた謝罪の言葉に、お客さんは見入っていく。
駒形さんの様子も申し訳ない気持ちが伝わってきていい。
キャラではなく2人の素の部分が垣間見られ、これはこれでファンとしては嬉しいものだ。
だけど、
「こんなとき、あすみとみゆきなら、あの二人なら……ええっと……」
「……」
もう一押しなのに。その後がぼんやりしてて思いつかないのか、高崎さんは視線を右往左往彷徨わす……なんともそれが歯がゆくて思わず体に力が入った。
自分1人じゃなく2人でと高崎さんはわかっているはずだ。
駒形さんもわかったはずだ。
いつもの彼女なら、高崎さんの言葉で閃くはずなのに。
さっきの観客の一言が相当応えてるように感じた。
2人ともここまで精いっぱい頑張ってた。今も頑張っている。
それをこんなことで無駄になんて……。
「な、なんで……?」
駒形さんとの距離も近いこともあってその微かな呟きが聞こえた。
その瞳が涙で潤っていく。悔しそうに唇を噛むその顔。
なぜかその表情はあの時の陽菜にまた重なる。
助けてあげたい。
俺が伝えられないことをもう2人は十分すぎるほどみせてくれた。
「まだ映らねえの……」
「早く始めてよ……」
気持ちの籠った謝罪効果も時間が経過するごとに薄れていく。
これは本番なんだ。お客さんからも不満の声が強く聞こえ始めるのは当然。
「さて、どうしたものかしらね……んっ? へえ、その顔は何か策がありそうね」
富田さんの言葉に小さく頷く。
(……2人を助けないと……)
そう思って、立ち上がった俺の手を陽菜の手が掴んだ。
「……お兄ちゃん、何する気?」
「助けるんだ。今の状況を好転させる手はある」
「……なんで? あの人まで……神崎さんをわかっててあんなこと言ったんだよ。さっきのだってさ……」
「ああ。本番前にいっぱいいっぱいだったのは気づいてた。だからあんな棘のある言い方しか出来なくて、高崎さんもそれで傷ついたかもしれない」
「だったら……」
「辛いときはさ、つい思ってもないこと言っちゃうときってあると思う。それを全部許せるかは相手しだいだけどさ、今日の為に、いや、いままであそこの舞台に立つのにどれだけ努力してきたかはさっきまでをみてればわかるからな。それは絶対に嘘じゃない。高崎さんだけじゃなく駒形ことはを応援するのには十分な理由だろ」
「……あっ……」
「陽菜ならこの意味わかるだろ」
「……」
妹の視線は舞台上で塞ぎこんでいる駒形さんに注がれた。
掴んだ手が離されると、俺は舞台に駆け寄りながら思考を巡らす。
「何か手伝えることは?」
「館内はこのまま暗いままにしてください」
「おーけー!」
富田さんの声を背中に受けると、咄嗟にそう答えていた。
見てろよ、これからあの二人がいかに凄いかを俺が証明してやる。




